a さま

aさまの口コミ

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 一言でいうと、天王洲でやった「ゴッホ・アライブ展」の超絶劣化版でがっかりです。
 狭い部屋ゆえに、メインスクリーンだけを一方向に見せるつくり。折角の多方向のスクリーンがあるのに生かしきれず、ほかの壁面に目を向ける配慮がなく、ただの背景にすぎなくなっている。
 そもそも予算不足なのか、安っぽいエフェクトのアニメーションにとどまっていて素人レベルの加工かと失笑しました。肝心のモネの作品は全体の3分1の1ぐらいにとどまり、結局彼の人生がどう紆余曲折あってその時々にこんな絵を描いたというストーリー性の欠片もない演出。雑な展開で、学びもなにもなく、疲れることこの上ない。
 にもかかわらず、それをゴッホと同じ45分近い長尺でただただ延々と作品を横に並べたものを見せられた。3000円も払って、です。
 そしてなにより強くお伝えしたい最悪な点は、めちゃくちゃ狭い部屋に客を押し込むだけ押し込んで、床に座らせて45分間みせることを前提としていること。椅子が正面に10席ほど、脇に4席ほどしかない。たしかにプロジェクターで投影しているので一見きれいに見える池とか石畳などで惑わされますが、みなさん外を歩いてトイレにもいった靴で踏み荒らした場所にどか座りさせることを前提、許容、もしくは推奨するというのは衛生上、または美術を見に来た人に対するホスピタリティとしていかがなものか。信じられません。たしかに渋谷あたりで街中で座って缶ビール飲むのが平気な若者であれば床ずわりは平気なのかもしれませんし、それで「イマーシブですごかった」とかSNSで拡散してくれて運営者は満足かもしれません。
 ただちゃんとした身なりをした大人として、おしゃれをして大好きなモネの作品を愛でにわざわざ休日に日本橋に来たのに、犬の糞を踏んだかもしれない靴で踏まれた床に座って見ろよ、座らないと後ろの人が見えなくて迷惑がかかるからそうしろよ、と強要する。座りたくない人は壁にはりつくしかないが、ちょっとでもたれかかりそうになるとスタッフた飛んできて注意される始末。
 ゴッホ展で味をしめたのかもしれませんが、「ちょっとイマーシブっぽくすれば客なんてどんどんきてもうかる」と餌で客寄せする展覧会は絶対に行くべきではないと痛感しました。もしやゴッホ展が人気だったので、パリ五輪に便乗して、モネと、モネだけだと予算オーバーなので、残りで買えそうな印象派の絵の権利を買えるだけ買って、あとは3流デザイナーにちょっと映像にエフェクトしてもらいつなぎ合わせれて、はいOK.。これで、よく知らない人は来てくれるのでは?と安易な発想で急ごしらえで開催したのかと思ってしまいました。
 もし改善案をと問われたら、1)メインスクリーンだけに見せる構成を変えられないなら、床をクリーニングして靴を脱がせてはだしで床座りにする、2)もしくはベンチシートをちゃんと入場人数分用意して、映画館方式で45分間みせる、3)ベストはスクリーン構成を天王洲のように、様々な壁のスクリーンにそれぞれ固有の映像を見る楽しみがあるようにかえる。皆さん思い思いのスクリーンを立っても十分楽しめるようなゆったりとした配慮をこらす。といった感じでしょうか。イマーシブはたしかに素敵な技術で美術の裾野も広げる可能性とそれに挑戦する心意気には賛同したいですが、美術を、そしてモネを、さらにいえば印象派のアーティストたちにもう少し経緯を払ってほしい。運営側の配慮に欠けた印象の会でした。
 何も変わらないなら、これから行くちゃんとした大人にお伝えしたい。「ゴッホアライブ展の感動を期待していってはがっかりするので、100分の1の心で行くべし」「屋外のフェス同様、レジャーシートを持って行くなど床座り対策をすべし」。 
 どうも客層のアンバランスさが腑に落ちなかったのですが、旧ジャニーズのタレントを客寄せでアンバサダー任命してたのですね。推しのアクスタとの記念撮影ばかりぱしゃぱしゃと撮影している女性が多かった理由が、帰宅後にようやく腹落ちしました。うーん。これって昔のフジテレビ式のバレーボール中継と同じ図式。カンフル剤で表面的な人気を演出したいという意図が見え見えで、ひとかけらもスポーツや芸術に対する愛は増えていない。
 最後に主催者へ、ゴッホ・アライブ展を企画したオーストリアのグランデ・エクスペリエンセズ社のブルース・ピーターソンさんの言葉を贈ります。「イマーシブによって、わたしたちは芸術の見方を変えたと自負しています。もちろん本物の絵を見る体験には到底かなわないのでしょうが、逆に短時間で生涯を語りつくすなど、見識がない方々にも芸術を楽しむ機会を提供できたと考えています」。
 運営のみなさん、もう少し万人へのご配慮をお願いしたいところです