山形県の文化史跡・遺跡 スポット 20選
-
長井駅
山形県 米沢・置賜
- 史跡
山形県長井市にある駅。改札口はなく、ホームに自由に出入りすることができる。側線には保線用モーターカーの車庫があり、隣接して旧貨物ホームが残っている。駅舎内部には旅行センターや待合室、ギャラリーが設けられており、旅行センターでは硬券乗車券や入場券、回数券や定期券などを取り扱っている。
-
山形城跡(霞城公園)
山形県 山形・蔵王・天童・上山
- 城郭
初代山形城主斯波兼頼が築城し、現在の城郭は11代城主最上義光が築いた ものが原型とされ、堀と石垣が残る山形城跡。二ノ丸東大手門と本丸一文字門が復原されている 。春には約1,500本の桜が咲き誇る、市内随一の桜の名所でもある。公園内には市郷土館(旧済生館本館)や県立博物館など多くの文化施設がある。
-
長谷堂城跡(長谷堂城跡公園)
山形県 山形・蔵王・天童・上山
- 城郭
出羽の関ケ原と呼ばれる「慶長出羽合戦」の舞台となった城跡。城内には、堀跡や曲輪などが残り、往時の姿を偲ぶことができる。また、頂上広場からは山形市内を一望できる。
-
山形城跡
山形県 山形・蔵王・天童・上山
- 史跡
山形城は斯波兼頼によって延文2年(1357)に創建されたと伝わる。兼頼の子孫である最上義光が、文禄年間(1592〜96)に全国有数の規模に拡張した。元和8年(1622)に城主となった鳥居忠政により、現在の姿に改修される。現在は発掘調査により出土した遺構・遺物や古地図等の資料を基に、江戸時代中期(堀田氏時代)を基準とした復原事業を行っている。
-
山形城三ノ丸跡
山形県 山形・蔵王・天童・上山
- 史跡
国指定史跡となっている「山形城跡」の一部。歌懸稲荷神社の西側に三ノ丸の土塁と堀の跡が残っている。
-
米沢城址
山形県 米沢・置賜
- 史跡
暦仁元年(1238)長井時広の築城と伝えられる、米沢城(松岬城あるいは舞鶴城とも称された。)の城跡で、現在は本丸と二の丸の一部が公園となり、濠内には上杉神社や稽照殿(宝物殿)、上杉謙信像、上杉鷹山像などがある。 明治6年、城が取り壊され、明治7年、公園として市民に開放された。四周を濠に囲まれ、200本の桜に包まれた桜の名所ともなっている。
-
北山原殉教遺跡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
寛永5年12月18日(太陽暦では1629年1月12日にあたる)の甘粕右衛門一族らの殉教をはじめとし、57名の米沢のキリシタンが処刑された場所。 昭和3年に舘山の教会に赴任したシュインテク神父がローマへの報告書を元に調査を行い、六地蔵の石碑が立っている荒地が殉教の遺跡であることを確認、翌4年、有志の手により十字架が建てられ、ドイツからキリスト・マリア・ヨハネの像が贈られた。
-
鶴ヶ岡城址
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
鶴岡市街の中心にある。鎌倉時代大宝寺城とも呼ばれた鶴ヶ岡城は、江戸時代・庄内藩主酒井氏の居城であったが、いまはその城跡が公園になっている。松や杉の老木の中、旧本丸には藩祖を祭る荘内神社があり、外堀跡はむかしの鶴ヶ岡城の風格を伝えている。700本を超える桜が植林されており、春にの花見のシーズンには、多くの観光客でにぎわう。「日本のさくら100選」にも選定されている。
-
新田目城跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
『大字本楯宇新田目』(明治28年(1895年))の字限図から、小字の外周に細長い字区画が連なることが読み取られ、この堀と考えられる細長い字区画を辿れる範囲は、東西約600m、南北約200mで、新田目城の外郭をなしていたものと考えられる。
-
生石板碑群
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
東平田生石地区には、先祖の追善供養や自分の逆修(ぎゃくしゅ:生前に行われる供養)を目的に建立されました。年代の明らかな板碑のうち、最古のものは、天和三年(1314年)、最も新しいものは応安五年(1372年)で、うち34基が「生石板碑群」として県の有形文化財に指定されています。板碑(板石塔婆)が数多く残り、延命寺境内には6基が現存する。
-
亀ヶ崎城跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
もと東禅寺城という。荘内地方が上杉領に定まってのちの慶長5年(1600)、最上義光が直江兼続を破った余勢をかって荘内に大軍を送り、翌6年、この城を攻めた。時の城主志田義秀は、激戦を展開した末、敗れた。2年後、城近くの浜に大亀が打ち上げられたのを瑞兆として、義光はこの城を亀ケ崎と名づけた。現在の酒田東高校が城跡で、わずかに土塁が残されている。
-
城輪柵跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
城輪柵跡は、昭和6年に発見された一辺が約720メートル、52ヘクタールの広大な遺跡です。平安時代の初めから終わりまで約400年間にわたる出羽国の国府跡と言われています。国から史跡として、昭和7年に指定、昭和56年に追加指定を受けました。現在、政庁南門、東門および築地塀の一部を復元し、歴史公園として親しまれています。
-
不玉の宅跡
山形県 酒田・鶴岡
- 史跡
元禄2年(1689年)6月13日、「奥の細道」の途次、酒田に着いた松尾芭蕉は15日象潟に向かって出発。また再び酒田へ戻り、俳人不玉の家に一週間余り滞在し、数々の名句を残しました。不玉は、庄内藩お抱え医師、伊藤玄順の俳号です。その家跡に記念の石碑が立っています。
-
新庄藩二代藩主の御廟所・桂嶽寺
山形県 尾花沢・新庄・村山
- 史跡
戸沢二代藩主正誠の廟所,桂嶽寺。正誠は、実質的に63年もの長い間、藩主の座にあり、一流の文治政治を布いて新庄藩の全盛時代を築いた藩主であるが、晩年、愛児政武の夭逝を悼んで、この地に桂嶽寺を建て、自らの墓所も同寺境内にするよう定めた。
-
新庄藩主戸沢家墓所
山形県 尾花沢・新庄・村山
- 史跡
新庄藩主戸沢氏の菩提寺で6棟の廟がある。全国に多数ある近世大名の墓の中で、藩主とその正室や子ども、側室など一緒に葬られているのは極めて稀である。また、各歴代藩主の墓が一堂にあることから、1700年代の初期から後期に亘る約100年の間の建築様式の変化を見ることができ、大変貴重である。
-
八向山と芭蕉乗船の地
山形県 尾花沢・新庄・村山
- 史跡
国道47号本合海大橋から北側に見える白い崖が八向山で、その上に八向楯跡がある。崖の中腹には赤い社の矢向神社があり、新緑や紅葉など、最上川の眺めとともに四季折々の景色を楽しむことができる。大橋の南側にある芭蕉乗船の地は、俳聖松尾芭蕉と曽良が舟に乗って最上川を下ったといわれる場所で、付近には芭蕉と曽良の陶像が立っている。八向山がある「本合海」は、「おくのほそ道の風景地」の一つとして平成26年10月に国名勝に指定された。
-
芭蕉の句碑と柳の清水跡
山形県 尾花沢・新庄・村山
- 史跡
昭和初期まで豊かな清水が湧き出ており、芭蕉もこの清水を飲みのどを潤したのではないかといわれている。そばには芭蕉の詠んだ句である「水の奥 氷室尋ぬる 柳哉」が句碑に刻まれている。
-
お清水の森
山形県 山形・蔵王・天童・上山
- 史跡
ねじれ杉,三十三観音,うば神様あり。
-
鶴の休み石・湯町の足湯
山形県 山形・蔵王・天童・上山
- 史跡
湯町はかみのやま温泉の中で最も古くからある温泉街。かみのやま温泉は脛に傷を負った鶴が足を湯に浸し治癒して飛び立ったとされる伝説があり、「鶴の休み石」がそのシンボルとなっている。
-
長者屋敷遺跡
山形県 米沢・置賜
- 史跡
西山山麓から東に張り出した標高270mの台地にあり、東西300m、南北100mに広がる遺跡。昭和50年代の調査で、旧石器時代(17,000年前)から縄文・弥生時代までの遺跡が確認されている。現在は、約4,000年前の縄文中期の住居跡を覆屋(六角堂)により展示、住居跡には竪穴式住居を復元している。
山形県の文化史跡・遺跡探し
山形県で体験できる文化史跡・遺跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、山形県にて文化史跡・遺跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの山形県で文化史跡・遺跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。