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長崎原爆資料館

口コミ(94) 長崎県 長崎
  • 博物館・科学館

プラン

口コミ

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    店舗基本情報

    店舗名 長崎原爆資料館
    住所 〒852-8117 長崎県長崎市平野町7-8
    営業時間 8:30-17:30(9月~4月:8:30-18:30)
    定休日 12月29日~12月31日
    アクセス プランにより異なる場合がございますので、プランページの「開催場所と行き方」を参照してください。
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    館内マップ

    館内マップの画像

    常設展示室

    1945年08月09日
    1945年08月09日壊滅する前の長崎と止まった時間原爆投下前の長崎は、活気ある街並みと穏やかな市民の生活が広がっていました。しかし、1945年8月9日11時2分、そのすべてが一瞬で破壊されました。館内では、被爆の瞬間を物語る「11時2分で止まった時計」を展示しており、当時の長崎の街並みや人々の暮らしがどのように変わってしまったのかを知ることができます。
    原子野と化した長崎の街
    原子野と化した長崎の街爆心地から広がる壊滅の光景
    浦上天主堂の惨状
    浦上天主堂の惨状信仰の象徴が崩れ落ちた瞬間長い迫害の歴史を乗り越え、1914年に完成した浦上天主堂は、東洋一の壮大な教会として信仰の象徴とされていました。しかし、原子爆弾の爆風により、鐘楼ドームは吹き飛ばされ、わずかに側壁を残すのみとなりました。館内では、被爆した浦上天主堂の側壁(再現造型)をはじめ、天使像やロザリオなどの貴重な被災資料を展示しており、原爆がもたらした甚大な被害を知ることができます。
    長崎原爆投下までの経過
    長崎原爆投下までの経過原爆投下へと至る決断の背景1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されるまでの経過を、年表や写真資料とともに詳しく展示しています。8月6日に広島に投下された後、アメリカ軍は長崎を第2目標として決定。9日、小倉への投下が断念された後、長崎へと進路を変更し、11時2分に原爆が炸裂しました。館内では、長崎型原爆「ファットマン」の実物大模型も展示されており、当時の決定がどのように下されたのかを知ることができます。
    被爆した長崎の街
    被爆した長崎の街爆心地から広がる破壊と被害の全貌長崎に投下された原子爆弾は、爆心地を中心に甚大な被害をもたらしました。館内では、長崎市街の地形模型を展示し、天井からのモニターを通じて、火球、熱線、爆風、火災、放射線の広がりを視覚的に再現しています。また、模型の周囲に設置された5台のモニターでは、当時の写真や映像を用いて、被害の状況を詳しく知ることができます。
    熱線による被害
    熱線による被害圧倒的な高熱がもたらした壊滅的被害原爆の爆発とともに放出された強烈な熱線は、わずか3秒の間に地上を高熱で包み込みました。爆心地では地表温度が3,000~4,000度に達し、1キロメートル離れた地点でも約1,800度、1.5キロメートル付近では600度以上と推定されています。この異常な高熱により、広範囲で火災が発生し、多くの建物が焼失しました。展示では、『熱線の検証』『熱線による物的被害』『火災による被害』『熱線による人的被害』について、被災資料や写真を用いて詳しく説明しています。さらに、爆心地から4キロメートル離れた地点でも屋外にいた人が熱傷を負ったことから、熱線の影響がどれほど広範囲に及んだのかを知ることができます。
    日中戦争と太平洋戦争
    日中戦争と太平洋戦争戦火に包まれた15年間の歴史広島と長崎に原爆が投下されるまでには、長い戦争の歴史がありました。1931年の満州事変を発端に、日本は日中戦争へと突入し、その後、1941年に太平洋戦争が勃発。戦争は1945年の敗戦まで続き、15年もの間、日本だけでなく朝鮮や中国をはじめとするアジア諸国を巻き込みました。館内では、当時の写真や資料を通じて、戦争がどのように拡大し、最終的に原爆投下へとつながっていったのかを知ることができます。
    原爆投下への道
    原爆投下への道科学の発見が戦争兵器へと変わる過程1938年、ドイツで発見された原子核分裂の技術は、やがて巨大な原子力エネルギーの軍事利用へと進んでいきました。第二次世界大戦中、ドイツの原爆開発の動きを警戒したアメリカは、莫大な資金と多くの科学者を投入し、「マンハッタン計画」を推進。ドイツの敗北が決定的になると、開発された原爆の投下目標は日本へと移りました。そして、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎へ原爆が投下されました。館内では、原爆開発の経緯や当時の国際情勢について、資料や映像を通じて知ることができます。
    核兵器の時代
    核兵器の時代終わらない核開発競争と平和への模索第二次世界大戦後、広島・長崎の悲劇を教訓に、多くの科学者が核兵器の危険性を警告しました。しかし、世界は冷戦時代に突入し、アメリカとソ連による核兵器開発競争が激化。原子爆弾に加え、水素爆弾や中性子爆弾が次々と開発され、核兵器を保有する国も増えました。「核兵器が抑止力となり戦争を防ぐ」という考えのもと、開発競争は止まることなく続いています。 一方で、核拡散を防ぐための国際的な取り組みも進められました。核不拡散条約(NPT)の制定や、南半球を中心とした非核兵器地帯の創設など、核兵器の拡散を抑えるための対策が講じられています。また、核兵器廃絶を願う人々の声が世界中で広がり、平和運動へと発展しています。館内では、核兵器の開発競争とその影響、そして核軍縮への取り組みについて、資料や映像を通じて知ることができます。
    現代の核兵器
    現代の核兵器増え続ける脅威と核廃絶への課題原子爆弾が初めて開発されてから半世紀以上が経った現在も、地球上には人類を滅ぼしてもなお余るほどの核兵器が存在しています。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国をはじめ、核兵器を保有する国は増え続けており、核拡散のリスクが高まっています。 現代の核兵器は、広島・長崎に投下された原爆と比べて圧倒的な破壊力と精度を持ち、その脅威はかつてないほど深刻化しています。核戦争のリスクが常に存在するなか、一日も早い核兵器の廃絶が国際社会の大きな課題となっています。館内では、核軍拡の現状とその影響、核軍縮への取り組みについて詳しく知ることができます。
    核兵器開発・実験の被害者達
    核兵器開発・実験の被害者達核実験がもたらした被害と今も続く影響長崎に原爆が投下されてから9年後の1954年3月、アメリカは南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を実施しました。この実験により、近海で操業していた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員は深刻な被曝を受けました。半年後に亡くなった久保山愛吉さんは、死の床で「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残しました。しかし、その願いもむなしく、核兵器の開発と実験はその後も繰り返されました。 核実験が行われた地域では、多くの人々が放射線の影響を受け、健康被害に苦しみ続けています。また、放射能汚染は自然環境にも深刻な影響を及ぼし、今なお被害が残っています。館内では、核兵器開発・実験がもたらした被害の実態や、現在も続く影響について知ることができます。
    長崎から世界へ
    長崎から世界へ被爆地から発信する平和へのメッセージ長崎市は、被爆都市としての使命を胸に、核兵器の脅威を世界へ訴え続けています。毎年8月9日には「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開催され、市長による「長崎平和宣言」を通じて、核兵器廃絶への決意を発信しています。これは、世界の人々へ向けた被爆地からの重要なメッセージとなっています。 長崎と広島は協力し、核兵器廃絶を目指す都市間ネットワークを構築。海外で開催される「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」では、被爆の実相を伝える写真や資料を展示し、核の恐怖を伝えています。また、世界の都市とともに「平和首長会議」を設立し、日本国内では「日本非核宣言自治体協議会」を通じて、非核都市の拡大に取り組んでいます。 長崎市は、「核兵器のない世界」の実現を目指し、これからも平和活動を続けていきます。館内では、長崎から世界へ向けた核兵器廃絶の取り組みを詳しく知ることができます。
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    ショップ・レストラン

    ミュージアムショップ
    ミュージアムショップ営業時間 9月~4月 8:30~17:30 5月~8月 8:30~18:00 8月7日~9日のみ 8:30~20:00
    喫茶(ピースカフェ)
    喫茶(ピースカフェ)10:30~17:00(ラストオーダー 16:30)
    ハチミツトースト~アイス添え
    ハチミツトースト~アイス添え
    ロコ・モコ
    ロコ・モコ

    設備・サービス

    授乳室 あり
    授乳室を利用希望の際は、総合案内(東館1階)または警備員に申し出ると、案内してもらえます
    おむつ替えスペース あり
    トイレ内にはおむつ替え用のベビーベッドも完備されています。
    コインロッカー あり
    コインロッカーは100円リターン式が96台あります
    ベビーカー貸出 あり
    エントランス受付にてベビーカーの貸出があります。
    車椅子の貸出 あり
    エントランス受付にて車椅子の貸出があります。
    バリアフリー対応 あり
    スロープやエレベーター、多目的トイレも設置されており、車椅子の利用者や身体の不自由な方にも配慮されています。
    救護室 あり
    Wi-Fi あり
    音声ガイド あり
    日本語を含む多言語(英語、韓国語、中国語など)対応の音声ガイドがあり、157円でレンタルできます。
    喫煙所 なし
    館内は全面禁煙です。
    ATM なし
    駐車場 あり
    普通車60台分の駐車スペースがあり、身障者専用スペースもあります。最初の1時間は100円、その後は30分毎に100円の料金が発生します。

    よくあるお問い合わせ

    資料館の開館時間は何時から何時までですか? 開館時間は通常、午前8時30分から午後5時30分までです。最終入館は閉館30分前となっています。詳細な営業時間や休館日については、公式サイトで確認してください。
    資料館の展示内容はどのようなものがありますか? 長崎原爆資料館は、原爆投下当時の被害状況や復興の過程、世界の核兵器に関する資料などが展示されています。被爆者の証言や遺品も展示されており、平和へのメッセージが込められた内容です。
    館内で写真やビデオ撮影はできますか? 館内の見学風景の撮影は可能です。ただし、フラッシュの使用、三脚・自撮り棒の利用は禁止されています。特定の展示エリアでは撮影が一切できませんので、注意が必要です。詳しくは事前にお問い合わせください。
    ペットの入館はできますか? ペット同伴での入場は原則として禁止されています。ただし、補助犬は一緒に入場できます。詳細は公式情報をご確認ください。
    館内での飲食は可能ですか? 館内での飲食はできません。ただし、地下1階のいこいの広場で水分補給は可能です。また、地下1階には軽食を提供するカフェ、1階には自動販売機が設置されています。
    再入場はできますか? 当日限り、再入館が可能です。再入館時には、観覧券を係員にご提示ください。
    千羽鶴を贈りたいのですが、どこに送ればよいですか? 千羽鶴はエントランスロビーに展示することができます。直接持ち込むか、郵送での郵送となります。郵送先は長崎原爆資料館の住所をご確認ください。展示スペースが限られているため、順次入れ替えが実施されます。