別子・翠波はな街道沿いにある道の駅。別子銅山最後の採鉱本部跡地を利用した鉱山のテーマパーク「鉱山観光」では、日本初の山岳鉱山専用鉄道を復元した鉱山鉄道に乗車、観光坑道を見学できる。そのほか砂金採り体験や、露天風呂や岩盤浴がある温浴施設、屋内で子どもたちが遊べるキッズパークがある。レストランでは新居浜の食材を利用したメニューを味わえる。新居浜や愛媛の特産品を購入できるショップはお土産探しにぴったりだ
愛媛県の生涯学習の拠点施設のひとつとして、また、自然や科学技術に対する理解を楽しみながら深めていく施設として、平成6年11月11日オープンしました。館内には「自然館」「科学技術館」「産業館」の3の常設展示室があり、「自然館」では宇宙のゾーン、地球のゾーン、愛媛のゾーンが「科学技術館」では素のゾーン、生のゾーン、伝のゾーン、動のゾーンがあり、また「産業館」では、愛媛の地場産業、伝統産業を実物標本やレ
四国の瀬戸内側のほぼ中央に、四国最大級の規模を誇る「マリンパーク新居浜」があります。さわやかな潮風ときらめく太陽のシャワーをいっぱい受けながら、波静かな瀬戸内海へ大航海をお楽しみください。
日本三大銅山の一つである別子銅山の意義を永く後世に伝えるため、住友グループによって建設されたものです。建物は鉱山坑内をほうふつさせる半地下式構造で、開坑以来の歴史史料や出来事・生活・技術に関する史料が展示されている我が国でも傑出した鉱山資料館です。屋外には別子鉱山鉄道を走った別子一号蒸気機関車等も展示されています。
滝の宮公園は、市街地に近く、自然に恵まれた風致公園で、公園の各所には、ソメイヨシノなど約1、360本の桜の木が植えられ、桜の名所として毎年多くの花見客で賑わうほか、ヤマモモ、モミジ、ハギ、クス、ツバキ、ツツジなどの樹木が四季折々の移り変わりを見せてくれます。面積は41.7ha、園路の総延長は約4.8kmで休憩所が8箇所、藤棚2箇所などが設置されています。また、園内には、動物舎や児童広場、展望台(2
山根公園は、健康運動公園として平成5年度に完成しました。公園面積は10.2haで、運動広場、体育館、温水プール、テニスコート、トリム広場、入口広場、噴水のある中央広場、芝生広場やちびっこ広場などがあり、公園内を周回するジョギングコースを整備されています。新居浜太鼓祭りの中日、10月17日には上部地区の太鼓台(19台)が集まり、勇壮華麗なかきくらべが行われます。
黒島海浜公園は、瀬戸内海の自然海岸を有する公園で、魚釣りを楽しんだり、スポーツで汗を流すことができる風致公園です。面積は、約12.6haで芝生広場、噴水広場、スケートプラザ、幼児広場、児童広場、モニュメント広場、展望広場、スポーツ広場、野外音楽堂、展望台、キャンプ場などが整備されています。
新居浜東港に隣接した市街地近接型でありながら、四国最大級のマリーナ施設をはじめ、人工海浜、キャンプ場、宿泊・研修施設、多目的グラウンド、レストラン等を備え、多彩な用途に対応したリゾート型のマリーナです。
アケボノツツジ、ミツバツツジなど70種余りが繁茂する全国屈指の高山植物の宝庫です。
優雅なリラクゼーションスポットとしても人気が高く、女性にもすっかりおなじみになったバリ島。その独特で素朴な雰囲気を新居浜の地に再現しました。色鮮やかな花の香りに誘われて一歩足を踏み入れると、そこは緑深きバリの空間。心、からだを癒し満たしてくれるそんなひとときをどうぞ。【泉質】含鉄II・二酸化炭素-ナトリウム・カルシュウム-炭酸水素塩・塩化物温泉(等張性中性温泉)
幕末・明治の動乱期に、政府による接収や住友の経営難による売却から別子銅山を守り、その開発の近代化を推進した広瀬宰平。彼はまた、わが国の産業の育成にも力を注ぎ、国家の発展に貢献しました。広瀬歴史記念館は、住友家初代総理人・広瀬宰平の足跡を通して、新居浜の生い立ちと日本の近代産業の歩みをたどる施設です。
西の谷川の奥にある。滝を中心とした四季のながめが美しい。現在は林道が土砂崩れにより悪路となっており、滝までのアクセスが難しくなっております。
銅山峰周辺は、ツガザクラ、アカモノなどの貴重な高山植物が存在しています。また、銅山峰周辺には、別子銅山の遺跡が多数残されています。
日本最大級の直径45mのドーム型「パーゴラ(藤棚)」を擁する施設。喧騒を離れた別子山地域の標高約650mm〜950mの場所に位置し、総面積は約27haです。公園内施設は、「パーゴラ(藤棚)」のほかに、宿泊施設を備えたレストラン「オーベルジュゆらぎ」、体験学習施設「作楽工房」、椎茸栽培施設「椎茸園」、延長約2,000mの遊歩道などがあります。
伝統的な日本建築様式を持ちながらも、開国により西洋から輸入されたマントルピース、洋式便器、板ガラス、避雷針などの新しい文化が取り入れられた住友家初代総理事であった広瀬宰平の旧邸です。
別子山と新居浜にまたがる別子銅山は、1691年(元禄4年)住友家によって開坑され、1973年(昭和48年)の閉山まで日本の代表的銅山のひとつでした。旧別子銅山または旧別子と呼ばれる一帯は、標高約820mの日浦登山口から、標高1,294mの銅山越までを指し、江戸、明治、大正の三時代の産業・文化遺跡が残されています。現在は、赤石山系の主要登山ルートのひとつでもあります。
瀬戸内海(燧灘)に面した小高い丘の上にある太鼓台の型をした展望台から、瀬戸内の島々、新居浜東港、マリンパーク新居浜などが展望できます。
古来,京都市北野天満宮に安置されていたものを譲り受けたものであり、昭和45年文化財として愛媛県の指定を受けている。輪蔵の中には約2,000冊もの一切経が納められており、回して拝むことにより、すべてのお経を読んだのと同じ功徳があるとされている。