玉名・山鹿・菊池の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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江田船山古墳
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
5世紀後半に築造された全長61mの前方後円墳。明治6年1月に池田佐十氏により発掘。出土した金銅製冠、沓、金製耳飾り、銅鏡など92点は、一括「国宝」として東京国立博物館に保管展示されている。なかでも、1本の大刀の峯に銀で象嵌された75文字の文章は、日本の古代史を紐解くうえで大変貴重なものである。副葬品のレプリカは近くの歴史民俗資料館に展示してあり、古墳では横口式家形石棺を当時のままの姿で見ることができる。
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歴史公園鞠智城
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
約1,300年前に大和朝廷が築いた国史跡に指定されている城跡。熊本県山鹿市から菊池市にかけて広がる城跡で、周囲3.5km・面積55haの規模を誇る。八角形建物跡をはじめ、食糧の保管庫として利用されていた米倉や、当時の防人たちが暮らしていた兵舎を含む67棟の建物跡が発見されている。高さが15.8mに及ぶ「八角形鼓楼」は、鞠智城のシンボルとなっている。灰塚展望台からは、遠くに聳える雲仙普賢岳を望める。
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下岩官軍墓地
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 旧街道
明治10年の西南の役で、約1ヶ月に及ぶ戦いで戦死した官軍兵士の墓地です。官軍将兵133人と軍夫16人が眠っています。今なお遺族関係者のお墓参りが続いています。
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長刀横穴装飾一号墳
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
県指定史跡。トンカラリンの最下部の岩壁にある。
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塚坊主古墳
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
6世紀初頭に築造された墳長43.5mの装飾古墳。古墳の主体部は石室構造で、内部の石屋形の内壁に赤色と白色で三角連続の文様が描かれている。菊池川流域の装飾古墳の源流を知るうえで貴重なもの。また、四獣鏡・大刀・馬具などが出土している。
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田中城跡
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
田中城は、肥後国衆のひとりである和仁氏の居城である。天正15年(1587)に勃発した「肥後国衆一揆」では、和仁氏や辺春氏などが立てこもる最終拠点となった。その際、豊臣秀吉軍が作成した「辺春・和仁仕寄仁取図」は日本最古の陣取図として知られている。陣取図には、城を取り巻く木柵や物見やぐら、小早川氏・立花氏・鍋島氏などの陣地が描かれている。
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つづら;獄城跡
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 城郭
室町時代、大津山山頂に大津山氏初代の資基が山城を築き、現在も石積みや雄大な堀切やたて堀の跡が残っています。
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古小代の里公園
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
寛永9年(1632年)、細川忠利公が肥後の国に入国の際に、豊前の国から移り住んだ陶工の手によって始められた肥後熊本を代表する小代焼き発祥の地です。江戸時代の窯跡(瓶焼窯、瀬上窯)が当時の水漉し場やロクロ場跡とともに保存されており、県の指定文化財に指定されています。周辺は公園化され梅も見物でき、ゆっくり自然散策も楽しめます。
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城ノ原官軍墓地
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
明治十年の西南の役で薩軍と交戦して死亡した官軍将卒の墓地・県指定史跡
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鷹ノ原城跡
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
江戸時代加藤清正みずから縄張りしたものと伝え、一国一城令により廃城となったという。
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豊前街道
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 旧街道
熊本市新町の札辻を起点として小倉に至るもので、「小倉路」とも呼ばれ、大名(細川氏、相良氏、島津氏)の参勤交代にも使用されるなど、江戸時代を通じて重要な交通路でした。
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腹切坂
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 旧街道
永ノ原台地から寺ノ本に下る急坂は「腹切坂」と呼ばれ、参勤交代で使用されていた豊前街道の中でも屈指の難所であったことが知られています。平成17年3月に国指定史跡として指定を受けました。
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虚空蔵塚古墳
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
6世紀初頭に築造された墳長52mの前方後円墳。古墳主体部は未調査だが、周溝からは円筒埴輪や人物埴輪が出土している。整備前は墳頂に虚空蔵菩薩がまつられていたことから、この名がある。
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光行寺
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 旧街道
豊前街道の要所にあり、参勤交代の細川藩主のお茶所でした。門の軒瓦には「九曜の紋」が入っており、歴史の深さが感じられます。
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隈部館跡
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
中世(16世紀代)肥後の有力国衆であった隈部氏の居館跡。国指定史跡。
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岩原古墳群
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
主墳の双子塚古墳は全長107m・後円部の直径57m・高さ9mの前方後円墳。付近では、古墳をはじめ石棺も数多く発見されており、付近一帯を治めた豪族の墳墓と考えられる。(国指定史跡)
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豊後街道菊陽杉並木
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 旧街道
熊本市東端より菊陽町原水入道水までの杉並木街道。
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馬場楠井手の鼻ぐり
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
加藤清正の治水事業の一環として1608年に掘削されました。その特徴は硬い岩盤をカマボコ型にくり抜いてあることで生じる水流を利用して、井手底に推積した土砂を次々に下流へ排出していく仕組みです。この鼻ぐり遺構は、当初80ヶ所造られましたが、現在は24ヶ所を残すのみです。
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西安寺跡及び西安寺五輪塔
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
6基の五輪塔や板碑が残る県指定の史跡。
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永安寺東古墳・西古墳
熊本県 玉名・山鹿・菊池
- 史跡
永安寺東古墳は、菊池川右岸の玉名平野を南に望む丘陵裾部に位置し、石室構造から6世紀中頃のもので、同じ丘陵上にある大坊古墳に後続するものと考えられます。墳丘は大きく削平され、原形をとどめていませんが、円墳と考えられます。内部主体は、羨道・前室・玄室からなる横穴式石室ですが、前室の一部と羨道部は崩壊しています。玄室は長さ2.6m、幅2.4m、高さが2.7mあり、奥壁に沿って石屋形が設けられています。前室は現存部分の長さ約1.6m、幅2.3m、高さが1.6mあり、左右側壁と玄門の前面に装飾模様が施されています。 永安寺西古墳は、東古墳の西約60mの同じ丘陵上に位置し、墳丘は直径約12m、高さ約4mの円墳です。永安寺東古墳同様、古い時期に開口されていて出土遺物は不明ですが、古墳時代後期の古墳で東古墳に後続するものと考えられます。内部主体は複室の横穴式石室で、玄室は長さ3.4m、幅2.8m、高さが3mあります。装飾模様は奥壁と両側壁の巨石にみられ、横線で区画した中に線刻した円文が上下3段並び、奥壁に15個、右側壁に16個、左側壁に12個みられます。
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