銀座・日本橋・東京駅周辺の文化史跡・遺跡 ランキング
銀座・日本橋・東京駅周辺の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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将門塚
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
平将門に関係する旧跡は関東各地に存在し、この地は都内で最も著名な伝説地。歴史学的な裏付けは全くないが、当地に所在していた塚を将門と結びつけたのであろうと思われる。石碑は最近再建されたもので、それまであった板碑が折損してしまったため代わりに建てられた。
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万世橋
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
東京・秋葉原駅の電気街南口から見て南西部に位置する、神田川に架かる橋。南北に伸びる橋の北側は千代田区外神田、南側は同・神田須田町に当たる。付近には万世橋警察署や千代田区万世橋出張所・万世橋区民館などでその名を残す一方、神田駅と御茶ノ水駅の間にあった国鉄万世橋駅などは事実上の廃駅となっている。同駅の遺構は交通博物館として転用されたのち、現在は整備され「マーチエキュート神田万世橋」となっている。
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江戸城
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 城郭
平安時代末期、江戸氏が居館を構えていたと見られ、そこに長禄元年(1457)、扇谷上杉氏の執事太田道潅によって築城された。道潅を暗殺した主君上杉定正は養子の朝良を城代とした。大永4年(1524)上杉氏を駆逐した北条氏綱は道潅の孫太田資高らに守らせたが、小田原合戦の後、徳川氏の本拠となって修築された。以後、将軍十五代、幕府政治の中枢として栄えた。その間数度の大火に見舞われながらも、明治維新を迎えて皇居に定められ、名を東京城とあらためた。現在は、櫓・城門など数棟の建物と内郭部の掘割・石垣などしか残っていない。◎太田道潅(1432-86)資清の子。幼名鶴千代麿、資長。扇谷上杉定正家宰。長禄元年江戸城築城。定正に相模国糟屋(神奈川県伊勢原市)で謀殺される。歌人。歌集は多く後世の偽書。
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牛込橋
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
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吉田松陰終焉の地
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
伝馬町獄は江戸時代最大の牢獄。安政の大獄に連座した吉田松陰らが投ぜられ、安政6年(1859)10月27日、処刑されました。(享年30) 今日、獄舎や刑場跡の一部は、十思公園などに姿を変えていますが、片隅には松陰の辞世「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」を刻む巨大な碑が建てられ、その歴史を伝えています。
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於竹大日如来井戸跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
大伝馬町の佐久間家(一説には馬込家)の下女お竹は、日頃より慈悲心が深かった。ある日通りがかった行者から大日如来の化身であると告げられた。この話が市中に広がり、多くの人がお竹を拝むために訪れた。お竹が愛用した井戸の跡には石碑が建てられている。
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十軒店跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
五代将軍綱吉が、京都の雛人形師10人を招き、ここにお長屋10軒を与えた。3月、5月には節句人形が軒なみ飾られ、「十軒が十軒ながら公卿の宿」とうたわれたことから、この名がついたともいわれる。 日本橋室町センタービルの壁の前に説明板が設置されている。
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伝馬町牢屋敷跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
伝馬町牢屋敷は慶長18年(1613)に常盤橋外より小伝馬町へ移転されたもので、明治8年(1875)に市ヶ谷因獄へ移転までの江戸の牢獄でした。面積は2600余坪。揚座敷、揚屋、大牢(庶民)、百姓牢、女牢などの獄舎や拷問蔵などがありました。定員は350名程度、最大700名を収容できたといいます。
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名水白木屋の井戸
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
江戸時代将軍家や諸大名に献上するほどの清水が湧き出た。その後名水は消失したが、東京都指定文化財(旧跡)として、COREDO日本橋アネックス広場に石碑が立っています。
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三浦按針遺跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
オランダ東印度会社の航海士、英国人ウィリアム・アダムスは慶長5年(1600)暴風の為、豊後国(現在の大分県)に漂着した。のちに徳川家康に招かれて外交顧問に就き、日英貿易の発展に貢献した。 アダムスは将軍から「三浦按針」という日本名を得て江戸に屋敷を構えた。彼の屋敷の周辺は昭和初期まで按針町と呼ばれていました。
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長崎屋跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
幕府が鎖国政策をとったのち、オランダのみが長崎の出島に商館をおいて、通商貿易を営むことが許されていました。商館長(カピタン)は、その御礼言上のため、江戸にのぼり、この長崎屋に滞在して、江戸城の将軍に拝謁し手土産を献上しました。 長崎屋にオランダ人が滞在している間、オランダを通じてもたらされる西欧の技術や知識を知るため、多くの蘭学者や医師などが長崎屋につめかけたといわれています。
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蕃書調所跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
アメリカのペリーが黒船を率いて来航し、幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853)、それから二年後の安政2年(1855)、幕府は九段坂下に洋学研究所を設け、まもなく蕃書調所と改称しました。 蕃書調所の開所から約2年後、現在の山口県山口市出身で、新進気鋭の洋学者村田蔵六(大村益次郎)が教授方手伝いとして招かれました。 蕃書調所跡は、現在では靖国通りに面した、交番の隣に史跡説明板が建つのみです。
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皇典講究所跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するための國學院を設立しました。 日本法律学校は明治28年に西神田に移転、さらに同36年には日本大学と改称し、現在に至っております。 また、國學院は大正9年に大学令による大学に昇格後、大正12年に渋谷に移転、現在に至っています。 山田顕義によって開かれた両校の発祥の
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与謝野鉄幹・晶子旧居跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
歌集「みだれ髪」でデビューした情熱の歌人与謝野晶子(1878-1942)と夫で雑誌「明星」を主宰した与謝野鉄幹(1873-1935)が明治44年から4年間ここで暮らしました。
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北町奉行所跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
現呉服橋あたり,遠山左衛門尉はここの奉行の一人。
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外桜田門
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
桝形門の遺構を残す貴重な城門で桜田門外の変で有名。
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常盤橋門跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
江戸城外郭の表正門跡で桝形門の石垣が残る。
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南町奉行所跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
大岡越前守はここの奉行の一人。
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江戸城外堀跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
四谷見附から牛込見附(飯田橋)あたりまで残る。
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江戸城跡
東京都 銀座・日本橋・東京駅周辺
- 史跡
平安時代末期、江戸氏が居館を構えていたと見られ、そこに長禄元年(1457)、扇谷上杉氏の執事太田道潅によって築城された。道潅を暗殺した主君上杉定正は養子の朝良を城代とした。大永4年(1524)上杉氏を駆逐した北条氏綱は道潅の孫太田資高らに守らせたが、小田原合戦の後、徳川氏の本拠となって修築された。以後、将軍十五代、幕府政治の中枢として栄えた。その間数度の大火に見舞われながらも、明治維新を迎えて皇居に定められ、名を東京城とあらためた。かつての巨城の面影を偲ぶものは、櫓・城門など数棟の建物と、内郭部の掘割・石垣など。
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