盛岡藩南部氏鎮守。八幡宮例大祭では山車の巡行や流鏑馬が有名、境内には米内光政像、田村了咲句碑などがあります。南部氏は、もともと八幡神を氏神と仰ぐ家柄でした。今から約800年ほど昔に南部の藩祖である南部光行公が、 居城を三戸から不来方に移す際に、不来方の豪族である日戸氏が代々信仰していた鳩森八幡宮を修復し、 この地方の守護神として城内におまつりし、氏神と仰ぎました。城内の八幡社を藩主が篤く信奉するこ
岩手県北部岩手町御堂(御堂観音境内の湧き水という説が一番有力)を源として、北上・奥羽山脈から発する幾多の大小支流河川をあわせて、岩手県の穀倉地帯を南に縦貫し一関下流の狭窄部を経て宮城県に入る。その後旧北上川を分流、本線は追波湾に、旧線は石巻湾に注ぐ。本流が太く支流が細いという特徴があり、多くの支流は排水路的な役割をもつ。盛岡駅前を流れ、そこからは岩手山ものぞむことができる盛岡を代表する景観を作り上
盛岡インターから車で10分、市の中心部からも20分余りの距離にあり「盛岡の奥座敷」とよばれるつなぎ温泉は、平安末期、前九年の役のさなかにここに本陣を置いた源義家が発見したと伝わる由緒ある温泉です。温泉郷の周辺には広大な自然を利用した観光施設や名所も集中しており、温泉を基地にしたレジャーも魅力。すぐ近くの盛岡手づくり村や小岩井農場などは親子連れにもおすすめです。
萬鐵五郎、松本竣介、舟越保武を柱とした郷土作家の作品を中心に収集展示し、また国内外の様々なテーマによる企画展を開催している。同時に講演会やワークショップ、コンサートといった美術に親しむための様々なイベントを開催している。企画展の観覧券で常設展も見学可能。
岩山公園内にあるファミリー向けの遊園地で,観覧車からは雄大なパノラマが楽しめるスピンコースターやアポロなどの絶叫マシーンや、サイクルモノレール・ゴーカートなど多くの遊戯施設を備えている。夏季はナイター営業も。
日本一美しいといわれる人造湖。白樺・赤松などの林が神秘的です。湖畔には、シラカバやナラなどの広葉樹が群生しており、春の新緑や秋の紅葉など、四季それぞれに美しい風景を観ることができます。また、周辺には、キャンプ場や広場、遊歩道が整備され、冬にはワカサギ釣りが楽しめる。
自然の地形を活かした盛岡市の動物園。飼育展示のほか、動物とのふれあいや昆虫や植物の観察、園内の散策も楽しめる。サルやキリン、ヒツジ、ピューマなどへのエサやりや、ゾウの宿舎で一緒に遊ぶ体験ができる。川が流れていたり、芝生広場、園内を見渡せる展望台を目指して散策も楽しめる。園内のレストランには、雨の日平日限定のサービスも実施。ショップには地元アーティストとのコラボ商品もあるので、お土産にチェックするの
盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、 盛岡のお国自慢をするとき、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、 よく取り上げられる珍しい桜です。 巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、 樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。 巨大な花崗岩と調和した威厳ある美しい姿と珍しさでは、 日本一といっていいのではないでしょうか。この石割桜にもかつて危機がありました。
不来方(こずかた)城と呼ばれる南部氏の居城跡。啄木や賢治もよく訪れたといわれる。日本の都市公園100選の一つである盛岡城跡公園は、盛岡城主の居城跡を利用した公園。園内には、新渡戸稲造や石川啄木、宮沢賢治ら、ゆかりの文人達の歌碑も置かれている。また園内では冬は、盛岡雪あかり、春には「桜まつり」ほか様々なイベントが開かれる。
明治20年春、啄木誕生の1年後、父石川一禎は、日戸村の常光寺から渋民村の宝徳寺へ栄進しました。その時、石川家の子供は、姉のサダ、トラ、妹のミツの3人姉妹と一人息子の一(はじめ:啄木)の4人でした。明治38年1月、父一禎は住職を罷免され、一家は渋民村を去りました。万年山宝徳寺は、万治元年1658年に開基され、村内一の檀家を擁しています。啄木は、この寺に幼少時代を送りました。寺はその後改築されました。
木の香漂う明るいクラフトの店。陶器やガラス製品などの器や漆器の他に和紙などすてきなデザインの小物類が多く、珈琲館では、味のクラフトも人気。宮沢賢治の処女作「注文の多い料理店」の出版元です。
赤煉瓦造りに緑のドームとルネッサンス風の輪郭の厳格さを現わしており,当時の洋風建築の特徴をほぼ完全な姿で伝えている。内部には付け柱を用い、天井に石膏モチーフを施す等豪かな内装が明治期の銀行建築の姿を良く示している。 設計は東京駅でも知られる、辰野・葛西建築設計事務所による。辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品でもあり、昭和52年1月20日に盛岡市保存建造物に指定された。平成24年8
上田堤が造られたのは、南部26代藩主信直公が三戸より盛岡に移り、盛岡城築城を開始した慶長年間から寛永年間といわれています。当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれました。この上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が、現在の高松の池となって残っています。上田堤付近は南部公の鷹狩りの場であり、また、松林の美しさが有名で
御所湖は、上流から流れ込む雫石川をせきとめてつくられた、巨大な人造湖です。湖周囲はレジャーやスポーツのメッカ。湖上ではウインドサーフィンやボートセイリングが盛んに行われ、周辺には釣りやスポーツなどが楽しめる施設もあり、総合レジャースポットとして親しまれています。
みちのくの空に美しい三角形を描く姫神山。詩人石川啄木のふるさと盛岡市玉山区の中央に高まる花崗岩の残丘で、標高1、123.8M。子供からお年寄りまで登れる山として親しまれ、岩手三山に数えられる名峰です。代表的な登山道のひとつ、一本杉コースの登山道は松林から杉林に続き、樹齢約300年といわれる杉の古木に出会います。雑木林・低木帯を抜けると突然眺望が開き、山頂を覆う巨石郡が現れます。頂上では西にそびえる
県制100年を記念して昭和55年に開館した岩手地方の資料を幅広く展示する総合博物館。岩手の歴史を時代の流れに沿ってテーマ別に展示している総合展示室,動物や地質などの自然や,考古・民俗などを各分野に分けて展示する分類展示室,岩手県ゆかりの画家や彫刻家の作品を展示する近代美術展示室などがある。特に萬鉄五郎の作品や遺品は約1600点に及んでいる。また古い民具を実際に使用してみることのできる体験学習室や,
市中心部から北寄りの名須川町界隈は、お寺や神社が十社余り続く寺の町。この周辺にお寺が集中したのは南部盛岡藩時代のことである。藩ではその権威と城下の繁栄を願って、領内の由緒ある寺を二つの地区に移した。それが寺町通りのある、北山寺院群と南の寺の下寺院群(盛岡市大慈寺町)で、現在でも北山と名須川町周辺には20軒あまりのお寺がある。 かつて沿岸と内陸を結ぶ重要な街道だった寺町通りは、あたらしい道に生まれ変
2011年7月に開館した文化施設。1階では盛岡の観光情報や伝統文化を紹介し、2階では城下町盛岡の成立過程や盛岡藩主南部家に関する資料を展示しております。
上田堤が造られたのは、南部26代藩主信直公が三戸より盛岡に移り、盛岡城築城を開始した慶長年間から寛永年間といわれています。当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれました。この上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が、現在の高松の池となって残っています。上田堤付近は南部公の鷹狩りの場であり、また、松林の美しさが有名で
標高約340mの頂上にあり,盛岡駅から車で15分の所に位置する岩山の展望台は,市街地はもちろん,岩手山や八幡平を含む奥羽山系から北上山系まで一望でき迫力満点。背後には岩手山が望める。盛岡全景を望む夜景スポットとしても人気がある。