菊池川と岩野川が合流する辺りに湯街が発展している。温泉の発見は古く、平安時代に編さんされた『和名抄』の中にもその名が見られるほどである。湯量は豊富で古くから温泉の余り湯で洗濯する習慣もあり、「山鹿千軒たらいなし」と唄われるほど。市街の中心地にはその泉質を気軽に楽しめる「あし湯」もある。泉質はラドンを含むアルカリ性単純温泉で、泉温は39〜45度。神経痛・リューマチなどのほか美肌作用があるため女性客に
明治43年に旦那衆と呼ばれる山鹿の実業家たちの手によってつくられた芝居小屋です。江戸時代の古典的様式の中にドイツ製のレールを使った廻り舞台など、充実した機能をもっていました。明治44年にこけら落としが行われ、各地より多くの有名な芸能人たちが来演し、大正・昭和にかけて観客を楽しませてくれました。昭和に入ると、テレビの普及などにより一時廃屋同然となってしまいますが、八千代座での数多くの思い出をもつお年
菊池川の支流上内田川が流れ、八方が岳(1,052m)と国見山(1,018m)に囲まれた渓谷にあるキャンプ場。初夏の新緑から秋の紅葉まで目を楽しませてくれます。特に夏場は天然の滝すべりや川遊び等、涼を求める家族連れで賑わいます。キャンプ場、ロッジやバンガローも完備。近くにはヤマメ料理を味わえる食事処や釣り堀などもあり、一日中楽しめます。
かつて合瀬川温泉と呼ばれていた 菊鹿温泉は、1300年ほど前から良質のお湯に恵まれていた歴史のある温泉郷です。温度が高めで、とろりとした独特の肌触りのお湯は「化粧の湯」として女性に人気があります。のどかな田園風景に囲まれた温泉施設が4軒、眺望のよい露天風呂、檜風呂、鞠智城をモチーフにした粋なお風呂、家族風呂など、バラエティ豊かなお湯とあたたかい人情で、お迎えいたします。
国内の1/5の装飾古墳がある菊池川流域。装飾古墳密集地にある国内初の装飾古墳専門の博物館。周辺には墳丘の姿、形の美しさとも日本で屈指の前方後円墳である双子塚古墳を有する岩原古墳群が散在している。建築家は世界的に有名な安藤忠雄氏。
菊池川の支流岩野川上流にある渓谷。豪快な水しぶきをあげる滝をはじめ、渓谷付近を散策できる遊歩道やキャンプ場、ロッジがある。キンモクセイ、シャクナゲ、ヤマザクラ、サザンカなど植物も豊富。マスなどの釣堀もあり、マス料理を食べられる食堂もある。
肥後・熊本(熊本市)を起点として北上し、植木、山鹿から南関を経て豊前・小倉(北九州市)に至る道のことを豊前街道といいます。参勤交代道として栄え、昔から湯のまちであった山鹿は宿場町、文化の中心として栄え、重厚な貫禄が町並みに残っています。豊前街道には、八千代座をはじめ山鹿灯籠民芸館、寺社、薬師堂や、昔の商家を利用した飲食店や土産物屋が並んでいます。あし湯もありますので、休憩をしながら一帯をゆっくりと
家族で安心して楽しめるキャンプ場。矢谷渓谷の新しいアウトドアステージ。渓谷の大自然はもちろん、“あそび”の施設も充実しています。小さな子どもたちに人気のウォータースライダーなどもあります。
山鹿市西部を流れる菊池川水系の岩野川沿いに面しており、プール感覚で楽しめるため、幼稚園児の遠足や遠方からの家族連れなどで賑わいをみせている。公園の近くには、国指定史跡鍋田横穴群や市立博物館もあり、史跡散策も楽しめる。
四季折々の花が咲き乱れる公園は、遊歩道や東屋、公衆トイレが完備され、訪れる観光客のいこいの場となっています。また、63mの大蛇スライダーは子どもたちに大人気。
県内2番目に開館した博物館。鉄筋コンクリート2階建て、延べ面積681平方mと小さな博物館だが、展示されている資料は豊富。山鹿市を中心とした菊池川流域の考古資料、歴史資料、民俗資料、全国に唯一の石包丁形鉄器や30数例しかない巴形銅器など貴重な資料も展示。博物館周辺は肥後古代の森公園として整備され、チブサン・オブサン古墳につながっている。敷地内には、江戸時代後期の民家や全国第二位の用水橋(石橋)である
康平寺は、11世紀中頃、後冷泉天皇の康平元年(1058)、真堂浦(現在の霜野地域)に建立された天台宗の山岳密教寺院です。 「肥後国誌」によると、「康平元年の創建ゆえに康平寺と名付けられ、四方の谷に四つの法塔と九十九院があり、四明が岳の頂に鐘楼をもち、一山の宗が本堂に集まり読経勤行し、多くの寺領を有した」とあることから、天台宗の一大山岳寺院であったと言われています。 本堂(本尊を安置している所)や、
木や金具を使わず、和紙と少量ののりだけで作られる伝統工芸品「山鹿灯籠」の歴史は古く室町時代の金灯籠に始まり、大宮神社への奉納のために作られ受け継がれてきました。その後長い歴史の中で神殿造り・座敷造り・城造りなどと多様化してきました。 その山鹿灯籠が館内に展示され、多彩な灯籠師たちの匠の技を見ることができます。また、山鹿の工芸品も展示・販売され、充実した山鹿工芸の唯一の展示場として、観光客や市民に喜
護國山金剛乗寺(ごこくざんこんごうじょうじ)は、天長年間(824〜834)に空海によって開かれ、かつては建物が大きく西の高野山と云われました。一時は途絶えましたが後鳥羽天皇の勅願で再建され、宝徳年間(1449〜1452)に宥明法印住職によって復興されました。 宥明法印住職は、文明5年(1473)3月温泉が突然枯れてしまったとき、薬師堂を建て祈願をして温泉を復活させた山鹿温泉の大恩人と云われています
大津山阿蘇神社祭神は、健盤龍命で大津山大明神とも言います。この神社は霊験あらたかで、加藤美作守の霊験談は有名です。また境内には眼病の神『生目八幡宮』もあります。
地域の特産品をはじめ、農産品、鮮魚、精肉、弁当総菜、パンなど商品も豊富に取りそろえています。また、隣にはお食事処もあります。
熊本県一の彼岸花の名所、番所地区。秋の訪れとともに、頭を垂れた稲穂の脇に、真っ赤に染まった彼岸花が咲き並びます。彼岸花は9月中旬〜下旬が見頃です。ここは、古い家並や石垣が残っており、日本の懐かしいふるさとの風景を見ることができます。また、第二回県農村景観コンクールで大賞に選ばれ、毎年多くの方が見に来られます。