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津・久居・美杉・松阪の文化史跡・遺跡 ランキング
津・久居・美杉・松阪の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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明合古墳
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
双方中方墳。全国唯一の形式で主墳と陪塚5つあり。
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春谷寺
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
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松原寺
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
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水池土器製作遺跡
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
土師器(はじき)とよばれる土器を焼いていた工人集団の遺跡です。斎宮で使う土器が作られたとされる奈良時代の遺跡で、当時の土器の製作工程がわかる全国でも珍しい遺跡です。広さは1ha。昭和52年には国の史跡に指定。昭和58年度に、その一部が復元・整備されました。
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斎宮跡
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
斎宮跡とは、古代から中世にかけての約660年間にわたって、天皇に代わり伊勢神宮に仕えた皇女・斎王の宮殿があったところです。斎王の宮殿と斎宮寮という役所があり、斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれています。 遺跡の広さは137.1ヘクタールと、全国屈指の広さを誇っています。 平成23年にはひらがなで記された日本最古の「いろは歌」墨書土器が出土しました。
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坂倉遺跡
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
縄文時代、鎌倉〜室町時代の各種遺構造物がある。
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伊勢街道(参宮街道)
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 旧街道
伊勢街道沿いには、格子戸が付けられた妻入町屋や土蔵が軒を連ね、屋号の看板や道標等が今も残っています。
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赤松塚
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
山腹の茶園の中の石壇の上に五輪塔がある。
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霧山城址
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
この地は吉野と伊勢神宮のほぼ中間で,まわりを険しい山で囲まれた小盆地である。北畠親房の子顕能が盆地中央の山麓に居館を建て,標高560m,眺望雄大な山頂に霧山城を築いた。以後,八代具教まで北畠氏の本拠であった。天正4年(1567)具教が死ぬと,この城も焼き払われた。
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伊勢本街道
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 旧街道
大和国と伊勢神宮を結ぶ街道。江戸時代から明治中期にかけて「お伊勢参り」の流行で大変賑わった。
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鎌切古墳
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
全長約50mの前方後円墳である。市指定史跡。
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長野氏城跡
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
古来より「城ノ台(しろんだい)」と呼び一段高い台状地を中心に狭い平坦地が階段状にとりまいている。
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貝石山
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
榊原温泉近くの貝の化石の出る山。
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阿坂城跡(白米城)
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
北畠満雅が築いた城。敵軍の水断ちに遭った際、白米で馬を洗い水がふんだんにあるように見せかけ、敵をあざむき退却させたという伝説から、白米城の名があると言われています。
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大河内城跡
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
北畠満雅が応永22年(1415)に築いた城で、弟の顕雅を城主としました。永禄12年(1569)北畠具教はこの城に篭もって織田信長と戦いました。織田勢は力攻したが失敗、兵糧攻めに転じたため、具教はついに信長の次男信雄を養子とする条件で和睦。信雄が田丸城に入ったため廃城。 ◎北畠具教(1528-76)戦国時代の武将。弓馬・兵法・和歌など文武に秀でた端将といわれています。永禄のはじめごろから織田信長の伊勢侵攻によって、多気・大河内両城を棄てて三瀬の古城に移り、1570年出家。
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松坂城跡(松阪公園)
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
松阪駅の西約1km,四五百森と呼ばれる高台にあります。1588(天正16年)年蒲生氏郷が築城したもので、当時は3層の天守閣をもち、堀の総延長は2kmに及ぶという堅固な城でした。氏郷が会津に転封された後は,服部一忠,古田重勝,古田重治が城主となり、その後は紀州藩の代官役所が置かれました。現在は、苔むした石垣が往時を物語り、一帯は松阪公園として整備され,サクラ・フジ・ツツジ・イチョウなどの名所ともなっています。また、城跡には市立歴史民俗資料館をはじめ、本居宣長旧宅(鈴屋),本居宣長記念館などがあります。 ◎蒲生氏郷(1556年-95年)近江日野城主蒲生氏の出身。織田信長に仕え、功により伊勢松ケ島12万石。松坂城を築き,城下町を営む。のち会津転封。(平成23年2月7日国指定史跡)
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伊勢山上
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
全山は奇岩とうっそうたる古木に包まれた絶景の地で、文武天皇の大宝元年(701)、役行者小角(えんのぎょうじゃおずぬ)の開創による霊場と伝えられています。 ここにある巡礼参拝の表行場・裏行場には幾多の霊場・難所があり、吉野の大峯山以上といわれる両行場はスリルを味わいたい人々には格好のコースとなっています。 毎年4月第4日曜日の「春季戸開け大祭」と毎年10月第4日曜日の「秋季戸閉め大祭」には数十名の先達が山伏姿でほら貝を吹きならし、昔ながらの行事が行われます。
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本居宣長旧宅(鈴屋)
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
本居宣長が12歳から亡くなるまで暮らした鈴屋。明治42年に松坂城二の丸跡に移建。宣長当時の姿に復元し、公開しています。この建物の二階の書斎を「鈴屋」と呼びます。 一階の各部屋は上がってご覧頂くことが出来ます。二階「鈴屋」は保存のために上がっていただくことが出来ませんが、石垣の上に見学場所を設置していますのでそこからご覧になって下さい。
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宝塚古墳(宝塚古墳公園)
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
伊勢地方最大の前方後円墳。大小2基あり、そのうち一つは、公園として整備され人々の憩いの場となっています。
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津城跡
三重県 津・久居・美杉・松阪
- 史跡
織田信長の北伊勢攻略後,弟の信包が,それまでの安濃津城を修築して天正8年(1580年)5層の天守を構えた。だが,関ケ原の戦の前哨戦で城主富田信高が東軍に組したため,城は西軍の猛攻にあって陥落。慶長13年(1608年)築城の名手藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石を領して入封するに及んで,面目を一新する。平城で,天守は再建されなかったものの,石垣を高くし,堀を広げるといった改築がおこなわれた。城主も以後は,藤堂氏が襲して明治に至る。現在,城内には日本庭園と西洋庭園が造られ,藩校有造館の門が移築されている。◎織田信包(1543年-1614年)安土桃山・江戸前期の武将で,織田信長の弟。1568年に信長より北伊勢を与えられる。本能寺の変以後は豊臣秀吉に属し,伊勢国安濃津城主となる。◎藤堂高兌(1781年-1824年)津第10代藩主。藩財政の再建と文教の興隆に努め,藩好「有造館」を津に設立。また伊賀上野に「崇広堂」を開設。
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