山口・秋芳の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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大村益次郎の墓、大村神社、鋳銭司郷土館
山口県 山口・秋芳
- 史跡
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佐波川関水
山口県 山口・秋芳
- 史跡
1186年(文治2)、東大寺を建て直す役割を担った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、佐波郡の山で木を切りだし、佐波川をつかって海まで流し、奈良へと送りました。 このとき、川底が浅く木を流しにくいところでは、川をせきとめて水位をあげ、 その一部分を開いて細長い水路とし、材木がよく流れるように工夫をしたのが関水です。 当時の人の知恵を知ることができます。
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三田尻御舟倉跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が今日も残っています。 現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。 また、下関の功山寺で決起した高杉晋作は、決死隊を率い、ここ三田尻(現在の防府市)の海軍局を襲い、軍艦を奪取しました。
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住吉神社の石造燈台
山口県 山口・秋芳
- 史跡
萩藩の水軍の本拠地である御舟倉へ続く入川(いりかわ)の河口に、海上交通の安全を祈願するために、ささやかな祠が建てられ住吉大明神が祭られていたが、水軍の船頭らの願い出で、正徳(しょうとく)5年(1715)、住吉神社が創建された。 石造燈台は、その境内地に文久(ぶんきゅう)3年(1863)に建立されたもので、基壇389cm×384cm、高さ727cmにおよぶ灯籠(とうろう)型の燈台である。竿(さお)の部分にあたる石積みには、建立にたずさわった世話人や石工、拠出者などの銘が刻まれている。 萩城に往来する
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萩往還(防府)
山口県 山口・秋芳
- 史跡
萩往還は、慶長(けいちょう)9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(みたじり)(防府)を ほぼ直線で結ぶ街道として開かれたもので、全長およそ53kmある。 この道は、参勤交代道として整備されたものであるが、山陰と山陽を結ぶ連絡道として、江戸時代の民衆の重要な交通路となっていた。また、幕末には維新の志士(しし)たちが往来するなど、歴史上重要な役割を果たしてきた古道である。 萩市・阿武郡旭村・山口市・防府市に、一里塚跡・駕籠建場(かごたてば)跡・茶屋跡などが残っている。防府市では、宮市町・今市
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防府天満宮暁天楼
山口県 山口・秋芳
- 史跡
もとは大旅籠「藤村屋」の一部。階下は漬物置場、二階に隠れ座敷をもち、幕末には高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、坂本龍馬等の志士達が投宿し密議を計ったと伝えられます。建物はのちに防府天満宮に移された後解体され、現在の場所に復元されました。
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貞宮遥拝所
山口県 山口・秋芳
- 史跡
楫取素彦は、明治30年、明治天皇第十皇女の貞宮多喜子内親王の御養育主任を命ぜられます。しかし、内親王が僅か三歳で夭折します。御遺物を譲り受け、明治32年にこれらを納める遥拝所を防府天満宮境内に建立します。毎年、ご命日にあたる1月11日に遥拝式が行われています。
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大和屋政助の舟倉
山口県 山口・秋芳
- 史跡
大和屋政助(やまとやまさすけ)の大和屋は屋号で、本名は清水与兵衛。幕末、勤皇の志士の活動を援助し、また、船による長州隊員の輸送などに尽力した。文久3年(1863年)9月には、長州を頼って京都から落ち延びた中山忠光卿(明治天皇の叔父)を、改造した二階の土蔵にしばらく匿いました。元治元年(1864年)11月には、俗論派に追われた高杉晋作が、萩から山越えで徳地を通って富海まで脱出し、大和屋政助(やまとやまさすけ)を頼りました。政助はすぐに、飛船(とびぶね)に晋作を乗せ、暴風雨の中を夜の間に下関まで送りました。翌
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大和屋政助の船蔵
山口県 山口・秋芳
- 史跡
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三田尻浜大会所跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
三田尻浜の統轄を行ったり、防長塩田の総元締めとしての役割もあった大年寄という役人がいたのが鶴浜の大会所です。 現在は、初代大年寄田中藤六の碑をはじめとする5基の石碑が建立、または移設され、往時をしのぶことができます。
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茶臼山古墳出土品
山口県 山口・秋芳
- 史跡
茶臼山古墳は柳井湾にのぞむ丘(標高80m) にある古墳時代前期(4世紀末)の前方後円墳で、県内3番目の規模です。 明治25年に銅鏡5枚が発見されたが、このうち2面が県内で伝えられています。 出土品として、これ以外に、わが国最大級の銅鏡(面径44.8cm)の単頭双胴怪獣鏡(東京国立博物館蔵)があります。
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萩政府軍本陣跡門
山口県 山口・秋芳
- 史跡
絵堂開戦の折、萩政府軍(俗論党)粟屋帯刀は、旧柳井氏宅に本陣を置いた。当時そのままの門柱には、諸隊が夜襲した時の弾痕(穴)が残る。現在は絵堂開戦記念碑の所に移築している。
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友善塾跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
1856年(安政3)、文武の稽古場として、在郷藩士の三戸久五郎・高木謙蔵・志道源蔵らが尽力して創立したものである。友善の名は吉田代官玉木文之進(吉田松陰の叔父)が名づけたものである。
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右田ヶ岳城跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
防府駅のほぼ4km先にそびえる右田ヶ岳にある城跡。鎌倉時代末期頃築城。以来右田氏累代の居城となっていた。遺構は全くなく,格好のロッククライミングの場となっている。
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岸見の石風呂
山口県 山口・秋芳
- 史跡
岸見の石風呂は、東大寺再建の用材を切り出した時の遺跡で、人夫の保養のため重源上人によって作られたものです。 地元の花崗岩石を積み上げた幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mの石室からなり、土間には石が敷きつめられており、石室は木造茅葺きの覆屋により保護されています。 石室の中で小枝を燃やして石を焼き、火をかき出した後、ぬれたむしろを敷いて熱気浴をするサウナであり、同様の形式は佐波川流域に多く分布しています。 重源上人を「石風呂開山」と呼び、建物の休憩の間には、重源像を安置する祭壇があり、命日の6月5
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野谷の石風呂
山口県 山口・秋芳
- 史跡
1186年(文治2)ころ、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺を建て直すための役割を担い、佐波郡の山中から多くの建築用材を奈良に送る仕事をしました。 野谷の石風呂は、作業をする人たちの病気治療のために重源がつくった施設の一つです。 石風呂は石を焼いて水をそそぎ、その湯気にあたるようにした岩穴を利用した蒸風呂(むしぶろ)です。
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末原窯跡群
山口県 山口・秋芳
- 史跡
末原窯跡群は、美東町の秋吉台カルスト台地の北東端、標高205mの丘陵の南斜面にあります。 奈良時代後半から平安時代初期にかけて使用された典型的な須恵器窯跡群です。 5基が1ケ所に群在しています。
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長登銅山跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
慶長年間(1596〜1615)から寛保年間(1741〜44)までの約150年の間、盛んに採掘されました。 聖武天皇の時代、奈良の大仏鋳造にこの銅を使用し、「奈良上り」が「長登」の地名の由来だとされていたが、最近の発掘調査で奈良時代の銅山跡が明らかとなり、日本最古の鉱山跡となりました。
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銭屋鋳銭所遺跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
江戸時代,全国に流通した寛永通宝を鋳造していた跡。1637年,全国で8ケ所鋳造が指定されたが,ここはその中の一つで,遺跡の保存状況がたいへん良好である。
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田津の石風呂
山口県 山口・秋芳
- 史跡
江戸時代,百姓が農作業の疲れをいやすために作ったと思われる。今でいうサウナ風呂のようなもの。
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