川西町(東置賜郡)の文化史跡・遺跡 スポット 5選
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下小松古墳群
山形県 米沢・置賜
- 史跡
前方後円墳17基を含む約200基の古墳が群集する、東北地方最大規模の古墳群です。 ヒメサユリ、ニッコウキスゲ、ハッチョウトンボ、チョウセンアカシジミなどの希少な動植物が生息する。自然観察にも最適な遊歩道が整備されている。 また古墳群の北東に位置する展望台(T-41号墳)は山形県眺望景観資産第2号に指定されており、米沢盆地を一望できる絶景スポットです。
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天神森古墳・亀森山天満宮
山形県 米沢・置賜
- 史跡
東北最大級の前方後方墳。 天ッ神少彦名命(亀森天神)・菅原道真(天満天神)の二座を祀る。 天満宮別当であった大円寺所蔵の縁起によれば、平安時代天徳4年、分霊を勧請して創始され、延徳元年に伊達尚宗、享禄2年に小松城主桑折播磨守、万治2年に上杉綱勝による社殿寄進が記録され、中世には長井氏、伊達氏、上杉氏の代々領主の崇敬を集めた。 かつての小松は、商業や文芸が盛んな宿場町として大変栄えており、天満宮は、中世には連歌の神様として盛んに信仰されていた。しかし、江戸時代以降、連歌の衰退と共に社殿も縮小し、明治の火災以降、再建されず石祠のみとなって現在に至る。 平成6年、地元有志により天満宮神輿が復活し、その歴史が再び脚光を浴びている。
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原田城址
山形県 米沢・置賜
- 史跡
伊達家宿老原田氏の居城。平山城で三方が崖に囲まれ、規模は東西 350m・南北100mとされ、大手は南側、西が本丸、東が二の丸で、それぞれが空堀で区切られている。伊達家が岩出山に移る天正19年(1591年)まで米沢北郊の戦術的支城の役割を担った。最後の城主、原田左馬介宗時は18歳で家督を継ぎ、伊達政宗の軍事において顕著な戦功を挙げた。豊臣秀吉の朝鮮出兵の命により、文禄2年(1593年)7月伊達家臣団の一人として朝鮮半島の釜山へ渡ったが、間もなく病を患い、対馬で没した。 宗時の二代後にあたる原田甲斐宗輔は仙台藩伊達家の家老となり、1970年のNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』の主人公となった。
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小松城址
山形県 米沢・置賜
- 史跡
越後街道と長井街道の交差する要所に位置する小松城は、鎌倉時代に長井氏家臣舩山因幡守によって創建され、戦国時代にかけて米沢城の重要な支城の役割を担った。伊達時代には大町修理亮が七代にわたり治め、その後天文の乱で活躍した宿老桑折播磨守、朝廷より奥州守護代に任じられた牧野久仲ら文武兼備の重臣が城主を務め、外交の席で連歌の宴が催された。 元亀元年(1570年)小松城主牧野久仲の実父である中野宗時は連歌に興じていて米沢城に出仕せず、謀反を企て遠藤基信の暗殺を計ったが失敗し、小松城に篭城して小松城の戦いの舞台となった。(元亀の変)
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片倉館
山形県 米沢・置賜
- 史跡
伊達政宗と共に活躍した片倉小十郎景綱の祖父、片倉伊豆守景時(小松伊豆)が天正年間伊達晴宗に仕え、小松郷に采地を賜りこの地に居館を構えたのが始まりである。片倉伊豆守景時には2人の息子があり、伊達輝宗の時代に長男片倉景親は長井小桜館を賜ったが、入道して意休斎と号した。次男片倉景重は片倉館を継いで小十郎景綱の父となった。景重は米沢八幡の神職と伝えられるが、米沢八幡は存在しておらず、この地に祀られている八幡神社を指していると考えられる。 小十郎は、はじめ親族の藤田家に養子に出されたが、後に子が生まれたため藤田家を出て、伊達輝宗によって政宗の小姓に取り立てられたと伝えられる。(伊達世臣家譜による) 当時の資料や歴史的人物的背景から、ここ片倉舘が片倉小十郎景綱の生誕の地であると考えられる。
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