高松・東讃の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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城所山2号墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
城所山2号墳は直径約12メートルの円墳である。玄室の一部が残っており、西側に羨道部が延び、西向きに開口する石室であったと考えられる。石室内部から、須恵器・耳環・鉄鎌等が出土した。出土遺物から、6世紀末に築造され7世紀前半まで追葬が行われた古墳と考えられる。
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大串石切場跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
南北約130m、東西約100mの凝灰岩採石場遺構。市指定史跡。 石清水八幡宮文書にも記述が残る(1339年)中世から近世まで採石された石切場跡です。
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引田城跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
令和元年11月15日に国の文化審議会から文部科学大臣へ答申のあった「引田城跡」の国史跡指定について、令和2年3月10日付官報号外第45号記載の文部科学省告示第17号により、国史跡に指定されました! 引田城は、風待ち、潮待ちとして瀬戸内海交通の要地であった引田港を囲むように岬状に突き出した城山(標高82m)の山頂に築かれていました。城跡には戦国時代終わりごろから江戸時代初めに築かれた石垣が残っています。 引田城跡からは引田のまち並みや瀬戸内海がみえ、見晴らしのいい場所でもあり、歴史や城だけでなく、ハイキングも楽しめます。現在、予約制ではありますが引田城跡ハイキングガイドもあります。 平成29年度には「続日本100名城」に選定され、スタンプラリーも人気があり全国から大勢の来訪者があります。
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大日山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
県内最東端に位置する前方後円墳
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白鳥廃寺跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
円形造出しをもつ塔心礎石が残り,付近から蓮花文軒丸瓦などの遺物も出土している。
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藤井古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
古墳時代後期に築かれた無袖式円墳。
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うのべ山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
香川の古墳時代前期の特徴である「積石塚」の前方後円墳。四国最古級で、市指定史跡です。
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富田茶臼山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
5世紀に造られた四国最大の前方後円墳。国の指定史跡になっています。
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長尾街道
香川県 高松・東讃
- 旧街道
長尾寺の門前町として栄えた街道筋には、旅館、商家などの家並が残っています。
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源平屋島合戦の史跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
源平屋島合戦の古戦場として数多くの史跡が点在する。(義経の弓流しの跡、那須与一の祈り岩、駒立岩、佐藤継信の墓などの多くの史跡がある。)
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横岡山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
古墳時代後期の6世紀末から7世紀初頭に造られた古墳で、埋葬施設として横穴式石室をもつ。石室を覆っていた封土は流失して残っていないが、石室西側で尾根をカットして掘られた周溝が見つかっており、直径22mの円墳であると推定される。特徴として、玄室から入口を見て左側だけがクランク状に屈曲する左片袖式であること、羨道が玄室より1.5倍も長いことが挙げられ、近畿地方の影響が想定される。一方、入口両側に石材を立てる立柱構造は、九州地方の影響と想定される。
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佐賀神社古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
佐賀神社本殿の裏側に大振りな石を用いた横穴式石室が残存している。本来は盛土の墳丘があったと考えられるが、現在では石室の石材がほぼ露出し、その上に神社の本殿が建てられている。
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讃岐国分寺跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
讃岐国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇が諸国に国分寺および国分尼寺を造営するように命じたことによって建立された国営の寺院である。正式には金光明四天王護国之寺といい、尼寺に対して僧寺とも呼ばれる。現在、史跡地の一部は公園として整備され、僧房跡などが復元され公開されている。
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石船石棺
香川県 高松・東讃
- 史跡
鷲ノ山産の石英安山岩質凝灰岩(俗に鷲ノ山石)製の「刳抜式石棺」である。石舟池の堤防下で発見された。古墳時代の4〜5世紀にかけて香川県内の大型前方後円墳の被葬者の棺として使われていたほか、畿内へも運ばれて使用された。
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讃岐国分尼寺跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
天平13年(741)に聖武天皇の命によって造営された讃岐の国分尼寺。現在の法華寺境内には、金堂の礎石と推定される自然石が残っているほか、近年、その北側で講堂跡や尼房跡が確認された。
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生駒親正夫妻墓所
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松城を築城した生駒親正とその妻の墓。墓塔は、角礫凝灰岩で作られた五輪塔である。昭和30年4月2日香川県史跡に指定された。
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藤尾城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
佐料城に代わる香西氏最後の居城。中世の平山城として、標高20メートルの磯崎山頂上に本丸を設け、山麓の周囲に空堀をめぐらせていたと考えられている。藤尾城がある香西の町は、中世の港町でもあり、香西氏の経済的基盤を強固にするために城を移したと推測されている。現在、本丸跡には宇佐八幡神社が祀られている。
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前田城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
前田城は、文明年間(1469〜1487)、十河城主 十河景滋の弟である頼母頭宗存(たのものかみむねまさ)が分家し、前田に本拠を構えたことに始まる。2代前田宗春、3代前田宗清と続いたが、天正12年(1584)に土佐の長宗我部元親軍に敗れ、廃城となったと言われている。 城跡は、自然の立地条件を合理的に利用した典型的な中世の城塞として、その遺構をよく残している。本丸の周囲には空堀跡と考えられる畑地が巡っており、北側では切岸、南西側では土塁が残存している。堀の南側には二の丸があり、現在は薬師庵(宝寿寺)となっている。
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勝賀城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
鎌倉時代から戦国時代の約360年間、笠居郷(鬼無、香西、下笠居地区)を本拠に活躍した香西氏歴代の牙城である。 この城跡は、山頂の平坦地に土塁、食い違い虎口、郭、堀切などの様子をよく残し、その保存状態も良好である。香西氏の城郭遺構の中でも代表的なもので、京都にまで聞こえた香西氏の実力がしのばれる城構えである。
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佐料城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
佐料城跡は勝賀城跡と同じく、香西氏の初代資村が築城したとされている。「詰の城」である勝賀城に対して、平時に居住していた「里の城」であり、香西佳清が藤尾城に移り住むまで、香西氏代々の居館であった。 城跡は付近の東西方向の条里地割に合致するが、南北の堀は地割溝に重ならないことから、築城が条里地割施行に前後する時期であり、古い時期にさかのぼることを示唆している。城の南西部にはL字状の堀が現存しており、周囲には「城の本家」「城の新屋」「御屋敷」等の地名が残っている。
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