盛岡市・つなぎの文化史跡・遺跡 スポット 4選
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奥州街道
岩手県 盛岡
- 旧街道
奥州街道は江戸日本橋を起点とする「五街道」のひとつで、宇都宮から福島、仙台、盛岡、青森を経て、津軽半島の三厩まで続く、日本最長の街道です。市内には、鍛冶町一里塚跡を含めて5箇所の一里塚と渋民宿があります。
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志波城跡
岩手県 盛岡
- 史跡
陸奥国最北端の古代城柵。志波城跡の南辺に約1200年前に築城された時の姿が復元され、中央に配した南門は門口15m、奥行6m、高さ11.1mあり、平城宮跡朱雀門に次ぐ大規模な門。その両側それぞれ126mに土を層状に固めた築地堀をめぐらしており、堀の上にはやぐらを組んでいる。
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厨川の柵跡
岩手県 盛岡
- 史跡
通称安倍館を柵址とするのに対し,近年では発掘調査の結果などから安倍館より南西の天昌寺一帯が柵址であると考えられている。そして安倍館は嫗戸柵址に比定されている。ただ『陸奥話記』に描かれた厨川落城の様相をしのぶには,北上川に断崖を落とす安倍館の景観がよりすぐれている。安倍館は源頼朝の御家人工藤行光が居城とし,以来,工藤氏が戦国時代末期まで在城した。今は住宅地と化し,空堀を残すのみとなっている。
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盛岡城跡
岩手県 盛岡
- 史跡
三戸城主南部信直が慶長3年(1598)ごろ着工,子の利直のとき三戸より移る。城が完成したのはその子重直の時代,寛永10年(1633)という。南部氏が累代在城して明治維新までつづいた。現在,石垣と堀を残している。また城跡は岩手公園になっており,内堀・石垣に往時を偲ぶだけである,松や桜の多い園内は,市民の散策の場となっている。◎南部信直(1546-99)近世南部氏の藩祖。戦国末期,豊臣秀吉に仕え本領を守る。盛岡城を築城した。
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