草津・守山・近江八幡のパワースポット スポット 20選
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百済寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
聖徳太子の願いで,高麗僧恵慈,百済僧道欽のために建立。深い老杉の境内に僧坊跡多く湖東三山の一つ。寺宝拝観要予約。
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永源寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
愛知(えち)川右岸にある寺院。全国に127の末寺を擁する永源寺派の大本山だ。坐禅研鑽と天下安全を祈願する古道場でもある。紅葉が美しいのが有名で、もみじ寺ともいわれる。秋には参道一帯に紅葉が広がり、多くの観光客が訪れる。総門付近には、井伊家四代目直興(なおおき)公の墓碑があるほか、境内には庫裡(くり)、鐘楼、禅堂、開山堂などが建ち並ぶ。開山堂の寂室(じゃくしつ)和尚坐像は、国指定の重要文化財に指定されている。
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八幡社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
応神天皇を祭神に祀り、室町時代に建てられた社殿は国指定の重要文化財。 本殿は重要建造物で、大正12年に指定を受けた。猿楽の面は、鎌倉期の作で市の文化財指定。 毎年5月1日から5日の宮座神事で奉納される猿楽は、民俗資料として貴重なもの。
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福寿寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
829年に建てられた黄檗宗の古刹。八幡商人の崇敬を集めた。 平安時代作の本尊・千手十一面観音像は、胎内に造像祈願文が納入されたもの。また、重要彫刻の木造千手観音立像の中に仏僧長順の記あり。仏像拝観要予約。
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瑞龍寺(村雲御所)
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
八幡山の頂上にあり、村雲御所とも呼ばれる。秀次の菩提寺であり、境内からの眺めはすばらしい。
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長命寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
市の北西端、長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある寺院。聖徳太子ゆかりの古刹で西国三十三ケ所第三十一番札所。 平安時代前期に寺院の基盤ができたと考えられており、その後、近江守護佐々木定綱(さだつな)が戦死した父の菩提を弔うために、平安時代後期に本堂をはじめ、釈迦堂・薬師堂・太子堂・護摩堂(ごまどう)・宝塔・鐘楼・仁王門などを建立した。現在の社殿は、戦国時代中期に兵火で焼失したあと再建されたもの。 湖岸のそばから808段といわれる長い石段を登ると、諸堂の屋根の線が美しく重なりあっている。 千手観音を本尊とし、聖観音・十一面観音・毘沙門天など多くの国指定の重要文化財が安置されており、その他、建造物のすべてが県あるいは市の指定文化財になっているという由緒ある寺院。 四季を通じて多くの参詣者が全国から訪れ、湖辺近くの山腹風景も美しい。
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冷泉寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
本尊の十一面千手観音をはじめ、仏像7躯が国の重要文化財に指定されており、仏教美術の研修者を集めている。 一度荒廃し、江戸時代に再興された。 本堂の仏像3躯は重文。仏像拝観要予約。
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荘厳寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
本尊釈迦如来立像は清涼寺式仏像で重文。本尊の開扉は春秋の彼岸のみ。
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小田神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
祭神は大山咋命など四柱で、開創・沿革とも不明だがかなり古い。多くの氏子を持つ近隣の総社として栄えた。 重文の楼門は、南北朝時代の建造物で、織田信長の兵火から守ったといわれる。毎年5月初旬の松明祭りで知られる。
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日牟禮八幡宮
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
JR近江八幡駅の北西約2.3km、八幡山(271.9m)の南麓にある神社。誉田別尊(ほんたわけのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・比売神(ひめかみ)の三神を祭神とする旧八幡町の総社。 平安時代の創建といわれ、京都府八幡市の石清水八幡宮の神霊を勧請したものである。 約4万4000平方メートルという広大な神域には、エノキやムクの樹が生い茂り、その下を通り抜けて楼門をくぐると、拝殿・神殿が続く。寺宝には、江戸時代に海外貿易に活躍した商人西村太郎右衛門が寄進したという「安南渡海船額(あんなんとかいせんがく)」をはじめ、祭神である三神の木像などがあり、いずれも国指定の重要文化財に指定されている。 毎年3月には左義長まつり、4月には八幡まつりが行われる。「安南渡海船額」を始め、すべての祭神が重文。
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長光寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
聖徳太子が老蘇の森に仮官された時、高階の妃は御難産で、太子は妃に「仏法を信じ仏の加護を祈りなさい」とお諭しされます。妃はひたすら諸仏の慈悲を仰がれた所、仏の使いが来て、妃は安産されました。太子が使いを派遣された所、この地に八尺の香木と五色に輝く霊石がありました。後に太子は、香木で千手子安観世音菩薩を作られたのが長光寺の始まりです。また、境内には、聖徳太子お手植えと伝わる霊木(花の木)があり、日本最南端の花の木とされ、春の開花し秋には別名をハナカエデと称されるように見事な紅葉を誇ります。
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本願寺八幡別院(金台寺)
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
豊臣秀次が開いた城下町に、安土城の城下町から移築した浄土真宗本願寺派の大寺院。徳川家康が宿泊し、朝鮮通信使の昼食所ともなった。 寺には、1711年に寺に立ち寄った通信使の従事官・李邦彦の書が保存されている。 朝鮮通信使について 琵琶湖の東、彦根市から野洲市にかけて「朝鮮人街道」と呼ばれる街道がある。 江戸時代は一般に鎖国の時代と思われているが、朝鮮と琉球は、信を通わす外交のある国「通信の国」とし、中国とオランダは貿易船の来航を認める「通商の国」と定めた。その朝鮮からの使節「朝鮮通信使」が通った道が「朝鮮人街道」と呼ばれ今もその名を残している。 豊臣秀吉の朝鮮侵略以後、断絶が続いていた日朝関係の回復を願った徳川家康は、対馬藩を通じて朝鮮へ幾度と使者を送り、国交の回復に努めた。紆余曲折があったものの、慶長12年(1607年)、正式に使節を迎え入れることとなり、以後、文化8年(1811年)までの間、計12回の通信使が日本にやってきた(12回目は対馬で聘礼が行われたため、漢陽〜江戸は11回)。 当初の3回は回答兼刷還使(家康による国書の回答と日本に連行された捕虜を連れ帰る)だったが、それ以降は将軍の代替わりに際しての祝賀へと変化していった。また、外交使節のほかには文化使節的な面も持っており、学者や文人、画家や書道家たちも同行しており、少なからず当時の日本の文化に刺激を与えたと思われる。 通信使の一行はソウルを出発しプサンより海路で対馬から瀬戸内海、淀川から京都へ到着、その後は陸路で中山道・東海道を通過し江戸を目指すという行程で、その長さは約2000kmに及び、その期間は往復で約1年もの歳月を費やした。 しかしながら、この長い道のりの中で「朝鮮人街道」と呼ばれるのは、不思議ながら現在の野洲町小篠原から安土・八幡を経て、彦根市鳥居本までの約40kmに限られている(滋賀県内での通信使の行程は基本的には京都を発ち、大津で食事、守山で宿泊、翌日は、八幡で食事、彦根で宿泊という行程)。 朝鮮人街道の起こりは織田信長が安土城築城の際に京都までの道を結んだことによる。中山道の「上街道」に対して「下街道」と呼ばれたり琵琶湖岸を走ることから「浜街道」とも呼ばれていた。 一説には、日本の狭さを隠し広く見せるため、わざと迂回し曲折した道を通行させたと言われる説がある。しかし、大名行列との鉢合わせをさけたことや、時には500名にも及ぶ人間の宿泊や休憩先を考えると彦根や八幡を通ることが最も適していたと考えられる。 また、関ヶ原の合戦で勝利を収めた「徳川家康」が上洛する際にこの街道を通ったことから、この縁起の良い吉道を通行させることで通信使への優遇ぶりを表そうとしたとも考えられている。
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馬見岡神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
岩倉山の麓にある「延喜式」にのる式内社。 天戸間見命、天津彦根命を祭神として祀り、社宝に木造天津日子根命坐像・天戸間見命坐像木造女神坐像4体・同僧形神坐像がある。馬淵地区の総社として、その格式をもち、神像(八体)は明治44年に国の重要文化財に指定されている。 毎年5月1日から5日に行われる宮坐神事は、古式豊かな祭礼である。
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大嶋・奥津島神社
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
大嶋奥津島神社は、大国主神(おおくにぬしのかみ)をご祭神とする大嶋神社と、奥津比賣命(おきつしまひめ)ご祭神とする奥津嶋神社が合祀された神社である。 昔、天智天皇が蒲生野に遊猟の際、奥津嶋神社に立ち寄り、8人の子どもを持つ、大変健康的な老夫婦に出会った。天智天皇はこの夫婦に長寿の秘訣をお尋ねになり、老夫婦は「この地で取れる無病長寿の霊果を毎年秋に食します」と答えた。それならばと天智天皇もその果物を一口お召し上がりになり、「むべなるかな(もっともであるな」と一言仰った。この時に発した「むべ」という言葉がそのまま果物に名前となり、以来、朝廷へ毎年献上している。 なお、弘長(1262年)に記された、他人の悪口や告げ口を固く禁じ、村人の団結を図った「村掟」である「大嶋百姓等庄隠規文」を含む大嶋奥津嶋神社文書(222通)1巻、32冊、3枚が国の重要文化財に指定されている。 他にも、平安時代の作となされる木造大国主尊座像、平安時代から鎌倉時代の作とされる菊花螺鈿鞍・黒漆器・黒漆鎧がある。 また、大嶋神社のご祭神である大国主命像(国の重要文化財)は等身大で見事なもの。 春(4月17日)には松明祭が行われる。
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福之島弁財天
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
戦国時代の天文年間に、文吉という信心深い漁師がいた。ある日嵐で難破したにもかかわらず一命をとりとめた。その夜の夢に弁財天が現れ「日頃の信心からおまえを助けた」と告げられたため、打ち上げられた砂寄州に祠を建てたのがはじまりと伝えられている。 かつての弁天島周辺の湖底からは縄文時代の遺物が発見されている。
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会勝寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
安土城跡の近くに立つ。 本尊の千手観音立像は平安後期の作で、円満な顔立ちの一木造、等身像。国の重要文化財に指定されている。
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円満寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
市の北側、八幡山(283.8m)の東麓にある臨済宗永源寺派の寺院。 南北朝時代に、永源寺の開祖寂室元光(じゃくしつがんこう)が開基したと伝えられている。 小じんまりとした境内には、本堂・庫裏・金毘羅堂・観音堂などが立っている。本尊の木造十一面観世音菩薩立像は平安時代の作で国指定の重要文化財。 井上靖の小説『星と祭』にも採り上げられている観音菩薩として知られ、和やかな表情をしている。 またこの寺には、代々松前交易で財をなした近江商人西川伝右衛門(にしかわでんえもん)が、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)に奉納したという千石船絵馬(せんごくぶねえま)が保存されている。画面には、堺港に浮かぶ住吉屋(西川伝右衛門の屋号)所有の6隻の千石船の雄姿が描かれ、近江商人の当時の活躍ぶりがよくわかる。この千石船の模型も奉納されており、その絵馬と模型は市の指定文化財になっている。
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願成就寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
言い伝えによると、近江に48ヵ寺を建立した聖徳太子が最後にこの寺を建てたとされ、願いが成就したことにより寺名になったとされる。十一面観音像をはじめ重要文化財額も数多い。 ふもとでは、京街道門前通りとして地域活性化に取組んでおり、絵札の販売等を実施している。(詳細はこちらhttp://www.kyokaido.com/index.html)
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生蓮寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
仏教美術としても価値の高い阿弥陀如来像を本尊する。 かつては竹林寺の一坊であったが、兵火により建物を焼失。現在は小さな無住の堂が立っている。
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真光寺
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 神社・仏閣
浄土宗の寺で、開基は不明。 本尊の聖観音像は鎌倉時代の作で、美しい表情を持ち、国の重要文化財に指定されている。 馬淵一族の墓「一大五輪石塔群」は有名。
草津・守山・近江八幡のパワースポット探し
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