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湯河原・真鶴・小田原の文化史跡・遺跡 ランキング
湯河原・真鶴・小田原の文化史跡・遺跡 スポット 13選
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石橋山古戦場
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
源頼朝が平家方の武将大庭景親に敗れた古戦場。
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石垣山
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
天正18年(1590)、秀吉が突貫工事で築かせた城で「太閤の一夜城」と呼ばれた。小田原城西方約3km、海抜261.1mの石垣山(笠懸山)の山頂にある。北条氏滅亡後、徳川麾下の大久保氏の管轄下、箱根を押さえる要害とした。「野面積み」で築かれた石垣も大半は崩れ去っているが、当時の構築技術を偲ぶことができるところも残っている。
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久野古墳群
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
久野にある古墳群は、古墳時代の後期に属する高塚式円墳の古墳としては県下有数のもので、120基程度の存在が推定されています。現在は1号墳、2号墳、4号墳及び15号墳などが残っており、このうち4号墳と15号墳は発掘調査のあと石室を復元して、一般の見学ができるようになっています。
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箱根口門跡
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
小田原城三の丸の出入り口の一つである箱根口。今はベンチのある緑地に石垣を積んだ東櫓台と枡形の土塁の一部が残されています。このあたりは、戦国時代の堀や建物などの遺構も発掘されるなど、昔から小田原城の要といえる場所です。
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小峯御鐘ノ台大堀切
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断して構築されたものです。この遺構は、慰霊塔側にある東堀、現在は道路になっている中堀、西側にある西堀の三本の空堀で構成されています。 当時の様子が最も良く残っている東堀は幅が約20〜30m、深さは土塁の頂上から約12mあり、堀の法面は50度という急な勾配で、空堀としては全国的にも最大規模のものといえます。
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相模沼田城
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 城郭
箱根外輪山東麓に位地する独立した丘陵に築かれた城です。かつては城の周囲は、深い泥田や湿地帯に囲まれていました。この城は平安時代に波多野氏の一族である沼田氏よって築かれ、戦国時代には大森氏、北条氏の利用の形跡もうかがえます。歴史的には謎が多い城です。
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岩原城
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 城郭
戦国時代小田原北条氏の前に西相模地方を治めていた大森氏の城跡です。現在は城跡は殆ど宅地化されていますが、郭跡の一部に城主であった大森氏頼(寄栖庵)はじめ大森一族の供養塔が残されています。
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足柄古道
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 旧街道
足柄道は古代から東西を結ぶ街道として発達し奈良時代には官道として整備された。万葉集には西へ赴く防人の歌をはじめ、足柄を詠む多くの歌が万葉集に残り足柄峠には万葉歌碑が集められた足柄万葉公園も整備されている。街道沿いにはヤマトタケル、源頼朝、徳川家康等にまつわる史跡も残る。江戸時代になると東海道の脇往還として江戸赤坂から駿河吉原を結ぶ街道として賑わった。現在でも宿場や関所跡、そして峠道に残る石畳に往時を感じる事が出来る。古道の一部はハイキングコースとして整備されており、古人(いにしえびと)の気分でハイキングも楽しめる。 ※時期によりバスの運行がありませんのでご注意ください。
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源頼朝船出の浜
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
治承4年(1180年)8月28日、石橋山の戦いに敗れた頼朝が房州に船出した浜と伝えられています。夏は海水浴場として賑わっています。
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鵐窟
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
源頼朝が石橋山の戦に敗れた時、この岩屋に隠れ難を逃れました。かつては高さ2メートル、深さ10メートル以上の大きさがあり、波が打ち寄せる岩窟でした。
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しとどの窟
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
石橋山の戦いに敗れた頼朝が隠れたといわれる岩屋。大小20体余りの石仏が天然の岩屈内に並ぶ。治承4年(1180)、源頼朝は平家討滅、源氏再興の兵を挙げましたが石橋山の合戦にて敗れ、土肥実平に導かれて隠潜した巌窟が、この「しとどの窟」です。流れ落ちる湧水、苔むす岩石。「土肥椙山観音像群」と呼ばれる多くの観音や石塔が立ち並ぶ、夏でも涼しい仙境です。
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土肥城址
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 史跡
実平は坂東八平氏の祖・村岡良文から六代目の子孫で、真鶴にいた父・中村宗平から土肥郷を与えられて館を構えた。湯河原駅のあたりがその館跡である。実平は治承4年(1180)の源頼朝の挙兵に協力したが、石橋山の合戦で敗れ小舟で房総に逃れた。実平は、この功で鎌倉幕府の重鎮になるのだが、その子孫は次第に勢力を争い、安芸国(広島県)に落ちて小早川姓を名乗る。戦国時代に毛利氏の名参謀となった小早川隆景はその子孫だ。
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足柄城址
神奈川県 湯河原・真鶴・小田原
- 城郭
神奈川県と静岡県の県境に築かれた戦国時代の城郭で。小田原の北条氏の支城として、武田氏や今川氏との領地境を守りました。 豊臣秀吉の小田原攻めの時に徳川勢の井伊直政に攻められ落城しました。 五連郭といわれる構造で土塁や空堀が残ります。一の廓にある玉手ケ池は雨乞いの池として知られています。 毎年9月第2日曜日には「足柄峠笛まつり」の会場となり、南足柄市、小山町の小学生による領地争奪綱引き合戦はおおいに盛り上がります。 富士山の眺望も素晴らしいです。
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