山口県漁協萩地方卸売市場直結の道の駅。萩名物の伝統菓子「蒸気まんじゅう」をはじめ、果物や野菜など「地産地消」にこだわった萩市の特産品やお土産が豊富に揃っている。特筆すべきは、隣接する萩漁港から直送された新鮮な魚介類の数々だ。鮮魚店には、水揚げされたばかりのキハダマグロや瀬つきアジなどがずらりと並ぶ。買った魚をその場で刺身に調理してもらい、テイクアウトすることも可能。魚好きにはたまらないスポットだ。
萩市街の北約45kmの日本海に浮かぶ孤島。面積約7.8平方km。ジーコンボ古墳群や笠石遺物などが島のいたるところに残っている。見島牛産地・カメ生息地が国の天然記念物に指定されている。玄武岩台地の火山島で、標高180mのイクラゲ山がある。周囲はほとんど海食崖をめぐらしている。島内の水田帯は砂州でふさがれた潟湖が陸化した沖積低地である。
維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、明治40年(1907)伊藤博文らによって建立されました。境内には、松陰が主宰した私塾「松下村塾」や松陰の遺墨や遺品類などを展示する「至誠館」、松陰の生涯をつづる「歴史館」などがあります。
死火山で標高320m。中国百名山の一つで、山頂からの眺望は最高。青海島の代表的な景観である断崖絶壁、石柱など日本海の美しい景色が楽しめます。
萩博物館は、旧萩城内にあたる堀内地区重要伝統建造物群保存地区内の大野毛利家上屋敷跡にあり、博物館本体は鉄筋コンクリート造りですが、瓦屋根を設け、木材を多く用い、武家屋敷の構成や外観の特徴にならっています。
元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗の寺院で、大照院と並んで毛利家の菩提寺である。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残している。本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並ぶ。このほか殉難
遠くから見ると笠の形をしているので「笠山」の名があります。頂上までドライブウェイがあり、頂上からの日本海とそれに浮かぶ島々を望むことができます。日本海に突出した陸繋島をなす玄武岩類からなる成層火山で、60mの火山台地の上に噴火口があり、火山丘には小規模ながら完全な形の火口が残っています。小さな活火山で、山中は寒暖地性の植物が混生し学術上高い価値があります。
萩市内中心地にある浮世絵、東洋陶磁、陶芸を中心とした美術館。観光地、観光施設を紹介する旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」(改訂第2版:5月13日発売)において、第1版に続き、二ツ星「寄り道する価値がある(★★)」を獲得しています。
北長門海岸国定公園内にある萩市北部の白砂の海岸です。砂浜からは、国指定史跡萩城跡、沖合いには笠山や、大島・相島など多くの島々を眺めることができます。日本の夕陽百選にも選ばれるほどのすばらしい景観をお楽しみいただけます。夏には海水浴が楽しめます。
海食海岸で第三紀層の砂岩、頁岩の互層が熱作用によりホルンフェルン化したもので、黒色と淡灰色の岩が互層をなしている美しい断崖です。わが国の学術上においても極めて重要視されています。
萩市から車で約30分ほどの場所にある、千体地蔵が有名なお寺。境内には、木彫りの猫や招き猫などさまざまな猫の置き物をはじめ、猫のおみくじやお守り、絵馬などがあり、”猫寺”と呼ばれ親しまれています。
安政5年(1858)に築かれたもので、艦船銃砲等の材料熔解製造に用いられていました。炉は玄武岩とレンガを使用し、基底は長方形で上部が漸次狭くなり、2本の煙突にわかれていて、高さは11.5mあります。2015年7月世界遺産登録決定(明治日本の産業革命遺産)
澄んだ空気の中でレーシングカートが楽しめます。レンタルカートが楽しめるナチュラサーキットや、ラジコンコースが充実。キャンプ場も完備しており、宿泊者は丘の上にあるジャグジー風呂を利用できます。
幕末の「萩ガラス」を現在の最新技術で復活させた工房。笠山の石英玄武岩を基に独特の色合いを持つ。
県内では珍しいカルシウム・ナトリウムの塩化物温泉。19もの症状に適します。松陰神社・東光寺のそばにあります。情緒溢れる萩の城下町が再現された湯屋街「湯の丸」では地下2千mの深層から湧き出した、2万年の眠りから覚めた神秘の湯を男女各7種類の浴槽で楽しめます。中央には開放的な庭園がありそれを囲む回廊仕立ての通路に趣向を凝らしたお風呂が並び、土塀露天風呂や城壁露天風呂など城下町萩をイメージしたつくりで、
近世の製鉄の歴史を知るうえで貴重な遺跡です。安政4年(1857)長州藩が建造した庚神丸には、この大板山たたらで生産された鉄が使用されたと記録されています。2015年7月世界遺産登録決定(明治日本の産業革命遺産)
北長門海岸国定公園内にあり、国指定史跡の萩城跡から萩湾に沿って、浜崎商港まで続く白砂青松の海岸。砂浜からは国指定天然記念物の「指月山」、沖合には笠山や多くの島々を眺めることができる絶好のロケーションです。「快水浴場百選」に選ばれており、美しい夕景も絶景です。菊ヶ浜の松原は、古くは阿武の松原として歌にも詠まれ、日本名所記にも載っている。海水の透明度が高く、海水浴シーズンはファミリーなどで賑わいます。
藩の豪商であった菊屋家の屋敷。幕府巡検使の宿として度々本陣にあてられました。江戸初期の建築、日本最古の町屋に属し、主屋をはじめ5棟が国の重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されています。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。
指月山は標高143m、花こう岩でできた小さな丘です。防長二州に封ぜられた毛利氏はこの山麓を埋め立てて築城しました。それ以後森林は城内林として保護され、今日に至っており、温暖帯照葉樹林として全国でもまれな森林となっています。
東京都品川区にあった建物の一部を、萩市が無償譲渡を受けて伊藤博文旧宅側に移築したものです。
茅葺き平屋建ての小さな建物。博文は、14歳から13年間両親とここに住み、萩の松下村塾には17歳より通いました。
約2kmの白砂の海岸です。浜の西のはずれにはキャンプ場もあり、海水浴&キャンプを楽しむこともできます。車で約5分のところに「道の駅 阿武町」があり、日本海温泉「テルメ阿胡」もあります。
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれました。藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。文久2年(1862)、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文