米沢・置賜の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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長井駅
山形県 米沢・置賜
- 史跡
山形県長井市にある駅。改札口はなく、ホームに自由に出入りすることができる。側線には保線用モーターカーの車庫があり、隣接して旧貨物ホームが残っている。駅舎内部には旅行センターや待合室、ギャラリーが設けられており、旅行センターでは硬券乗車券や入場券、回数券や定期券などを取り扱っている。
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黒沢峠の敷石道
山形県 米沢・置賜
- 史跡
越後米沢街道十三峠のひとつ『黒沢峠』は、江戸時代に敷かれた約3600段の敷石が今も残り、ブナ林の中に続く敷石の道は、歴史の道百選の中でも随一の美しさと評されています。 2015年9月26日(土)には「第13回 萱野峠敷石惚れ掘れ探検隊」が開催されます。詳しくは下記リンクをご覧ください。 http://mount13.web.fc2.com/kayano01.html
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天神森古墳・亀森山天満宮
山形県 米沢・置賜
- 史跡
東北最大級の前方後方墳。 天ッ神少彦名命(亀森天神)・菅原道真(天満天神)の二座を祀る。 天満宮別当であった大円寺所蔵の縁起によれば、平安時代天徳4年、分霊を勧請して創始され、延徳元年に伊達尚宗、享禄2年に小松城主桑折播磨守、万治2年に上杉綱勝による社殿寄進が記録され、中世には長井氏、伊達氏、上杉氏の代々領主の崇敬を集めた。 かつての小松は、商業や文芸が盛んな宿場町として大変栄えており、天満宮は、中世には連歌の神様として盛んに信仰されていた。しかし、江戸時代以降、連歌の衰退と共に社殿も縮小し、明治の火災以降、再建されず石祠のみとなって現在に至る。 平成6年、地元有志により天満宮神輿が復活し、その歴史が再び脚光を浴びている。
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原田城址
山形県 米沢・置賜
- 史跡
伊達家宿老原田氏の居城。平山城で三方が崖に囲まれ、規模は東西 350m・南北100mとされ、大手は南側、西が本丸、東が二の丸で、それぞれが空堀で区切られている。伊達家が岩出山に移る天正19年(1591年)まで米沢北郊の戦術的支城の役割を担った。最後の城主、原田左馬介宗時は18歳で家督を継ぎ、伊達政宗の軍事において顕著な戦功を挙げた。豊臣秀吉の朝鮮出兵の命により、文禄2年(1593年)7月伊達家臣団の一人として朝鮮半島の釜山へ渡ったが、間もなく病を患い、対馬で没した。 宗時の二代後にあたる原田甲斐宗輔は仙台藩伊達家の家老となり、1970年のNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』の主人公となった。
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小松城址
山形県 米沢・置賜
- 史跡
越後街道と長井街道の交差する要所に位置する小松城は、鎌倉時代に長井氏家臣舩山因幡守によって創建され、戦国時代にかけて米沢城の重要な支城の役割を担った。伊達時代には大町修理亮が七代にわたり治め、その後天文の乱で活躍した宿老桑折播磨守、朝廷より奥州守護代に任じられた牧野久仲ら文武兼備の重臣が城主を務め、外交の席で連歌の宴が催された。 元亀元年(1570年)小松城主牧野久仲の実父である中野宗時は連歌に興じていて米沢城に出仕せず、謀反を企て遠藤基信の暗殺を計ったが失敗し、小松城に篭城して小松城の戦いの舞台となった。(元亀の変)
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片倉館
山形県 米沢・置賜
- 史跡
伊達政宗と共に活躍した片倉小十郎景綱の祖父、片倉伊豆守景時(小松伊豆)が天正年間伊達晴宗に仕え、小松郷に采地を賜りこの地に居館を構えたのが始まりである。片倉伊豆守景時には2人の息子があり、伊達輝宗の時代に長男片倉景親は長井小桜館を賜ったが、入道して意休斎と号した。次男片倉景重は片倉館を継いで小十郎景綱の父となった。景重は米沢八幡の神職と伝えられるが、米沢八幡は存在しておらず、この地に祀られている八幡神社を指していると考えられる。 小十郎は、はじめ親族の藤田家に養子に出されたが、後に子が生まれたため藤田家を出て、伊達輝宗によって政宗の小姓に取り立てられたと伝えられる。(伊達世臣家譜による) 当時の資料や歴史的人物的背景から、ここ片倉舘が片倉小十郎景綱の生誕の地であると考えられる。
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大里峠(越後米沢街道十三峠)
山形県 米沢・置賜
- 旧街道
1521年に開拓された越後街道十三峠の一部軍運用及び商業上大きな役割を果たした。
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萱野峠(越後米沢街道十三峠)
山形県 米沢・置賜
- 旧街道
越後街道十三峠の一つ。
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黒沢峠(越後米沢街道十三峠)
山形県 米沢・置賜
- 旧街道
越後米沢街道十三峠のひとつ『黒沢峠』は、江戸時代に敷かれた約3600段の敷石が今も残り、ブナ林の中に続く敷石の道は、歴史の道百選の中でも随一の美しさと評されています。
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朴ノ木峠(越後米沢街道十三峠)
山形県 米沢・置賜
- 旧街道
越後街道十三峠の一つ。
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下小松古墳群
山形県 米沢・置賜
- 史跡
前方後円墳17基を含む約200基の古墳が群集する、東北地方最大規模の古墳群です。 ヒメサユリ、ニッコウキスゲ、ハッチョウトンボ、チョウセンアカシジミなどの希少な動植物が生息する。自然観察にも最適な遊歩道が整備されている。 また古墳群の北東に位置する展望台(T-41号墳)は山形県眺望景観資産第2号に指定されており、米沢盆地を一望できる絶景スポットです。
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鮎貝城址
山形県 米沢・置賜
- 史跡
鮎貝氏(伊達政宗と争った)の城跡。
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飯豊山の穴堰
山形県 米沢・置賜
- 史跡
かんがい用水確保のため、小国町玉川の水を白川へ導水させようと建設された。上杉鷹山の家臣 黒井半四郎忠寄が掘削を計画し実行した。着工後20年を費やし、難工事の末、完成した。 (県指定文化財)
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萩生城址公園
山形県 米沢・置賜
- 史跡
萩生城址は、伊達家の家臣 国分氏の本拠(11代 210余年)である。 濠や土塁の一部が残されている。
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草木塔
山形県 米沢・置賜
- 史跡
本県特有の文化遺産で、置賜地方に多くみられる。 諸説あるが、伐採採取された樹木や草木を供養するために上杉鷹山が奨励したといわれている。飯豊町内では、中津川地区に分布し、代表的な2基が町指定文化財。(小屋字小手屋、岩倉字塩ノ畑)
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二色根館跡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
二色根山の山上にある、空堀とけわしい崖に囲まれた館の跡。秀吉の家臣栗野喜右衛門が篭ったと伝えられる。堀・石垣・井戸と老松が残る。
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北山原殉教遺跡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
寛永5年12月18日(太陽暦では1629年1月12日にあたる)の甘粕右衛門一族らの殉教をはじめとし、57名の米沢のキリシタンが処刑された場所。 昭和3年に舘山の教会に赴任したシュインテク神父がローマへの報告書を元に調査を行い、六地蔵の石碑が立っている荒地が殉教の遺跡であることを確認、翌4年、有志の手により十字架が建てられ、ドイツからキリスト・マリア・ヨハネの像が贈られた。
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長者屋敷遺跡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
西山山麓から東に張り出した標高270mの台地にあり、東西300m、南北100mに広がる遺跡。昭和50年代の調査で、旧石器時代(17,000年前)から縄文・弥生時代までの遺跡が確認されている。現在は、約4,000年前の縄文中期の住居跡を覆屋(六角堂)により展示、住居跡には竪穴式住居を復元している。
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洞雲寺の大石・巨石郡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
上伊佐沢の大石地区にある洞雲寺の裏山には、いたるところに巨大な花崗岩の石塊が散らばっている。中でもひときわ異彩を放つのが「洞雲寺の大石」である。長さ12.6m、高さ6.5m、幅6.5mもの大きさで、地名にもなっているほど。平安時代の武将・源義家の馬のひづめの跡があるという言い伝えも残っている。そして寺の裏手の藪の中に分け入って行くと「ばくち石」と呼ばれる巨石が姿を現す。斜めにスパっと断ち割られたような不思議な半円形をしている。また、大石から北へ少し進むと「じじ石」「ばば石」と呼ばれる巨石が並んでいる。
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宮遺跡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
昭和20年代に現在の十日町郵便局から谷地橋迄の新しい道路工事に伴い、かなり完全な形をした縄文土器が発見された。その後の発掘作業により、縄文中期の初頭後半から中葉前半(5000〜4500年前)のものと推定される住居3棟と大型土器が見つかった。現在の十日町郵便局周辺で出土。
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