津山城は、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟森忠政が、鶴山(つるやま)に築いた平山城です。明治の廃城令で、建造物は取り壊されましたが、地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残しています。天守の南東側の備中櫓(びっちゅうやぐら)が、築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されています。城跡は『さくら名所百選』にも選ばれた西日本有数の桜の名所となっていて、桜の季節には毎年多くの
津山まなびの鉄道館は、日本に現存する扇形機関車庫の中で2番目の規模をほこる「旧津山扇形機関車庫」や収蔵車両を中心とするさまざまな展示と憩いの施設で構成されています。
建築家 磯崎新氏プロデュースのもと3組のアーティストへ作品を依頼し、それぞれ太陽、月、大地の3つの展示室からできています。空間の形や光、視点と感触、過ぎゆく時間とあらゆる要素が一体化した場に身を置いて、ひとときの瞑想をお楽しみください。
世界の希少動物約800種の剥製を中心に、蝶や貝類、化石などを展示する自然科学の総合博物館。インドライオンやローランドゴリラ等、現在ではワシントン条約によって輸入が禁じられている貴重な剥製を間近に見ることができる。
建物は、旧津山市庁舎を増改築したもので、市内各地の出土品、藩政時代の史料等を展示しています。主な展示資料に1500万年前の奇獣パレオパラドキシアの骨格復元模型、古墳時代の美作を特徴づける陶棺(とうかん)などがあります。また、様々な企画展示も行っています。※令和2年4月のリニューアルオープンを記念して令和2年4月1日(水)から5月24日(日)まで、津山藩ゆかりの名刀「童子切安綱」及び「石田正宗」の写
標高270mから見下ろす旭川湖を一望できる桜の山にある公園。桜の名所として知られていて、春の桜のシーズンには園内に約5,000本、ダム沿いに約3,000本の桜が咲き誇ります。また、桜の終期には約1万本のツツジが山を彩ります。
建物の外観は貝殻をイメージして作られています。「ビカリア」とはウミニナの仲間で、すでに絶滅した巻貝です。館内には動植物の化石50種類、約300点を展示しています。ビカリアの採掘量では国内最大級で、屋外展示場では実際にビカリアなどの化石の発掘もでき、現在でも時々新種が発見されています。
江戸時代の鎖国下で西洋の学問を研究し、文明開化の礎を作った津山に縁の学者たちの資料を中心として収集・保管・展示している。
慶長12年(1607)に建立された津山藩主森家の菩提寺。装飾性あふれる霊屋と表門は、寛永16年(1639)の建立で、江戸前期の霊廟建築として貴重です。霊屋背後には森忠政等の大型五輪塔墓があり、石敷の参道や石灯籠とともに、津山藩主一門の菩提所としての威厳を保っています。7月7日は、津山藩初代藩主森忠政の御命日で、毎年この日に御霊屋の扉を開けます。
地球の生いたちをテーマに恐竜の模型や太陽の広場、80mのローラーすべり台がある。
中世の美作の政治の中心地で、院庄の館(いんのしょうのやかた)のあった所で国指定の史跡です。鎌倉時代の末頃、後醍醐天皇が隠岐に流される途中この館にお宿りになり、児島高徳(こじまたかのり)が館の庭の桜の幹を削って十字の漢詩を書き、天皇をお慰めしたという故事により、明治2年に創建され、後醍醐天皇と児島高徳公をお祀りしてます。
町民みんなでつくる郷土美術館として町内画家の作品、出土遺物、文化財の展示など行っている。明治から昭和にかけて我国の芸術文化の一翼をになった本町出身の画家・文学者らの仕事を顕彰するための施設として、又、地域で創作活動を行う作家や芸術団体、生涯学習講座等の作品発表の場として利用いただく。
かつて、たたらの山里として栄えたところ。萱葺き屋根の民家や風景往時の石畳道、棚田の風景など、懐かしさと歴史が感じられる。
馬桑側の源流にあり、水はとても冷たく澄んでいます。戦国の武将 延原弾正の屋敷跡があったというところから屋敷の滝といわれており、深い緑に囲まれた中を約40メートルの高さから落ちています。