近江八幡市のパワースポット スポット 20選
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円満寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
市の北側、八幡山(283.8m)の東麓にある臨済宗永源寺派の寺院。 南北朝時代に、永源寺の開祖寂室元光(じゃくしつがんこう)が開基したと伝えられている。 小じんまりとした境内には、本堂・庫裏・金毘羅堂・観音堂などが立っている。本尊の木造十一面観世音菩薩立像は平安時代の作で国指定の重要文化財。 井上靖の小説『星と祭』にも採り上げられている観音菩薩として知られ、和やかな表情をしている。 またこの寺には、代々松前交易で財をなした近江商人西川伝右衛門(にしかわでんえもん)が、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)に奉納したという千石船絵馬(せんごくぶねえま)が保存されている。画面には、堺港に浮かぶ住吉屋(西川伝右衛門の屋号)所有の6隻の千石船の雄姿が描かれ、近江商人の当時の活躍ぶりがよくわかる。この千石船の模型も奉納されており、その絵馬と模型は市の指定文化財になっている。
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桑實寺(桑峰薬師堂)
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
繖山(きぬがさやま(432.7m))の西麓にあり、西国薬師霊場の第四十六番の札所である天台宗寺院。繖山の古代巨岩信仰と薬師如来の信仰とが結びついて、衆生の病苦を治す霊場と考えられていた。 奈良時代に天智天皇の勅願によって創建されたといわれている。 初代住職が中国留学の際、桑の実を持ち帰り養蚕を伝えたことからこの名前が付いたと伝えられている。 桑実寺集落から両側に坊跡の残る石段を500段ほど登ると、山の手に坊があり、さらに登ると境内に入る。境内は裏山を削って造られたため狭いが、どこからが山でどこからが庭か区別がつかないほど、ごく自然なたたずまいである。本堂は室町時代前期の手法を残す優美な建築で、本尊の薬師如来は「かま薬師」の俗称があり、カサやできものに霊験があるといわれる。 室町時代には足利義晴将軍が仮幕府を開いた場所でもあり、本堂は室町時代前期の建物で国の重要文化財に指定されている。
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浄厳院
滋賀県 草津・守山・近江八幡
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JR安土駅の南西約700m、東海道本線のすぐ南の家並みはずれにある。 近江源氏佐々木六角氏の菩提寺として建てられた慈恩寺(じおんじ)の旧地に、安土・桃山時代、織田信長が安土城築城とともに創建し、近江・伊賀国両国の浄土宗総本山としたのが始まり。 境内には、入母屋造の楼門・近江八幡から移された本堂・釈迦堂・鐘楼などが立ち並び、本堂には、その重厚な雰囲気にふさわしい本尊木造阿弥陀如来像が安置されている。 またこの寺は、仏教史上有名な安土宗論が行われたわれた寺としても知られている。安土宗論とは、織田信長の命により仏殿で行われた、浄土宗と法華宗間の教養上の論争のことで「安土問答」ともいわれる。 室町建築の遺構を伝える本堂など重文数点。 〈重文〉浄厳院本堂 絹本著色山王権現像 木造阿弥陀如来坐像 厨子入銀造阿弥陀如来立像 厨子入銅製舎利塔 楼門 絹本着色阿弥陀聖衆来迎図
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観音正寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
開山は聖徳太子。人魚の哀願によって寺を開いたと伝えられている。 繖山五古刹の一つで西国三十三ケ所第三十二番札所。繖山頂近くにあり、平成5年5月22日本堂と本尊焼失。11年の歳月をかけて、平成16年5月22日本堂落慶、総日壇ご本尊開眼。
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奥石神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
この森の奥深い所に「奥石(おいそ)神社」が鎮座する。 国道8号線より旧中仙道に入り石の鳥居をくぐり 両側に杉の大木が林立する参道を100mほど進むと、正面に奥石神社の社殿が立ち並ぶ。 玉砂利が敷き詰められたゆったりした境内に入ると、静寂そのものの別世界である。 延喜式内社で、御祭神として「天児屋根命」(あめのこやねのみこと、をお祀りしている。 伝説では、日本武尊(やまとたけるのみこと)を危機から救うために、妃の弟橘姫命(たちばなひめのみこと)が身代わりになって荒海に身を投げたが、そのとき懐妊していた妃は、波間に消える前に自分は老蘇の森に留まって女人安産を守ると言い残したといわれている。この話から、奥石神社は安産の神として広く信仰されている。 本殿は天正9年織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じて造営せしめたもので 国指定重要文化財。三間社流造で、桧皮葺の豪華の中に優美な落ち着きを持った建造物である。境内中央にどっしりした拝殿、本殿に向かって左には摂社諏訪明神社(市指定文化財)が鎮座する。
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沙沙貴神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
近江源氏佐々木氏の氏神として崇敬を集めた古社。古代の「沙沙貴山君」が崇敬した「延喜式」式内社である。 近江国の蒲生野にあり、古くから沙沙貴郷あるいは佐々木庄と称されたこの地は、宇多源氏佐々木発祥地であり近江守護である佐々木一族、沙沙貴郷33村を始めとする人々の信仰を集めた。 平安・鎌倉様式を継承し江戸中期に再建された茅葺きの「楼門」や、東西廻廊と四国九亀藩主京極家によって弘化5年(1848年)に建築された「本殿」「権殿」「拝殿」など大型木造建築八棟はすべて重要文化財に指定されている。 境内の随所に佐佐木氏(佐佐木源氏)の四ツ目結い(七ツ割四ツ目)の定紋が見られ全国の宇多源氏・佐佐木源氏(京極家、黒田家、三井家、佐佐木家など二百二十余姓)ゆかりの人たちが信仰する神社である。 4月末から5月中旬にかけて「うらしま草」や「なんじゃもんじゃ」の花が楽しめる。
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そう見寺跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
安土築城の菩提寺。焼失を免れた楼門・三重塔は重文。
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西願寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
天台真盛宗。 開基は不明だが、本尊の阿弥陀如来像は平安時代の作。
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善性寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
浄土真宗本願寺派、安土桃山時代の開基。 かつて延暦寺の別院として栄えた、廃定林寺のものであったと伝えられる薬師如来像を本尊とする。
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願福寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
奈良時代初期、行基菩薩によって開かれた天台宗の寺。 本尊の薬師如来坐像は平安時代の作で、国指定の重要文化財。 奈良時代の古瓦なども出土している。
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真光寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
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浄土宗の寺で、開基は不明。 本尊の聖観音像は鎌倉時代の作で、美しい表情を持ち、国の重要文化財に指定されている。 馬淵一族の墓「一大五輪石塔群」は有名。
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生蓮寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
仏教美術としても価値の高い阿弥陀如来像を本尊する。 かつては竹林寺の一坊であったが、兵火により建物を焼失。現在は小さな無住の堂が立っている。
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願成就寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
言い伝えによると、近江に48ヵ寺を建立した聖徳太子が最後にこの寺を建てたとされ、願いが成就したことにより寺名になったとされる。十一面観音像をはじめ重要文化財額も数多い。 ふもとでは、京街道門前通りとして地域活性化に取組んでおり、絵札の販売等を実施している。(詳細はこちらhttp://www.kyokaido.com/index.html)
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八幡社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
応神天皇を祭神に祀り、室町時代に建てられた社殿は国指定の重要文化財。 本殿は重要建造物で、大正12年に指定を受けた。猿楽の面は、鎌倉期の作で市の文化財指定。 毎年5月1日から5日の宮座神事で奉納される猿楽は、民俗資料として貴重なもの。
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会勝寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
安土城跡の近くに立つ。 本尊の千手観音立像は平安後期の作で、円満な顔立ちの一木造、等身像。国の重要文化財に指定されている。
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福之島弁財天
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
戦国時代の天文年間に、文吉という信心深い漁師がいた。ある日嵐で難破したにもかかわらず一命をとりとめた。その夜の夢に弁財天が現れ「日頃の信心からおまえを助けた」と告げられたため、打ち上げられた砂寄州に祠を建てたのがはじまりと伝えられている。 かつての弁天島周辺の湖底からは縄文時代の遺物が発見されている。
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大嶋・奥津島神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
大嶋奥津島神社は、大国主神(おおくにぬしのかみ)をご祭神とする大嶋神社と、奥津比賣命(おきつしまひめ)ご祭神とする奥津嶋神社が合祀された神社である。 昔、天智天皇が蒲生野に遊猟の際、奥津嶋神社に立ち寄り、8人の子どもを持つ、大変健康的な老夫婦に出会った。天智天皇はこの夫婦に長寿の秘訣をお尋ねになり、老夫婦は「この地で取れる無病長寿の霊果を毎年秋に食します」と答えた。それならばと天智天皇もその果物を一口お召し上がりになり、「むべなるかな(もっともであるな」と一言仰った。この時に発した「むべ」という言葉がそのまま果物に名前となり、以来、朝廷へ毎年献上している。 なお、弘長(1262年)に記された、他人の悪口や告げ口を固く禁じ、村人の団結を図った「村掟」である「大嶋百姓等庄隠規文」を含む大嶋奥津嶋神社文書(222通)1巻、32冊、3枚が国の重要文化財に指定されている。 他にも、平安時代の作となされる木造大国主尊座像、平安時代から鎌倉時代の作とされる菊花螺鈿鞍・黒漆器・黒漆鎧がある。 また、大嶋神社のご祭神である大国主命像(国の重要文化財)は等身大で見事なもの。 春(4月17日)には松明祭が行われる。
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馬見岡神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
岩倉山の麓にある「延喜式」にのる式内社。 天戸間見命、天津彦根命を祭神として祀り、社宝に木造天津日子根命坐像・天戸間見命坐像木造女神坐像4体・同僧形神坐像がある。馬淵地区の総社として、その格式をもち、神像(八体)は明治44年に国の重要文化財に指定されている。 毎年5月1日から5日に行われる宮坐神事は、古式豊かな祭礼である。
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本願寺八幡別院(金台寺)
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
豊臣秀次が開いた城下町に、安土城の城下町から移築した浄土真宗本願寺派の大寺院。徳川家康が宿泊し、朝鮮通信使の昼食所ともなった。 寺には、1711年に寺に立ち寄った通信使の従事官・李邦彦の書が保存されている。 朝鮮通信使について 琵琶湖の東、彦根市から野洲市にかけて「朝鮮人街道」と呼ばれる街道がある。 江戸時代は一般に鎖国の時代と思われているが、朝鮮と琉球は、信を通わす外交のある国「通信の国」とし、中国とオランダは貿易船の来航を認める「通商の国」と定めた。その朝鮮からの使節「朝鮮通信使」が通った道が「朝鮮人街道」と呼ばれ今もその名を残している。 豊臣秀吉の朝鮮侵略以後、断絶が続いていた日朝関係の回復を願った徳川家康は、対馬藩を通じて朝鮮へ幾度と使者を送り、国交の回復に努めた。紆余曲折があったものの、慶長12年(1607年)、正式に使節を迎え入れることとなり、以後、文化8年(1811年)までの間、計12回の通信使が日本にやってきた(12回目は対馬で聘礼が行われたため、漢陽〜江戸は11回)。 当初の3回は回答兼刷還使(家康による国書の回答と日本に連行された捕虜を連れ帰る)だったが、それ以降は将軍の代替わりに際しての祝賀へと変化していった。また、外交使節のほかには文化使節的な面も持っており、学者や文人、画家や書道家たちも同行しており、少なからず当時の日本の文化に刺激を与えたと思われる。 通信使の一行はソウルを出発しプサンより海路で対馬から瀬戸内海、淀川から京都へ到着、その後は陸路で中山道・東海道を通過し江戸を目指すという行程で、その長さは約2000kmに及び、その期間は往復で約1年もの歳月を費やした。 しかしながら、この長い道のりの中で「朝鮮人街道」と呼ばれるのは、不思議ながら現在の野洲町小篠原から安土・八幡を経て、彦根市鳥居本までの約40kmに限られている(滋賀県内での通信使の行程は基本的には京都を発ち、大津で食事、守山で宿泊、翌日は、八幡で食事、彦根で宿泊という行程)。 朝鮮人街道の起こりは織田信長が安土城築城の際に京都までの道を結んだことによる。中山道の「上街道」に対して「下街道」と呼ばれたり琵琶湖岸を走ることから「浜街道」とも呼ばれていた。 一説には、日本の狭さを隠し広く見せるため、わざと迂回し曲折した道を通行させたと言われる説がある。しかし、大名行列との鉢合わせをさけたことや、時には500名にも及ぶ人間の宿泊や休憩先を考えると彦根や八幡を通ることが最も適していたと考えられる。 また、関ヶ原の合戦で勝利を収めた「徳川家康」が上洛する際にこの街道を通ったことから、この縁起の良い吉道を通行させることで通信使への優遇ぶりを表そうとしたとも考えられている。
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長光寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
聖徳太子が老蘇の森に仮官された時、高階の妃は御難産で、太子は妃に「仏法を信じ仏の加護を祈りなさい」とお諭しされます。妃はひたすら諸仏の慈悲を仰がれた所、仏の使いが来て、妃は安産されました。太子が使いを派遣された所、この地に八尺の香木と五色に輝く霊石がありました。後に太子は、香木で千手子安観世音菩薩を作られたのが長光寺の始まりです。また、境内には、聖徳太子お手植えと伝わる霊木(花の木)があり、日本最南端の花の木とされ、春の開花し秋には別名をハナカエデと称されるように見事な紅葉を誇ります。
近江八幡市のパワースポット探し
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