高松市の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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高松市茶臼山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松平野の東部、茶臼山の山頂部を利用して築かれた全長75mの前方後円墳。発掘調査により、後円部中央に2つの竪穴式石室が発見された。大きな方の石室からは、鍬形石と呼ばれる腕輪の一種や鏡(画文帯重列式神獣鏡)等の副葬品が発見された。鍬形石は県内唯一の事例で、四国でも他に徳島市の巽山古墳の例があるのみである。大和の勢力者から分配を受けたものと考えられ、茶臼山古墳の被葬者が近畿地方と密接な関係にあった証拠とされている。石室も近畿地方にみられる構造をしていることが知られている。
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讃岐国分尼寺跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
天平13年(741)に聖武天皇の命によって造営された讃岐の国分尼寺。現在の法華寺境内には、金堂の礎石と推定される自然石が残っているほか、近年、その北側で講堂跡や尼房跡が確認された。
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石船石棺
香川県 高松・東讃
- 史跡
鷲ノ山産の石英安山岩質凝灰岩(俗に鷲ノ山石)製の「刳抜式石棺」である。石舟池の堤防下で発見された。古墳時代の4〜5世紀にかけて香川県内の大型前方後円墳の被葬者の棺として使われていたほか、畿内へも運ばれて使用された。
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讃岐国分寺跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
讃岐国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇が諸国に国分寺および国分尼寺を造営するように命じたことによって建立された国営の寺院である。正式には金光明四天王護国之寺といい、尼寺に対して僧寺とも呼ばれる。現在、史跡地の一部は公園として整備され、僧房跡などが復元され公開されている。
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佐賀神社古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
佐賀神社本殿の裏側に大振りな石を用いた横穴式石室が残存している。本来は盛土の墳丘があったと考えられるが、現在では石室の石材がほぼ露出し、その上に神社の本殿が建てられている。
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城所山2号墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
城所山2号墳は直径約12メートルの円墳である。玄室の一部が残っており、西側に羨道部が延び、西向きに開口する石室であったと考えられる。石室内部から、須恵器・耳環・鉄鎌等が出土した。出土遺物から、6世紀末に築造され7世紀前半まで追葬が行われた古墳と考えられる。
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源平屋島合戦の史跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
源平屋島合戦の古戦場として数多くの史跡が点在する。(義経の弓流しの跡、那須与一の祈り岩、駒立岩、佐藤継信の墓などの多くの史跡がある。)
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横岡山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
古墳時代後期の6世紀末から7世紀初頭に造られた古墳で、埋葬施設として横穴式石室をもつ。石室を覆っていた封土は流失して残っていないが、石室西側で尾根をカットして掘られた周溝が見つかっており、直径22mの円墳であると推定される。特徴として、玄室から入口を見て左側だけがクランク状に屈曲する左片袖式であること、羨道が玄室より1.5倍も長いことが挙げられ、近畿地方の影響が想定される。一方、入口両側に石材を立てる立柱構造は、九州地方の影響と想定される。
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下司廃寺塔跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
古代寺院の遺構が殆ど失われている中で、下司廃寺塔跡は、比較的よく残っている。塔跡基壇は高さ約2メートル、大きな楠の樹間に祠が置かれ、礎石数個が露出し、古瓦破片が散乱している。6世紀のころ、仏教の伝来にともない崇仏・排仏の争いが激しかったが、朝廷の方針が仏教奨励に傾くにつれ、諸国の豪族も仏教に帰依するものが相次ぎ、自己の権勢を示し、保全を願うため、有力豪族が争って寺を建立した。下司廃寺が建立された頃には、寺の数はかなりの増加を遂げたといわれる。寺名が伝わっていないため、字名をとって下司廃寺と呼ばれるが、数個の礎石と散乱する古瓦片が、かつての栄華を語りかけている。
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久本古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
久本古墳は北方の山下古墳とともに巨大な横穴式石室をもつ巨石墳で、玄室および羨道部の天井は、いずれも巨大な自然石で覆っている。この石室は、南面して開口しており、自由に出入りすることができる。 玄室奥に県内唯一の石棚がみられ、棚の下には、遺体を安置する陶棺が置かれていた。石棚は北部九州や和歌山県の古墳に多く見られ、広範囲にわたる文化交流がうかがえる。久本古墳には「村の祭礼などのとき、塚が膳・椀を貸してくれていたが、村人が壊すなどの不始末を起こし返さなかった後は、膳・椀を貸してくれなくなった。」という“椀貸しの伝説”が伝えられており、このことから地元では「椀貸塚」と呼ばれている。
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三谷石舟古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
三谷石舟古墳は高松平野最大の前方後円墳である。埋葬主体は不明であるが、後円部のほぼ中央において国分寺町鷲ノ山の石材を用いた刳抜式石棺の棺身が露出しており、頭部には石枕、足側には縄掛突起が認められる。詳細な時期は不明であるが、石棺の型式などから古墳時代中期初頭頃の古墳と想定される。
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古宮古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松西高校南の谷間にある、古墳時代後期の横穴式石室墳。石室は遺体を葬る玄室と玄室に至る羨道に分けられる。古宮古墳の羨道は破壊されているが、玄門から奥の玄室は非常に良好に残っており、ダイナミックな石組みは技術の高さを物語っている。古墳はすでに盗掘を受けているが、土器とともに鉄地金銅張鞍金具の破片が出土しており、石室の規模や出土遺物から、被葬者は相当の権力を持っていたとみられる。
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十河城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
十川東町の「城」といわれる地名の台地上にあり、称念寺を中心とする一帯が城跡である。四方の眺望にすぐれ、城として恵まれた立地にある。同寺の境内に本丸があったと考えられており、将兵の菩提を弔うため称念寺が建立された。北側の空堀は、歴然と名残をとどめ、西側の鷺(さぎ)の他、東側の急傾斜など天然の地形を利用した中世の典型的な城跡として貴重な史跡である。
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今岡古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
古墳時代中期前半(5世紀前半頃)に築造された前方後円墳で、勝賀山から派生した丘陵の先端に立地する。古墳には河原石が散乱しており、築造当時は墳丘表面に葺石が葺かれていたと考えられ、円筒埴輪のほか、後円部を中心に家形や蓋形等の形象埴輪も採取されている。東の方に立地する石清尾山古墳群と比べ、葺石で墳丘を飾り、多量の埴輪が立てられた今岡古墳は、当時の中心地であった近畿地方の強い影響を受けていると考えられている。
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府中山内瓦窯跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
讃岐国分寺から南西約1キロ離れた高松市国分寺町新名から坂出市府中町前谷にかけて所在する窯跡群。窯周辺では讃岐国分寺や国分尼寺で出土する軒瓦と同一の文様をもつ瓦が採集されていることから、両寺の建立にあたって、その瓦を製造した瓦窯と推定されている。
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讃岐遍路道根香寺道
香川県 高松・東讃
- 史跡
四国八十八ヶ所霊場を巡る遍路道は、四国4県にまたがる空海(弘法大師)ゆかりの寺院を巡る1400kmにおよぶ壮大な巡礼道で、古来より人々の往来や文化交流の舞台となり、数多くの石造物等の文化財が残されている。第81番札所白峯寺から第82番札所根香寺間の遍路道である「根香寺道」は、高松市と坂出市にまたがる五色台にあり、道沿いには道標・丁石等の石造物が残っている。承応2年(1653)の澄禅による『四国遍路日記』には「白峰ヨリ五拾町往テ根香寺ニ至ル」、貞享4年(1687)の真念による『四国遍路道指南』には「これより根香寺まで五十町。」とあり、現在の丁数と合致しており、少なくとも江戸時代前期には現在の遍路道が使われていたことがうかがえる。
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生駒親正夫妻墓所
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松城を築城した生駒親正とその妻の墓。墓塔は、角礫凝灰岩で作られた五輪塔である。昭和30年4月2日香川県史跡に指定された。
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松平家墓所
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松藩主の松平家代々の墓所。代々藩主とその夫人をはじめ類縁の人々の墓塔が200基あまりあり、これほどの数の墓塔がある大名家墓所は全国でも珍しい。零代藩主の命日に墓参できる。
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古代山城 屋嶋城
香川県 高松・東讃
- 史跡
663年の白村江の敗戦後、唐・新羅軍の侵攻を恐れた大和朝廷は、各地に防御用の山城を築かせた。屋嶋城はそのうちの一つで、『日本書紀』の667年の条に「倭国の高安城・讃吉國山田郡の屋嶋城・対馬國の金田城を築く」との記載がある。 屋嶋城の城壁は山上を全長7kmに渡ってめぐらしていたと考えられているが、そのほとんどは断崖絶壁で、人工的に城壁が築かれていたのはそのうちの約1割程度。そのため、自然地形を最大限に活用した古代山城と言える。
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史跡高松城跡(玉藻公園)
香川県 高松・東讃
- 史跡
天正16年(1588)、豊臣秀吉の家臣生駒親正によって築城された水城である。生駒氏は親正以降4代54年居城したが、高俊のとき御家騒動が起こり、出羽矢島に転封された。その後、讃岐は高松と丸亀の2藩に分割され、高松城には水戸徳川頼房の子松平頼重が入城、修復増築を施し、12代つづいて明治に至った。3重の月見櫓や、艮櫓、天守跡などに往時の面影が偲ばれ、城跡一帯は玉藻公園として開かれている。園内には3つの築山を中心とする枯山水庭園、披雲閣、松平家家宝の一部を展示した玉藻公園陳列館がある。◎生駒親正(1526-1603)美濃生まれ。武将。織田・豊臣に仕え、賎ヶ獄・小牧山の戦などで軍功を挙げ、近江高島、伊勢神戸、赤穂城主。◎松平頼重(1622-95)水戸生まれ。水戸光圀の同母兄。徳川家康に謁見し常陸下館より高松藩に転封、初代藩主となり民政に力を入れる。西国大の命を受け幕閣からも一目おかれた。◎松平頼寿(1874-1944)高松藩松平家12代当主。井伊直弼の孫。貴族院議長となる。その間、県教育会会長、日銀監事、大日本図書館総裁、日本競馬会会頭を務める。
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