常陸太田市のパワースポット スポット 7選
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正宗寺
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
萬秀山正法院と号する寺院で、延長元(923)年に平将門の父良将が創建。創建当初は勝楽寺と号し、律宗で奉仕されていました。その後、貞王2(1223)に佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を、暦応4(1431)年に9代貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き、同じ寺院内に正宗庵を創建。10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺としました。勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えましたが、正宗寺は佐竹氏の菩提所として、関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄。徳川の時代にも朱印100石を受け、12の末寺を有するまでになりました。境内は約5,300平方m、堂宇は本堂、庫裏、総門などを備えていましたが、天保9(1838)年に総門の一部を残して焼失。現在の庫裏と本堂は、それぞれ天保10(1839)年と明治3(1870)年に再建されたものです。寺伝では慈覚大師の作とありますが、様式から鎌倉時代に建造されたものとみられています。本尊の木造十一面観音菩薩坐像をはじめ、多くの寺宝が茨城県や常陸太田市の文化財に指定されています。 また、寺の参道左側には、市の天然記念物に指定されているビャクシンがあり、境内には佐竹氏代々の墓と伝えられる宝篋印塔や、「助さん」のモデルとされる佐々宗淳の墓があります。
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枕石寺
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
親鸞ゆかりの寺,小説「出家とその弟子」で有名。 親鸞聖人の法弟入西房道円の開基と言われる寺院で、真宗24拝の第15番寺。開基当初は大門地域にありましたが、その後内田町に移され、天文9(1540)年に現在の場所に移建されました。開基の道円は、北面の武士(平安後期に上皇の御所の守護などにあたった武士)でありましたが、とある罪により大門地域に隠棲していました。建歴2(1212)年の雪の夜、関東教化のために当地を訪れた親鸞は、一夜の宿を頼んだが道円はこれを断りました。そこで親鸞は、「寒くとも たもとに入れよ 西の風 阿弥陀の国より 吹くと思えば」と詠んで石を枕に身を横たえたといいます。親鸞の偉大さに感銘を受けた道円は、師の行為にちなんでこの寺を「枕石寺」と名付けたといいます。本尊は、延宝元(1673)年に徳川光圀公が寄贈した阿弥陀如来で、寺宝として親鸞の筆とされる六字名号、大心海の文字が刻まれた、親鸞が横たえたという枕石が所蔵されています。なお、この枕石は、年に一度、11月26日にのみ公開されています。
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佐竹寺
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
佐竹寺は、鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。大同2(807)年の開山、あるいは、寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。創建当初は、鶴ヶ池の北に位置する観音山にありましたが、天文12(1543)年に兵火によって焼失、同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの、佐竹氏の秋田移封にともない、その寺運はしだいに衰えていきました。本尊の十一面観音像は、安産や厄除けなどに御利益のあるとされる仏様で、坂東三十三観音二十二番霊所にもあたることから、巡拝者が絶えない古刹としても広く知られています。重厚感あふれる佇まいの本堂は茅葺き寄棟造りで、正面中央には唐破風が設けられています。正面の火頭窓や柱、組物など、あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された、常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです。
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久昌寺
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
深大山禅那院と号する久昌寺は、延宝5(1677)年に徳川光圀公が生母の谷久子を弔うために建立した寺院。久子の法号である「久昌院靖定大姉」からその名が付けられました。当初は現在の稲木町に建てられたものの、幕末の混乱期の影響を受けて荒廃。明治3(1870)年に現在の場所にあった久昌寺の末寺・蓮華寺と併合することで再建されました。堂宇は本堂、庫裏、聚石堂、三昧堂、大宝塔などを備えているほか、年代ごとの光圀公の顔を掘った「木彫義公面」や公の暮らしぶりが細かく記された「日乗上人日記」、文永元(1264)年に書かれた日蓮聖人の消息文などの多くの寺宝が残されています。また、寺のすぐ後ろには、光圀公の遺徳を偲んで建てられた「義公廟」があります。
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青蓮寺
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
親王であったころの天武天皇が天智9年(670)から2年ほど留まっていた所で、その後仏像と聖徳太子の像を安置したことに始まります。鎌倉時代の御家人で謀反の疑いをかけられて滅ぼされた畠山重忠の第2子で、出家して性証と改めていた重秀は、建保6年(1218)に堂を建ててここに住み、青蓮の夢を見たことから青蓮寺と改めたと伝えられています。 江戸時代後期の文政年間に、豊後国(大分県臼杵市)から約1200kmの道のりを若い2人の姉妹が病気の父を迎えにきた豊後国二孝女の舞台となった寺院です。
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西金砂神社
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
西金砂山の頂上にある神社で、祭神は大己貴命と国常立命と少彦名命。大同元(806)年に宝珠上人が、社殿を造り祭壇を設けて、近江国比叡山の日吉神社の分霊を勧請・祭祀したのが始まりとされます。社地は自然林に囲まれた西金砂山の一帯を占めており、県の天然記念物にも指定されている大イチョウ、大サクラなどの名木の数々を見ることができます。72年ごとに行われる大祭礼や6年毎に行われる小祭礼の際に奉納される田楽舞(国選択・県指定無形民俗文化財)でも名を馳せています。
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東金砂神社
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
東金砂山の頂上に位置する神社で、祭神は大己貴命と少彦名命。創建は西金砂神社と同じく大同元(806)年、平城天皇の勅願によって宝珠上人が社殿を造営し、祭壇を設けて、近江国比叡山の日吉神社の分霊を勧請・祭祀し、国家安泰、五穀豊穣の祈願所としたのが始まりとされます。72年ごとの大祭礼や毎年2月に行われる嵐除祭の際に奉納される田楽舞は国選択・県指定無形民俗文化財。また、樹齢約500年を誇る御神木のモチノキは県指定天然記念物です。
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