益子町(芳賀郡)の文化史跡・遺跡 スポット 5選
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入定塚古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
円通寺一切経塔の南西約50mに位置し、小貝川の東岸にあたり、八溝山地の一部をなす鶏足山塊の西側に立地します。 小貝川の沖積地との比高差は約40mあり、樹木がなければ見晴らしのよい環境にあります。 昭和33年(1958)に県の史跡に指定された際には前方後円墳と考えられていましたが、その後の「栃木県史」には前方後方墳との記載があります。 周溝や葺石、埴輪などは認められれていません。 後方部と前方部の高さが同じであることや墳丘全体が平たく低く構えているところから、古墳時代後期の築造と思われますが、中期という説もあります。
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小宅古墳群
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
国道123号の北側、亀岡八幡宮から青田地区にまたがり、小貝川の支流である小宅川の右岸丘陵上の平坦面及び南向きの緩斜面に立地しています。 前方後円墳6基、円墳29基、総数35基からなる古墳群で、内県指定は1号から18号墳までで(内1基はその後の調査で古墳ではないと確認)前方後円墳5基、円墳12基です。 近年、地元の努力により整備が進み、菜の花と桜の名所となっています。
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風戸塚古墳
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
頂頭部は平坦な截頭円墳です。 比較的大型の円墳ですが、周溝もはっきりせずまた墳端部は削平され墳頂部の変形も著しいです。 また葺石等は不明瞭で埴輪等の細片も見当たりません。 主体部が未調査のため築造年代は不明ですが、古墳時代後期のものと思われます。
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高館城跡
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
高館山頂にあり、別名益子城、西明寺城ともいわれています。 益子氏の居城として、天正17年(1589)宇都宮国綱、芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができます。 また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍した歴史をもっています。
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天王塚古噴
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 史跡
古代中国の天文術により設計されました。 後円部南側のややくびれ部寄りで、墳頂下約2.2mに天井石を置く横穴式石室をもっています。 天王塚古墳は益子町道祖土字荒久台にある古墳群(荒久台には28基の古墳が確認されています)の主墳と考えられています。 築造年代は石室や副葬品の特徴から見て5世紀後半から6世紀前半です。
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