葵区(静岡市)の文化史跡・遺跡 スポット 6選
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宇津ノ谷峠の旧東海道
静岡県 静岡・清水
- 旧街道
丸子と岡部の宿の間にあり、旅人の往来をさまたげていたのが宇津ノ谷峠。その東海道の道巾を広げ、現在のルートが整えられたのは、豊臣秀吉の小田原征伐のときといわれる。江戸時代になり、さらに形が整えられ、参勤交代や旅人の往来は活発になった。馬頭観音や峠の地蔵堂跡などが今でも残り、往時を偲ぶことができる。
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蔦の細道
静岡県 静岡・清水
- 旧街道
かつて在原業平が「伊勢物語」の中で、この宇津ノ谷越えを「駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」と、ツタやカエデが生い繁る峠の寂しさを歌ったことから、「蔦の細道」という地名が生まれた。この地名は、鎌倉時代の『東関紀行』や『十六夜日記』にも登場する。ハイキングコースとして整備された現在の蔦の細道は、標高200mの頂上に在原業平の歌碑が建てられ多くのハイカーで賑わっている。
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駿府城址
静岡県 静岡・清水
- 史跡
前身は駿河守護今川氏の駿府館といわれるが館の所在地については諸説ある。駿府館は永禄11年(1568)武田信玄の攻撃により焼亡。このとき今川氏滅びる。天正10年(1582)武田氏滅亡して徳川家康が駿河を領有、同13年城を修築して翌年浜松城から移る。家康関東移封後、中村一氏が入城。江戸開府後の慶長12年(1607)家康が大改築して隠居城とする。家康没後、頼宣・忠長などが城主となるが、明治まで幕府が直轄した。現在は駿府城公園として市民に解放されている。◎徳川家康(1542-1616)三河岡崎城主の松平広忠の長男。今川義元の人質として駿府で育ち、義元の敗死後独立して岡崎城主となる。のち遠江・駿河・甲斐・信濃を領有し、天下取りの基を築き、晩年は駿府で没した。◎徳川忠長(1606-32)徳川秀忠の三子で、駿河・遠江・甲斐・信濃のうち55万石を領し、駿河に住んだ。兄家光に対抗したため罪に問われ自殺した。
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安倍城跡
静岡県 静岡・清水
- 史跡
井伊城とともに南朝の拠点となった城跡で城主は狩野貞長。
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賎機山古墳
静岡県 静岡・清水
- 史跡
浅間神社境内の円墳で多くの遺物が発見された。
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薩た峠
静岡県 静岡・清水
- 旧街道
興津川の東、延長2kmほどのこの山道は海に突き出した山裾を切り開いたけわしい峠道で、昔は箱根・鈴鹿とともに東海道三大難所のひとつとして知られていた。南北朝時代には足利尊氏と直義兄弟が戦い、戦国時代には武田・今川・北条がこの峠を中心に攻防戦をくり広げるなど、数多くの戦いの舞台になったところでもある。峠道が開かれる以前は、旅人は峠下の海辺を通っており、波の引いた時に親は子を、子は親をかえり見る間もなく、一気に通り抜けたことから「親知らず子知らずの難所」といわれていた。頂上からの眺めは素晴らしく、広重が描いた『由比サッタの嶺の図』も多分ここからの眺め。頂上までは車で行けるが、ミカンやビワ畑の中を歩くハイキングコースに人気がある。
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