鶴岡市の文化史跡・遺跡 スポット 12選
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鶴ヶ岡城址
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
鶴岡市街の中心にある。鎌倉時代大宝寺城とも呼ばれた鶴ヶ岡城は、江戸時代・庄内藩主酒井氏の居城であったが、いまはその城跡が公園になっている。松や杉の老木の中、旧本丸には藩祖を祭る荘内神社があり、外堀跡はむかしの鶴ヶ岡城の風格を伝えている。700本を超える桜が植林されており、春にの花見のシーズンには、多くの観光客でにぎわう。「日本のさくら100選」にも選定されている。
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藤島城跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
出羽国府の属城として築城された平城跡。 上杉氏家臣、最上氏家臣等々の居城となったが、元和元年(1615年)一国一城令により廃城となった。 6次にわたる発掘調査の結果、本丸・二ノ丸の建物跡や堀・土塁跡等が発見されているが、現在は町中央部の八幡神社境内に土塁と堀の一部を残すのみとなっている。
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添川館跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
寒河江因幡守の居館で、壕や井水が当時の面影を残す。
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古郡館跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
土佐林氏の居館。池神社山門は町文化財の指定となっている。
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平形館跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
地方土豪の居館、地方統治の中心地であった。
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蝦夷館
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
その昔、源義経たちが鎌倉幕府から追われ奥州平泉に落ちのびる途中、武蔵坊弁慶が鶴岡市金峯山に代参し、山頂から羽黒山めがけて投げた石がこの地に落ちたと伝えられています。本州では珍しい先住民族の住居遺跡で、中腹から頂部にかけて空濠をめぐらし、北海道以外では見られない遺跡である。
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玉川遣跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
先住民族石器時代の遺跡。
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丸岡城跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
丸岡地区は、庄内と山形県内陸部を結ぶ旧六十里越街道に対する要地。鎌倉時代より、当地方を支配する武藤氏の支城がおかれていました。この丸岡にある天澤寺は、加藤家終焉の地としての史実とともに、「清正公が眠る菩提寺」として、全国から多くの参拝客が訪れます。参道では、禅の思想を具現化した理想的な人間像という十六大阿羅漢が出迎え、加藤清正公の墳墓(五輪塔)や清正閣をはじめ、綴錦織の世界的巨匠 遠藤虚籟の糸塚などがあり、秋深くなる頃、境内の大いちょうの木が黄金の美しい彩りを放ちます。
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旧六十里越街道
山形県 酒田・鶴岡
- 旧街道
鶴岡から湯殿山南側を通り、山形へと続く「六十里越街道」は、湯殿山詣の道と言われ、庄内藩主の参勤交代路としても利用されていた古道。かつて宿場として栄えた田麦俣には、 茅葺き屋根の多層民家が今も往時の姿をみせています。国土交通省選定・日本風景街道にも選ばれています。
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近世念珠関跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
現在の関所址は、古代鼠ヶ関が移転されたもので、移転された事情や時期は明らかではありませんが、庄内に酒井氏が入部された元和8年(1622)以後に整備されたといわれています。 市指定史跡(平成元年)
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戊辰の役激戦地
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
慶応4年(明治元年)1月、徳川慶喜追討令により起こった戊辰の役は、同年8月下旬、鶴岡市小名部口や鼠ヶ関口で激しい戦闘が繰り返されました。荘内軍は、西軍(政府軍)を一歩も領内に入れませんでしたが、9月11日の昼過ぎ、関川口は西軍の奇襲を受け、ついに占拠を許しました。その後数度の奪回作戦も功を奏せず終戦を迎えた関川は、味方の戦死者が51名にものぼる戊辰の役最後の激戦の地となりました。 市指定史跡(昭和61年)
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小国城跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
小国城跡は、小国集落に隣接する地元で「楯山」と呼ばれる標高348.5mの山頂部に築かれており、出羽と越後の国境を守る重要な山城でした。ふもとからの標高差は約235mあり、山形県内の中世山城跡では最大の比高差です。小国城跡は、庄内地方の戦国時代における抗争の歴史の証言者です。 国指定 史跡(平成14年)
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