尾張・犬山・小牧の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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岩倉城跡
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
中世後期の城で、尾張守護代織田敏広の居城だった。別系の織田敏定と対立、岩倉の織田、清州の織田の二家が尾張を南北に分けていたが、永禄元年(1558)信長に攻められ、翌年落城した。
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山内一豊誕生地碑
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
岩倉で出生した山内一豊の誕生地碑。
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国宝犬山城
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 城郭
木曽川の南岸にそそりたつ犬山城は、今から470年ほど前、織田氏によって築かれました。別名「白帝城」といわれており、日本最古の天守閣は国宝に指定されています。◎成瀬正成(1567-1625)三河出身。幼少時より徳川家康に仕え、尾州藩創業時に尽力、その功として藩の両家年寄となり、尾北の犬山に居城、三万石を領した。家臣でありながら城持。
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長久手古戦場
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
小牧・長久手の戦いで有名な古戦場。古戦場公園内に勝入塚、庄九郎塚、付近に森長可の武蔵塚がある。市内には御旗山、首塚、色金山など、史跡地が点在する。郷土資料室で史跡めぐりパンフレットを入手できる。
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岩崎城
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 城郭
岩崎城は、室町時代末の平山城で、享禄2年(1529年)に織田信長の父である信秀の属将荒川頼宗が守っていましたが、松平清康(徳川家康の祖父)方に奪われ、その後、天文7年(1538年)丹羽氏清が本郷城から移ったと言われています。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、後方撹乱を狙った豊臣方の池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重以下300余名が討ち死にしたことが伝えられています。岩崎城歴史記念館には、日進市の歴史を伝える品々が展示されています。
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清洲城
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 城郭
平成元年に再建。清洲城の歴史:築城者・創築年とも不明。一説に尾張守護斯波義重が応永年中(1394〜1427)に築いたという。のち守護代織田氏の大和守家の居城となる。弘治元年(1555)那古野城主織田信長が大和守信友を討って入城、永禄10年(1567)岐阜城に移るまで本拠とした。天正10年(1582)本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直が城主となった。慶長15年(1610)名古屋築城によって廃城。現在、三層四階の天主閣や信長塀、日本庭園などが復元されている。◎斯波義重(1371-1418)足利義満の猶子となり、1405年に管領となる。浅倉氏、尾田氏、二宮氏、甲斐氏ら重臣を配し領国を固めようとしたが、足利義持の勘気に触れて、高野山に追放された。◎織田信長(1534-1582)尾張に生まれ、永禄10年(1567)美濃国を手に入れ井の口を岐阜と改称した。天正10年(1582)本能寺の変にて自害した。◎織田信雄(1558-1630)織田信長の二男。1582年本能寺の変後、清洲城主となる。茶・和歌・舞・音楽などに巧みな風流人として知られている。◎福島正則(1561-1624)尾張国海東郡に生まれ、豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いなどに活躍。関ヶ原の戦い後、広島城主となるが、のちに所領を没収され、不遇の晩年をすごした。◎松平忠吉(1580-1607)徳川家慶の四男、遠江国生まれ。関ヶ原の戦い後、清洲城主となる。尾張藩祖となるはずであったが、若死し、後嗣がなく断絶した。◎徳川義直(1601-1650)徳川家康の九男。兄義吉の死去により清洲藩主(後に尾張藩主へ)、家康の遺訓を守り藩政を固め、学問を奨励し、藩風の基礎を作った。わが国で初の聖堂を建て、その廟所も儒教式である。
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蟹江城址公園
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
蟹江城は尾張の西部に位置し、水郷地帯であることを利して三重の堀をめぐらしていたという。 永享年間(1429年〜1440年)に北条時任が築いたといわれる。 有名なのは1584年、徳川家康は織田信雄と共に、大軍をもって豊臣秀吉軍滝川一益の蟹江城を降落させた。家康にとっては天下取りへの重要な戦いであった。 かっては石碑と本丸井戸跡があるのみだったが、ベンチ等設置し整備を行い、城址公園となっている。
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阿野一里塚
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
東海道鳴海・池鯉鮒間の街道両側に二基保存される。
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桶狭間古戦場伝説地
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
歴史の転換点となった今川義元と織田信長の合戦の地。
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沓掛城址
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
今川義元が桶狭間の戦いの前夜ここに1泊し戦略を練ったといわれている。本丸,内濠,大手門の跡がある。
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白山第1号墳
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
平野部に孤立した丘陵の南側斜面下手に位置する直径約14メートルの円墳で、崩壊が進んだ状態にありましたが、昭和55年に発掘調査が行われ、金環・鉄製の直刀・装飾須恵器等が出土しました。その後、周辺地域に分布する同時期の群集墳を参考に横穴式石室の一部が復元され一般に公開されています。このほか、昭和60年、岩崎城跡発掘調査の際、偶然に発見された岩崎城古墳(6世紀)の横穴式石室も同様に復元され見ることができます。これらの古墳の遺物は、岩崎城歴史記念館において展示しています。
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岩崎城址公園
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
岩崎城は、室町時代末の平山城で、享禄2年(1529年)に織田信長の父である信秀の属将荒川頼宗が守っていましたが、松平清康(徳川家康の祖父)方に奪われ、その後、天文7年(1538年)丹羽氏清が本郷城から移ったと言われています。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、後方撹乱を狙った豊臣方の池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重以下300余名が討ち死にしたことが伝えられています。岩崎城歴史記念館には、日進市の歴史を伝える品々が展示されています。
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祐福寺一里塚
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
県道名古屋・岡崎線沿いに石碑がある。
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朝日貝塚
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
東海地方最大の弥生集落朝日遺跡の出土品を公開するため、国指定史跡「貝殻山貝塚」地内に資料館があります。
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清洲城址
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
幕末の清洲城跡顕彰碑乙基や信長を祠る小社があります。清洲城の歴史:築城者・創築年とも不明。一説に尾張守護斯波義重が応永年中(1394-1427)に築いたという。のち守護代織田氏の大和守家の居城となる。弘治元年(1555)那古野城主織田信長が大和守信友を討って入城、永禄10年(1567)岐阜城に移るまで本拠とした。天正10年(1582)本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直が城主となった。慶長15年(1610)名古屋築城によって廃城。
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長泉塚古墳
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
7世紀前半につくられた東西21m南北24m高さ4mの二段円墳。
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信長街道
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 旧街道
この街道は、かつて若き織田信長(19歳ぐらいのころ)が、清洲攻めの時に通った道だと伝えられています。この道は、蟹江城に通じる重要な道でもありました。町内の街道には織田木瓜の目印と案内看板が設置されています。 蟹江町観光駐車場から観光交流センター祭人(須成祭ミュージアム)、龍照院、須成神社への案内道にもなっています。
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鎌倉街道・二村山
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
街道一の名勝である二村山に一部を残すのみのまぼろしの街道
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小酒井不木
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
蟹江町出身の医学博士であり、探偵小説家でもあった小酒井不木は、日本の探偵小説の先駆者であり、江戸川乱歩など後輩の育成に尽力しました。 また、俳句にも情熱を注ぎ、鹿島神社文学苑には俳句が残っています。 蟹江町図書館には不木の生誕地の碑があります。 蟹江町歴史民俗資料館内には不木の資料室が常設展示されています。
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親鸞聖人腰掛石
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 史跡
1233年頃浄土真宗の開祖親鸞聖人が知多から蟹江に渡り、付近の村人を集めて野説法をされたと伝えられています。その時に聖人がこの石に腰かけたといわれています。
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