京都南部(宇治・長岡京・山崎)の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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鷲峰山登山道〜祈りの参詣道
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
南山城の最高峰である鷲峰山(682m)は役行者によって開かれたといわれ、古来吉野と並び称される山岳宗教の拠点として栄えた。現在は山頂付近の金胎寺境内が国史跡に指定され、山頂からは遠く琵琶湖まで見渡せる。古くから山頂を目指す人々が宇治田原大道寺から登り、今も道標などが点在する。「維中前」バス停を起点としたハイキングコースが設定され、ガイドマップが設置されている。
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蕪村の宇治行〜田原の隠れ里
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
江戸時代を代表する俳人のひとり「与謝蕪村」は、晩年に宇治田原の門人の招きで来訪し、松茸狩りなどを楽しみ紀行文「宇治行」を記した。そのときの礼状に記された句を刻んだ句碑が郷之口の「妙楽寺」にあり、高尾地区や田原川のことを句に詠んでいる。また、万葉歌人「施基皇子(田原天皇)」が高尾や荒木で暮らして陵墓が作られたという伝承があり「田原天皇社」に祀られた。このハイキングコースは郷之口側と荒木側の双方からたどることができる。
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宝筐印塔
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
大宮神社宝筐印塔と同じタイプで鎌倉時代の塔。南区の旧「切林村」に位置し、和束町から伊賀方面へ向かう街道横にある。ここで旅人がわらじの緒を締め直し旅立ったことから地元では「わらじの神様」と呼ばれている。町指定文化財。
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田原又太郎忠綱の墓
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山にてその後の平氏の滅亡を嘆いて自刃したとも、宇治川合戦で負傷してたどり着き息絶えたともいわれる。住民は供養塔を建て又太郎社を祀ったが現在は郷之口の斎田神社に合祀される。現在は軍人墓地の一角に碑が建っている。
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禅定寺五輪塔
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
禅定寺山門を入った場所に置かれてあり、康永3年(1344)銘が刻まれている。当時禅定寺の財産の管理者に男子の跡継ぎがなく、長女の蘭雀女のためにその妹が建てたと伝えられる。
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田原天皇社跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
「田原天皇(施基皇子)」は天智天皇の皇子で万葉歌人。伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。天皇谷の入口、現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られたが、明治になって大宮神社に合祀された。跡地には三宅安兵衛建立の石碑が建つ。
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山口城跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡などの痕跡が残る。
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信西入道塚
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉のかくれた名所となる。
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永谷宗円生家
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
江戸時代中頃(1738年)に「青製煎茶製法」を開発・普及し、日本の緑茶製法の基礎を築いた永谷宗円の生家(昭和35年再建)。内部には製茶に使われた貴重な焙炉(ほいろ)跡が保存されており、映像で宗円の足跡やお茶の製法を知ることができます。
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山瀧寺跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代まで「大御堂」が存在していた。現在の「観音堂」には鎌倉時代の木造十一面観音立像(町指定文化財)が安置され、毎月18日に開帳される。明治6年(1873)には町内最初の学校「維孝館荒木小学校」が設置された。大宮神社の手洗い鉢は山瀧寺の塔の礎石だったといわれる。
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天武天皇伝承〜宇治拾遺物語
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 旧街道
鎌倉時代に成立したという説話集「宇治拾遺物語」には、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から大津への道中に宇治田原に立ち寄ったという話が収録されており、宇治田原の南地区がその舞台とされている。他にも後醍醐天皇や源平の合戦にまつわる伝承が残されており、これらの旧跡を巡るハイキングコースが設定され、ガイドマップが設置されている。
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田原道〜古老柿発祥伝説
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 旧街道
古代、山城と近江を結ぶ官道として整備された「田原道」は、たびたび歴史の舞台となってきた。沿線には宇治田原独特の干し柿「古老柿」発祥伝説の舞台・禅定寺などの旧跡が多い。「維中前」バス停にはコース案内板があり、道中にも数ヶ所道標が設置されている。
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信楽街道〜家康伊賀越えの道
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 旧街道
山城と近江の信楽を東西に結ぶ街道で、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」勃発時に、堺にいた徳川家康が宇治田原を通り、領国三河へ逃れた。家康一行は郷之口にあった「山口城」や奥山田の「遍照院」で休憩したという。
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郷之口本町
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 旧街道
郷之口は宇治田原への西側の入口にあたり、かつては織田信長の命で山口甚介秀康が「山口城」を築城し、郷中の郷士層を集めて城下町を形成した。郷之口本町から隣接する贄田地区まで東西に「信楽街道」が横断し、主要な交通路だった。現在も本町あたりには旧家が多く残り、情緒ある町並みの中には茶問屋も多い。与謝蕪村の句碑がある「妙楽寺」も街道沿いにある。「宇治田原歴史の道」(ハイキングコース)の「家康伊賀越えの道」の出発点。
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松峠
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 旧街道
東西の信楽街道と南北の長尾道の交差点、付近は昔ながらの古道の姿をよく残している。
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岩本城跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 城郭
岩本城跡は岩山山下地区の背後、通称「城山」の山頂部に築かれた戦国時代の山城。山頂の主郭部には土塁跡が残り、周辺にも曲輪跡が残る。南北朝の動乱で落城したとの伝承もあるが、周囲から石塔や瓦が出土するなど謎を秘めている。
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高麗寺跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
飛鳥時代から平安時代まで存続していた寺で、高句麗(朝鮮半島)からの渡来氏族狛氏の氏寺として創建されたと考えられている。伽藍は西に金堂、東に塔を持つ法起式の配置で寺域は一辺が約200mの規模であったと考えられる。昭和15年(1940)に国史跡に指定され、現在は跡地に石碑が建てられており、国内最古の寺院跡の一つ。
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地蔵禅院
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
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さざなみ公園 (京都府八幡市)
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
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縣(あがた)神社
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
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