水神を祀る貴船神社は、古くから雨乞いや雨止めの神事が行われた。また、和泉式部が夫の愛を取り戻したなどの逸話が残る縁結びの神様でもある。本宮の本殿前の石垣から御神水が湧き出しており、その山水は弱アルカリ性でミネラルやカルシウム分がたっぷり含まれているという。貴船神社のおみくじは、この御神水にひたせば文字が浮かび上がる水占みくじとなっている。
1895年、平安遷都1100年を記念して創建された神社。24mの高さがあり、国の登録有形文化財になっている大鳥居が神宮道をまたぐ。鮮やかな朱色と緑に塗りわけられた社殿は、朝堂院を模している。広大な庭園には珍しい鳥類や、甲羅に草を生やすミノガメ、本州では珍しい南石亀などが生息する。
相国寺の塔頭寺院のひとつ。正式名称は東山慈照寺という。建立は室町幕府の八代将軍である足利義政が命じ、金閣寺をモデルに建造したといわれている。江戸時代中期の建築で、銀閣寺創設当初から残る遺構のひとつである「東求堂」は、国宝に指定されている。内部は非公開だが、江戸期の南宋画家・巨匠与謝蕪村や池大雅の襖絵が所蔵されているという。見どころは、国宝の観音堂「銀沙羅」や、池泉回遊式庭園の「錦鏡池」。
京都最古の歴史がある神社で、ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」のひとつとして登録されている。上賀茂神社・下鴨神社は、伊勢神宮以外で天皇家の斎王が奉仕した神社であり、古くから重要視されている神聖な場所。東西に位置する本殿「賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)」「玉依媛命(タマヨリヒメノミコト)」は共に国宝に指定。縁結びや美人祈願の名所として知られ、特に女性人気が高い。境内にある「糺の森(ただ
日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇り、京都五山の上におかれる別格扱いの寺であった。歌舞伎にもある石川五右衛門の伝説で有名な三門など,堂塔伽藍が並ぶ。方丈庭園(名勝)は小堀遠州作の「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園。予約をすれば、座禅などの体験も出来、南禅会館にて宿泊もできる。(tel 075-771-2846)2層からなる三門は高さが22mもある。国宝の方丈は、大方丈と小方丈から
回廊で結ばれた諸堂が並ぶ。古来より紅葉の名所として名高く、みかえり阿弥陀如来(重文)も有名。
明治36年(1903)4月1日に開園した、日本で2番目に歴史ある動物園。約130種の動物を飼育している。平成27年11月に全面リニューアルオープンした。土曜日、日曜日、祝日を中心に、動物が餌を食べる様子が観察できる「ごはんですよ〜!」、「飼育員のお話」、獣医師によるガイドツアー「獣医が行く!」などさまざまなイベントを実施している。おとぎの国では、ウサギ・テンジクネズミなど小動物と触れあえる。「ゾウ
牛若丸修行の地として知られる寺。深い木立ちの中に本堂,金堂などが点在,鞍馬山霊宝殿もある。
総面積24万?の園内で約12000種類の美しい花・木を四季折々観賞できる。また、観覧温室は日本最大級で約4500種類もの植物が展示されている。春にはソメイヨシノやヤエベニシダレ、御衣黄など、約160品種450本の桜を1ヶ月以上楽しめ、桜と赤いチューリップとのコントラストは植物園を代表する景色となっている。
重厚な銅板葺屋根の帝冠様式がひときわ目を引く美術館が2020年3月21日にリニューアルオープン。日本を代表する建築家青木淳・西澤徹夫の革新的なコンセプトに基づき、竣工当時のデザインを活かしながらガラス張りの地下エントランスや現代アート展に対応した新館「東山キューブ」など現代的な要素を加え、高機能化。清新なイメージで「故」と「新」が重なる新しい美術館となる。竹内栖鳳、上村松園ら京都画壇の作品を中心に
天台五ヶ室門跡の一つ。国宝の阿弥陀三尊を安置する往生極楽院(重文)が建つ有清園は、杉木立と苔が素晴らしい。春は桜とシャクナゲ、夏はアジサイ、秋の紅葉、そして雪景色と移ろいゆく四季が美しい。
「日本の道百選」に選定。建設省認定。「日本の道百選」選定委員会により、市民に親しまれ愛されている道として選ばれた。「哲学の道」はもともと「思索の小径」と呼ばれていた。
圓光寺は、徳川家康が国内教学の発展を図るため足利学校第9代学頭・三要元佶を招き、伏見に学校と木製活字を与え書籍を刊行した。現存する活字では日本最古のものであり、重文に指定されている。また、本堂前の水琴窟の妙音は拝観者の心を和ませ、庭園の新緑・紅葉は美観を呈している。
工芸と国内外の近代・現代美術に重点をおいたコレクションを展示するコレクション・ギャラリーのほか、さまざまな企画展を行っている。特に、長谷川潔の銅版画と河井?次郎の陶芸は、作家の全貌をうかがえるほどのコレクションである。
黒谷さんの愛称で親しまれている浄土宗大本山。法然上人が比叡山を下りて草庵を結んだのが始まり。幕末に会津藩京都守護職の本陣となり、近藤勇らを配下としたので新選組発祥の地と言われている。徳川秀忠夫人崇源院(江)の供養塔もある。
禅寺風の本堂、鐘楼や独特の形をした蓮華寺型石燈篭などがある。江戸時代に洛中から現地へ移築。
平安京鎮護の神として創建され、厄除け開運の神として信仰される社。春日造りの本殿を中心に、全国の神々を祀る大元宮をはじめ、菓子や料理の神社などもある。2月の節分祭は多くの参拝者でにぎわう。
正式には六六山詩仙堂丈山寺といい、寛永18年(1641)丈山隠棲のため詩仙堂を建立、終の棲家と定めた草庵。三十六歌仙にならい中国歴代の詩人36人を選び三十六詩仙とし、狩野探幽・尚信に肖像を描かせ、丈山自らも各詩人の詩を墨書きした額とともに詩仙の間に掲げた。これが詩仙堂の名の由来となっている。庭園は丈山好みの唐様庭園で、堂の東南に洗蒙瀑(滝)を配し、その落水を詩仙の間の南の廊下に沿わせ、流れを曲げ、
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一疏水(約26kmの水路、琵琶湖〜蹴上〜発電所〜動物園〜伏見の本流と南禅寺から堀川に抜ける支流)と日本初の水力発電所を竣工。また、明治41年(1908)から4年を費やし第二疏水を建設した。なお、哲学の道は第一
聖徳太子創建と伝えられ、平家滅亡後、建礼門院が入寺、仏門の生涯を送ったことで知られる。