鎖国時代、唯一の貿易港として西洋や中国の要素を取り入れた独自の文化が発展をとげました。中華街や、洋館群が織りなす多彩な街並みや、ちゃんぽんや皿うどん、カステラなどの特徴的なグルメも長崎ならではです。また、キリスト教禁教時代に多くの殉教者を出し、その後、被爆地ともなった長崎は、平和への静かな祈りの地でもあります。
観光スポット
鎖国時代の日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口であった出島には、19世紀には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物がありました。明治期にその役割を終え、人々の記憶からも消えかけていましたが、今から約60年前に長崎市が出島の復元に着手し、2016年にも建物6棟が復元され一般公開されています。
1865年(慶応元)年献堂。現存する日本最古の教会堂。250年間潜伏を続けたキリシタンが、ついに神父と出会って信仰を告白した劇的な「信徒発見」の舞台でもある。西坂の丘で殉教した二十六聖人へ祈りを奉げるために建てられたため、正面は西坂の丘に向けられています。
外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった海底炭坑の島には、最盛期には約5300人が住み、日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより閉山、島は無人となりました。現在では多くの方が上陸ツアーで訪れ、2015年には世界文化遺産としても正式登録されています。