大津市・雄琴・堅田の文化史跡・遺跡 スポット 19選
-
坂本城跡
滋賀県 大津
- 史跡
元亀2年(1571)明智光秀が築いた平城。その規模は明らかでないが、琵琶湖の水を引いて堀を巡らした、かなり広壮な城域を誇ったといわれ、天守も見事であったという。だが、城の運命は、光秀の天下と同じでまことにはかなく、天正10年(1582)光秀が山崎の合戦で敗れたあと、従弟の秀満が最後に拠って自刃し城も灰燼に帰した。以後は廃城となる。今も残る遺構は湖中に沈んだ石垣の一部のみであるが、現地に整備された公園には「坂本城址」の碑と光秀の像が建てられている。◎明智光秀(1528-82)美濃生れ。織田信長の家臣となり、丹波亀山の城主となる。信長を本能寺に殺し、山崎で秀吉と戦い、敗死。
-
逢坂関跡
滋賀県 大津
- 史跡
天下の三関と称され古歌にも詠まれた。附近には公園が整備され、ゆかりの歌碑も建つ。
-
岩間山正法寺(岩間寺)
滋賀県 大津
- 史跡
-
大津城跡
滋賀県 大津
- 史跡
天正14(1586)年頃、豊臣秀吉の家臣である浅井長吉(長政)によって築かれた城。1600年の関ヶ原の合戦において、城主であった京極高次が徳川家康について籠城し、敵軍を足止めしたことが勝敗を左右したと言われています。その後、城は膳所へ移されましたが、天守閣は最後まで落城しなかったため、縁起をかついで彦根城へ移築されました。現在、京阪電車浜大津駅近くに碑が建っています。
-
近江大津宮錦織遺跡
滋賀県 大津
- 史跡
667年、天智天皇により飛鳥から変遷されたが、672年の壬申の乱で廃都と化した。以後長らく宮跡さえ不明で、所在地をめぐり議論を呼んでいたが、昭和40年代に宮跡らしき遺構が発見された。
-
茶臼山古墳
滋賀県 大津
- 史跡
大規模な前方後円墳で、付近の豪族の墓と推定される。被葬者については明らかではない。
-
南滋賀町廃寺跡
滋賀県 大津
- 史跡
大津宮址とも推定される薬師寺伽藍の寺院跡。
-
幻住庵
滋賀県 大津
- 史跡
松尾芭蕉が隠棲をかね、約4ヶ月間滞在した草庵。ここで記された「幻住庵記」は有名。平成3年に復元された。
-
皇子山古墳
滋賀県 大津
- 史跡
前方後方墳。4世紀後半の在地首長の墓と推測される。県内でも最古級の古墳である。
-
石山貝塚
滋賀県 大津
- 史跡
淡水産の貝塚としては、わが国最大級の規模。昭和15年に発見され、昭和34年まで数次にわたり調査が実施された。現在は埋め戻されているが、石山観光協会や瀬田の埋蔵文化財調査センターなどに断面が保存されている。
-
旧東海道
滋賀県 大津
- 旧街道
江戸日本橋から京都までを結ぶ旧五街道の一つで、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康によってその翌年に整備されました。安藤広重の東海道53次の版画で有名。 大津は東海道53次の53番目の宿で、京都から追分・大谷の谷筋を抜けて大津宿の中心(JR大津駅付近)へ至ります。札の辻で直角に折れ、大津の町を抜け、膳所城下町を通って瀬田の唐橋を渡り、唐橋以降は瀬田の集落を抜けて草津宿へと向かいます。ルートはほぼ昔に近い形でたどることができ、道すがらに当時をしのぶ様々な旧跡に出会えます。
-
崇福寺跡
滋賀県 大津
- 史跡
天智天皇が大津京の鎮護のために創立した寺で金堂跡・塔跡などが残り、かなり大きな寺であったと考えられる。
-
瀬田廃寺跡
滋賀県 大津
- 史跡
奈良時代の国分寺跡といわれている。桑畑の中から塔跡、金堂跡、講堂跡等が発見された。
-
膳所城跡
滋賀県 大津
- 史跡
徳川家康が関ガ原合戦の翌年の1601(慶長6)年に大津城を移築して築城させ、本多氏六万石の居城として明治維新にいたる。城は典型的な水城で、二の丸・本丸・出丸が湖に突出し、土橋で北の丸・三の丸と結ばれていた。明治に廃城となり、現在は本丸跡が膳所公園として整備され桜の名所となっている。また城門は重要文化財として膳所神社や篠津神社に移築されて残っている。
-
弘文天皇陵(長等山前陵)
滋賀県 大津
- 史跡
壬申の乱で敗死した大友皇子の墓。皇子は1870年に弘文天皇として追称された。1877年、長等山山麓の一古墳が陵墓として選定された。
-
近江国庁跡
滋賀県 大津
- 史跡
奈良時代、中央から国司が派遣され、その政庁を国庁といい、近江国庁は8世紀中頃から10世紀末まであったとされる。
-
百穴古墳群
滋賀県 大津
- 史跡
山の南側に約63基の石室がみられ150基以上あったことが推定される。
-
若狭街道(鯖街道)
滋賀県 大津
- 旧街道
若狭から、葛川谷、花折峠、途中峠を経て、京都の出町柳に至る道。若狭の海から内陸部の京都へ塩鯖を運ぶ道であったことから「鯖街道」を呼ばれるようになりました。現在も鯖寿しが街道の名物ともなっています。
-
北国海道(西近江路)
滋賀県 大津
- 旧街道
古くは北陸道とも呼ばれ、東山道とともに近江で最も早く整備された道。札の辻から琵琶湖の西岸を北上して敦賀に至り、古来より畿内と北国を結ぶ最短距離の道として利用されてきました。大津市内では下阪本辺りに古い町並みを残しています。
大津市・雄琴・堅田の文化史跡・遺跡探し
大津市・雄琴・堅田で体験できる文化史跡・遺跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、大津市・雄琴・堅田にて文化史跡・遺跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの大津市・雄琴・堅田で文化史跡・遺跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。