常陸太田市の地域の歴史・文化・食 スポット 20選
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竜神大吊橋
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 近代建築
「竜神大吊橋」は,茨城百景の一つにも挙げられている竜神峡に掛かる鉄橋。平成6(1994)年の開通以来,毎年多くの観光客が訪れる一大観光スポットです。 同13(2001)年にはリニューアルが行われ,現在の鮮やかなブルーに化粧直しされました。橋長は375m,歩行者用の吊り橋としては日本最大級の長さを誇ります。地上高100mの橋上から望む八溝・阿武隈山系の山並みや水府の街並みもさることながら,橋の中ほどに設置されたアクリルの透過板から見下ろす竜神ダムの湖面も見逃せません。日常では経験できないその眺望からは,身がすくむようなスリルと自然の驚異を感じられることは間違いありません。 また,同26(2014)年3月からバンジージャンプが始まりました。高さ最大100メートルとなる竜神バンジーは,シーズン常設開催サイトとして日本最大級となります。 何十回と飛んでいるバンジーファンの方や,高い場所を得意とするバンジーのスタッフでさえ「想像以上のスリル」と口を揃えてコメント。竜神バンジーではウインチ方式を採用します。元来バンジージャンプではジャンプしたあとは下に降りますが,ここでは電動ウインチによって,橋の上に引き上げられます。ジャンプ後はすぐに上に戻り,皆で感動を分かち合えます。
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梨
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
常陸太田市は久慈川を代表とした清流が流れていて、カルシウムやミネラルを多く含んだ良質な土壌が、梨づくりに適した環境を作っています。 常陸太田市内の梨は、「幸水」や「豊水」など、実に袋をかけずに栽培する無袋栽培で、陽の光をたっぷり浴び、直売が中心のため完熟するまで木に実らせているのが特徴で、甘い梨が味わえます。
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岡部酒造
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
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里美ジェラート(アイスクリーム)
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
地元産の新鮮な野菜を農家の方が毎日出荷しており、四季折々の新鮮な野菜が店頭に並びます。絞りたての牛乳で作られたジェラートや里美飲むヨーグルトも好評です。
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町田火消行列
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 郷土芸能
金砂神社小例祭の神輿渡御の前に供奉される火消行列。火消しの装束を身にまとった総勢約100人の行列が独特の身振りで整然と進んでいくもので、火消したちは世話人、まとい振り、とびなど、さまざまな役割に分かれています。こっけいな里謡を歌ったり、色々な道化を演ずるなど内容もバラエティに富んでおり、扮装やきびきびとした動作などにも特色があります。この火消行列が始まったきっかけは元文4(1739)年の小例祭まで遡ります。多くの観衆が祭りの模様を拝観しようと集う中、不幸にも2ヶ所から火災が発生、町は大混乱に陥りました。これを見た医師・土岐千角が消化防災機能の必要性を訴え、具現化したのが町田の火消行列です。そして、延享2(1745)年の小祭礼において、この火消行列は初めて供奉されました。現在は保存会が結成され、火消行列を民俗芸能として長く保存するための活動や、行列に使用する装束や道具類の管理・修繕などを担当しています。茨城県指定文化財。
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東金砂神社田楽舞(嵐除祭)
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 郷土芸能
嵐除祭は、東金砂神社の薬師堂において、毎年旧暦正月3日に執行されている祭礼。嵐やその他の災害を防除し、穀物の成熟や魚介の豊漁を祈るため、その年の吉凶を占うとともに田楽舞が奉納されます。まず、表面に方角と十二支を墨で書いた護摩餅の焼け方でその方角や月々の吉凶を占い、次に米や粟、大豆などを煮た中に細い竹筒を入れて、その年のそれぞれの作物の出来高を占います。その後の田楽舞は国選択、および県指定無形文化財であり、72年に一度開催される金砂神社の大例祭でも奉納されています。舞台構成は、「四方固め」、「獅子舞」、「巫女舞」、「三鬼舞」の4つで、いずれにも、神や精霊の存在を信じ、神の力によって天下泰平や五穀豊穣などの人々の幸せを守ろうという素朴な信仰心が表わされています。ちなみに、西金砂神社の田楽舞とは多少内容が異なっています。
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木精の鐘
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 近代建築
竜神大吊橋を渡り切った先に見える、緑色でドーム型の屋根を持つ建物の中にある大きな鐘が「竜神カリヨン」。平成13(2001)年に実施された、大吊橋のリニューアルに伴い建てられた施設で、「木精の鐘」とも呼ばれているほか、「希望の鐘」「幸福の鐘」「愛の鐘」と命名された、3種類の音色を奏でる鐘が設置されています。その鮮やかな音色と緑に囲まれたロケーションは幅広い世代から好評で、チャペルの鐘に見立てて結婚式を挙げたカップルもいます。
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凍みこんにゃく
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
水府地区に伝わる「凍みこんにゃく」の由来は、江戸時代に探検家・木村謙次が丹波国よりその生産技術を導入したこととされています。 昭和59(1984)年から凍みこんにゃくづくりに着手した、天下野町にある中嶋商店は、現在では常陸太田市で唯一の凍みこんにゃくの生産者。生産時期は12月中旬から2月いっぱいで、作業は30cmから50cmの高さに敷いた藁の上にこんにゃくを並べ、水をかけることから始まります。水分を含んだこんにゃくは夜の寒さで一気に凍り付きます。翌日、自然解凍されたこんにゃくに再び水をかけて凍らせます。この作業をおよそ20日間に渡って行い、最後に仕上げの乾燥を1週間行います。乾燥して水分が無くなったこんにゃくは、風に吹かれると飛んでいってしまうほどに軽くなるといいます。ちなみに、地面に敷いた藁には、水はけや水持ちが良くなるほか、こんにゃくの水分を保つといった効果があります。凍みこんにゃくは、湿気を避ければ50年以上も保存が可能。通常のこんにゃくとは異なり、フライや天ぷらなど、工夫次第でさまざまな味わい方が楽しめます。
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常陸秋そば
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
常陸太田市は、山地特有の昼夜の気温差が大きい気候と傾斜地に拓いた畑の土壌を生かし、良質なそばの産地として江戸時代から続いています。独特の香りや風 味、甘味に優れていた金砂郷在来種を親として粒揃いがよく、味がしまり、たんぱく質やデンプンを多く含んだ良質のものの選別を繰り返し、「常陸秋そば」と いう品種が誕生しました。香りがあり滋味溢れる「常陸太田産そば」はそば職人から高い評価を得ています。
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太田ちまき
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
太田ちまきは徳川光圀公の侍臣である佐々助三郎(助さんのモデルになった人物)が越後から土産として持ち帰り、光圀公に献上したのが始まりと言われています。団子状にした生地の中にあんを入れ、熊笹で巻いてあります。
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旧太田中学校講堂
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
県立太田第一高等学校にある講堂は、明治37年に旧太田中学校の講堂として建築されたものです。 講堂は、桁行き20.9m、梁間14.5m、正面に車寄せを設けた瓦葺き屋根の洋風建築で、旧県立商業学校本館や旧土浦中学校本館なども手掛けた、茨城県の技師・駒杵勤治によって設計されました。ゴシック、ロココ様式を基調とし、当時流行していたスティックスタイル(木骨様式)を取り入れてあり、内部には、校章の掘られた演台やエンタシス柱、コリント風の柱頭飾りなどが施されています。この様式の建築物が当時のまま現存しているのは稀少で、当時の建築技術の高さや面影を今に伝える重要な建築物として、昭和51年に国の重要文化財に指定されました。 なお、毎年秋には、太田一高が所蔵する書画など、貴著な資料とともに一般公開が行われています。
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ぶどう
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 特産物・特産品
常陸太田市では約50年前からぶどうの生産が始まり、いろいろ種類のぶどうの生産に挑戦して栽培方法を確立してきました。スーパーなどでは目にする機会が少ないぶどうを直売やぶどう狩り、職場体験などで楽しめます。 主に市内で栽培されているのは、大きな粒と強い甘味が特徴的な「巨峰」です。また、近年ハウス施設の導入が進み、常陸太田オリジナルの 品種「常陸青龍」の生産も拡大しています。阿武隈山地の南端に位置する丘陵地で、カルシウムやミネラルを豊富に含んだ土壌を誇る、増井町、新宿町、瑞龍町、下大門町などの地域が主な産地として知られています。
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西金砂神社大祭礼・東金砂神社大祭礼
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 郷土芸能
72年に一度開催される祭りで,東西の金砂神社の氏子たちがそれぞれ500人ほどの大行列を編成し,両神社から日立市水木浜までの間(およそ75キロメートル)を1週間かけて往復します。 このような行列は「磯出」と呼ばれ,渡御の途中の数カ所で,国選択・茨城県指定文化財の田楽舞が奉納されるほか,水木浜では,磯出伝説にちなんだ非公開の神事が行われます。 行列には,平安時代や江戸時代など,さまざまな時代の衣装を着た人々が登場し,天下泰平や五穀豊穣を祈願します。 起源は,その昔,金砂の神が水木浜に現れたことが神社の始まりとなったという逸話や,神様を近江国日吉神社から金砂山へ出迎える際,海路を経て水木浜に着いた神様が,久慈川とその支流を遡って金砂山に着いたという伝説からと言われていますが異説も多くあります。 72年に一度開催される理由も諸説あり,6年に一度開催される小田楽の12倍(当時は10進法よりも干支が主に用いられた)であることや,金砂の神が7という数字を重視していており,72年は7回目の未年(当時,未年になると頻繁に凶作に見舞われていた)にあたることなどが挙げられています。
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都々逸坊扇歌の碑
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 観光施設
幕末の大衆芸能の一つ、都々逸の創始者とされる都々逸房扇歌の功績を讃え、地元の有志たちが建立した石碑。昭和32(1957)年5月5日に扇歌の生誕155周年を記念して建てられたもので、磯部町の国道349号線沿いの渋江橋のほとりにあります。碑に刻まれた「藪鶯のわたしじゃとて鳴く音に変わりはあるものか」という歌からは、扇歌が生涯貫いた刻苦精進の精神が伝わってくるようです。 また、碑のかたわらには、『都々逸房扇歌』の著者で、評論家としても有名な木村毅が書したとされる「磯部たんぼのばらばら松は 風も吹かぬに 気がもめる」との歌が記された歌碑があり、一層の趣を添えています。
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佐々宗淳の墓
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 観光施設
正宗寺には、彰考館総裁を務めた佐々宗淳の墓があります。宗淳は、光圀公の側近として活躍、『大日本史』の編さんにも関わっており、その基礎となる資料を収集するため、全国各地を行脚したと言われています。この史実が脚色されてできたのがテレビドラマなどで知られる「水戸黄門」で、宗淳はこの中の「助さん」のモデルとされています。ちなみに、西山御殿の入口にある不老池の近くには、宗淳の住居跡も現存しています。
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永田円水の墓
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 観光施設
かつて水戸藩の領内では、利水・治水事業が盛んでした。特に徳川光圀公の時代には、堰や用水路の整備による農業用水の確保や堤防の補強などを重点的に進めてきました。常陸太田市内でも、久昌寺周辺の水源確保のために清命水道と山寺水道の2つの水道が敷設されています。この両水道の設計・施工を行ったのが、水戸市の笠原水道の施工にも関わっていた永田円水です。永田家は甲斐武田家の家臣として、代々鉱山開発に携わってきた一族。その後、水戸徳川家に仕え、水戸藩の発展に大きく貢献しました。「円水」の号は、その功績を称えて光圀公が与えたものと言われています。
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山寺水道
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 観光施設
徳川光圀公が生母を弔うために久昌寺を建立した当時、その周辺は水の便が大変悪いものでした。そこで、光圀公は久昌の寺域や周辺に生活用水を導水する上水道の建設を計画しました。山寺水道は、その際に開設された水道の一つ。設計・施工を行ったのは、水戸市の笠原水道なども手掛けた永田円水とされています。水源は天神林町や稲木町の台地縁端から湧出する地下水で、湧水線に沿って埋めた集水溝、あるいは桶によって水を集めていたものと思われます。水路の構造は、すべて岩肌をくり抜いた、全長およそ2kmのトンネル状。その形状は、高さ約1.6m、幅約1.3mで不整形なかまぼこ型をしています。トンネル底部に幅・深さとも30cm程度の溝を掘り、水路として利用するなど、当時の土木技術の水準の高さがうかがえる工夫が随所に見られます。茨城県指定文化財。
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防人の碑
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 観光施設
奈良時代の日本では、諸外国からの侵略を防ぐため、東国から多くの若者が防人として徴収され、筑紫国(現在の北九州地方)へと派遣されました。『万葉集』には、そんな若者たちが自らの心の内を詠んだ歌が多数収録されており、常陸国出身の防人の歌も10首確認されています。上河合町にある幸久橋のすぐ側に建っている、防人の碑はその内の一つで、久慈郡出身の防人である丸子部佐壮が詠んだ「久慈川は 幸くあり待て 潮舟に ま梶しじ貫き 我は帰り来む」との歌が刻まれています。「久慈川よ、清い流れのままで変わらず待っていてくれ、私は潮舟に梶をいっぱい通し、急いで帰ってこよう」という意味を持つこの歌からは、無事に故郷に戻れる保証のない防人として、はるか西の地へと赴かなくてはならない若者の切ない心境が伝わってきます。
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西山御殿
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
「水戸黄門」で知られる、水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後、元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所。光圀公はここで『大日本史』の編さんの監修に当たりました。入口には光圀が紀州から取り寄せ、移植した熊野杉が天を覆っています。建物は茅葺き平屋建て、内部は粗壁のままで、どの部屋にも装飾はなく、書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まいです。なお、現在の建物は、文政2(1819)年に再建されたものです。春の梅、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、季節ごとに異なった表情が楽しめる、美しい情景は必見です。常陸太田市を代表する歴史的観光スポットのひとつです。
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郷土資料館梅津会館
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
梅津会館こと郷土資料館本館は、昭和11(1936)年に当市出身の実業家・梅津福次郎の寄付により建てられたもので、南東角には角塔を、正面には大アーチの車寄せを備えた本格的な庁舎建築。主要部はタイル張りで、アーチのキーストーンには装飾が施されています。昭和53(1978)年まで市役所として利用されたのち、同55(1980)年に郷土資料館として開館しました。館内は、1階が特別展示室を兼ねた美術展示室、2階が歴史展示室と民俗展示室となっており、当市出身の画家・宇佐見太奇の屏風などの美術資料、幡山古墳群や瑞龍古墳群から出土した考古資料、農業や漁業の器具をはじめとする民俗資料などが多数展示されています。また、平成7(1995)年には、梅津会館のほど近くにある郷土資料館分館が開館。趣深い蔵造りの建物の中には本館同様、常陸太田市の歴史を伝える数々の郷土資料を見ることができます。
常陸太田市の地域の歴史・文化・食探し
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