北茨城・奥久慈・日立の文化史跡・遺跡 スポット 7選
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助川海防城跡
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
天保7年(1836年)徳川斉昭が戦国期の介川将監通定の居城跡に、海岸警備の充実を図って築城した。国家老山野辺義観が城代として入って海防総司となり、以後、山野辺義正、同義芸と居城として海防の任に当たったが、天狗党の乱(1864年)のときに落城した。
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梵天山古墳
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
常陸太田市の南西端、島町の丘陵上にあるのが梵天山古墳群。主墳の梵天山古墳を中心に、13基の高塚墳と「百穴」と呼ばれる横穴群で構成されています。梵天山古墳は、かつて久慈川流域を支配していた久自国造舟瀬足尼の墳墓と伝えられている前方後円墳で、その全長は160m、石岡市北根本にある舟塚山古墳に次いで、茨城県内で2番目の大きさを誇ります。後円部に対して前方部が著しく未発達であることから、築造時期は古墳時代前期と推定されます。
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馬坂城跡
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
馬坂城は、平安時代末に、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫で、佐竹氏の祖とされる昌義が築いた城郭です。約6032平方mの敷地に3つの曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川まで広がる湿地帯に囲まれた、まさに自然の要塞と言えます。佐竹氏が三代隆義の時代に太田城(舞鶴城)に移った後は、 四代秀義の子、義清が稲木氏を名乗って移り住むなど、佐竹氏一族の居住となっていましたが、慶長7(1602)年、佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました。また、城内には、縄文時代前期(約8000年前)に営まれたと見られる間坂貝塚があります。
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松岡城址
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
水戸藩附家老中山氏の居城。空堀を残すのみだが,家並みは城下町の面影を伝ている。
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時雍館跡
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
庶民の子弟の教育機関である郷校として、水戸藩9代藩主斉昭により創立された。弘化元年(1844)に建設されたが、斉昭の失脚などにより開館が遅れ、嘉永3年(1850)に教育が開始された。市指定史跡。
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月居城跡
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
袋田氏が築いた山城。天狗党が立篭ったところ。現在は、山城はない。
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日立武道館
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 史跡
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