三次市の文化史跡・遺跡 スポット 16選
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浄楽寺七ツ塚古墳群
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
浄楽寺古墳群は120基の前方後円墳・円墳等,七ツ塚古墳群には52基の前方後円墳・円墳あり。中国地方最大級の古墳群で国史跡。
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聖地助磊
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
この助磊は洪水の時登ると、増水に従って石も自然に上り水没することがないという伝承をもつ奇石である。文政3(1820)年に著された「敷名志」にその記述があり、ほ場整備以前にはこの付近にほかにも助磊があったといわれる。 三次市史跡に指定されている。
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三玉大塚古墳
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
全長41mの帆立貝形古墳で,短甲などの副葬品が多数出土し東京国立博物館に所蔵されている。周囲には周堤がめぐらされ,墳丘は葺石で覆われ,埴輪がめぐらされる。出土品のいくつかは吉舎歴史民俗資料館に展示されている(一部レプリカ)。 5世紀後半の古墳と推定。 広島県史跡に指定されている。
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南天山城跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
中世,和智氏の居城。本丸・二の丸跡のほか,竪堀跡が残存する。本丸・二の丸跡などが残存。
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出雲街道
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
町を南北に走る街道は、瀬戸内と出雲を結ぶ要路として発達した。広島藩は寛永10年(1633年)石見・出雲両街道の広さを7尺(約2.121m)と定め、1里(約3.9km)ごとに土石を積み、目印の松の木を植えた一里塚を設置した。町内には、2カ所の一里塚があった。吉舎よいとこ発見隊によるボランティアガイドあり。(要予約)
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花園遺跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
弥生時代後半(1〜3世紀)から古墳時代初頭(3世紀後半)に造られた墳墓群で,方形台状の墳墓並びに溝で区切られた墓域が多数検出され,そのうち台状墓3基が指定保存されている。 国により史跡に指定されている。
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山家の一里塚
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
旧雲石街道にあり方形の石垣や水飲み場などが残る。広島県史跡。
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みよし風土記の丘
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
史跡浄楽寺・七ツ塚古墳群を中心とする約30haが史跡公園“みよし風土記の丘”として整備されている。
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比叡尾山城跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 城郭
鎌倉時代初期の築城と伝えられ、三吉氏歴代の居城として、天正19年(1591年)の比熊山城(三次町)移転までの約400年間、三次盆地の政治・軍事の中心地となった。 現在は、郭(くるわ)・石垣・墓地などの遺構(いこう)が残っており、地元の手で整備が進んでいる。
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日光寺住居跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
古墳時代後期の竪穴住居跡。広島県史跡。
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若宮古墳
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
全長約36mの前方後円墳。よく原形が保たれた貴重な遺跡。広島県史跡。
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矢谷古墳
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
四隅突出型前方後方形墓と呼ばれる,めずらしい墳立墓と2基の方形周溝墓,古墳時代後期の窯跡からなる国史跡。
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比熊山城跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
三吉広高の築城。天正19年(1591年)の築城。関ヶ原の戦後の毛利氏の移封により廃城となる。山頂付近には,本丸跡や井戸・土塁・竪堀の遺構があります。また、三次に伝わる妖怪物語「稲生物怪物語」の舞台としても登場します。
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寺町廃寺跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
法起寺式の伽藍配置をもつ第一級の古代地方寺院跡で,主要堂塔跡が残存。瓦窯跡とあわせて国指定史跡。
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岩脇古墳
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
直径31mの円墳で、竪穴式石室、箱式石棺を埋葬主体にもつ。県史跡。公園として展望台がある。
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赤名峠
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
古来から、山陽と山陰を結ぶ交通の難所とされてきた峠。石見大森銀山から銀を運ぶ道としても重要な役割を担った。江戸時代以前の旧出雲街道、明治20年開通の旧国道、昭和39年開通の国道54号と各時代の道路が交差する。 日本百名峠に指定。
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