滋賀県の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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水口岡山城跡
滋賀県 甲賀・信楽
- 史跡
天正13年(1585年)豊臣秀吉の重臣、中村一氏が水口の大岡山に築城。その後、塩田長盛、長束正家とつづく。関ケ原の戦いで長束正家が西軍についたため落城。城跡には郭や堀、石垣等がのこり、眺望がよい。◎長束正家(?-1600)栗太郡長束生れ。豊臣政権の五奉行の一人。大蔵大輔、水口城五万石の城主。関ケ原戦に西軍に加わり、蒲生郡中之郷に逃れ、弟伊賀守と共に東軍に囲まれ自刃。
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坂本城跡
滋賀県 大津
- 史跡
元亀2年(1571)明智光秀が築いた平城。その規模は明らかでないが、琵琶湖の水を引いて堀を巡らした、かなり広壮な城域を誇ったといわれ、天守も見事であったという。だが、城の運命は、光秀の天下と同じでまことにはかなく、天正10年(1582)光秀が山崎の合戦で敗れたあと、従弟の秀満が最後に拠って自刃し城も灰燼に帰した。以後は廃城となる。今も残る遺構は湖中に沈んだ石垣の一部のみであるが、現地に整備された公園には「坂本城址」の碑と光秀の像が建てられている。◎明智光秀(1528-82)美濃生れ。織田信長の家臣となり、丹波亀山の城主となる。信長を本能寺に殺し、山崎で秀吉と戦い、敗死。
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安土城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。 安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。 当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝えている。 織田信長(1534年〜82年) 尾張に生まれたが、永禄10年岐阜城主となり、10年東奔西走して安土に移る。井の口を岐阜と改称した。本能寺の変に討死。
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中山道
滋賀県 彦根・長浜
- 旧街道
徳川幕府が制定した五街道のひとつ。湖南・湖東・湖北エリアの街道を巡るコースがあり、「京発ち守山泊まり」として知られる守山宿をはじめ、今も古い町並みや石の道標が残る武佐宿跡を巡る。また八幡神社や宝満寺がある愛知川宿、本陣跡や旧家が点在する高宮宿も趣深い。旧街道の雰囲気を楽しめる鳥居本宿、居醒の清水が有名な醒井宿(さめがいしゅく)、中山道の中でも大規模な宿場町だった柏原宿など、往時の姿を垣間見ることができる。
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竹生島
滋賀県 彦根・長浜
- 史跡
湖岸から約6kmに位置する、琵琶湖に浮かぶ島。深い緑に包まれ、青い湖面に映る島影は「琵琶湖八景」に選ばれている。島内には宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)があり、琵琶湖のパワースポットとして注目度が高い。宝厳寺のご本尊として安置される「大弁才天」は、日本三大弁天のひとつ。寺社のほか、参道に売店と喫茶処があるが、住宅などはない。国の名勝および史跡に指定され、2016年には日本遺産にも登録されている。
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旧東海道
滋賀県 大津
- 旧街道
江戸日本橋から京都までを結ぶ旧五街道の一つで、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康によってその翌年に整備されました。安藤広重の東海道53次の版画で有名。 大津は東海道53次の53番目の宿で、京都から追分・大谷の谷筋を抜けて大津宿の中心(JR大津駅付近)へ至ります。札の辻で直角に折れ、大津の町を抜け、膳所城下町を通って瀬田の唐橋を渡り、唐橋以降は瀬田の集落を抜けて草津宿へと向かいます。ルートはほぼ昔に近い形でたどることができ、道すがらに当時をしのぶ様々な旧跡に出会えます。
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北国海道(西近江路)
滋賀県 大津
- 旧街道
古くは北陸道とも呼ばれ、東山道とともに近江で最も早く整備された道。札の辻から琵琶湖の西岸を北上して敦賀に至り、古来より畿内と北国を結ぶ最短距離の道として利用されてきました。大津市内では下阪本辺りに古い町並みを残しています。
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若狭街道(鯖街道)
滋賀県 大津
- 旧街道
若狭から、葛川谷、花折峠、途中峠を経て、京都の出町柳に至る道。若狭の海から内陸部の京都へ塩鯖を運ぶ道であったことから「鯖街道」を呼ばれるようになりました。現在も鯖寿しが街道の名物ともなっています。
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百穴古墳群
滋賀県 大津
- 史跡
山の南側に約63基の石室がみられ150基以上あったことが推定される。
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近江国庁跡
滋賀県 大津
- 史跡
奈良時代、中央から国司が派遣され、その政庁を国庁といい、近江国庁は8世紀中頃から10世紀末まであったとされる。
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弘文天皇陵(長等山前陵)
滋賀県 大津
- 史跡
壬申の乱で敗死した大友皇子の墓。皇子は1870年に弘文天皇として追称された。1877年、長等山山麓の一古墳が陵墓として選定された。
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膳所城跡
滋賀県 大津
- 史跡
徳川家康が関ガ原合戦の翌年の1601(慶長6)年に大津城を移築して築城させ、本多氏六万石の居城として明治維新にいたる。城は典型的な水城で、二の丸・本丸・出丸が湖に突出し、土橋で北の丸・三の丸と結ばれていた。明治に廃城となり、現在は本丸跡が膳所公園として整備され桜の名所となっている。また城門は重要文化財として膳所神社や篠津神社に移築されて残っている。
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瀬田廃寺跡
滋賀県 大津
- 史跡
奈良時代の国分寺跡といわれている。桑畑の中から塔跡、金堂跡、講堂跡等が発見された。
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崇福寺跡
滋賀県 大津
- 史跡
天智天皇が大津京の鎮護のために創立した寺で金堂跡・塔跡などが残り、かなり大きな寺であったと考えられる。
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逢坂関跡
滋賀県 大津
- 史跡
天下の三関と称され古歌にも詠まれた。附近には公園が整備され、ゆかりの歌碑も建つ。
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石山貝塚
滋賀県 大津
- 史跡
淡水産の貝塚としては、わが国最大級の規模。昭和15年に発見され、昭和34年まで数次にわたり調査が実施された。現在は埋め戻されているが、石山観光協会や瀬田の埋蔵文化財調査センターなどに断面が保存されている。
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皇子山古墳
滋賀県 大津
- 史跡
前方後方墳。4世紀後半の在地首長の墓と推測される。県内でも最古級の古墳である。
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幻住庵
滋賀県 大津
- 史跡
松尾芭蕉が隠棲をかね、約4ヶ月間滞在した草庵。ここで記された「幻住庵記」は有名。平成3年に復元された。
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南滋賀町廃寺跡
滋賀県 大津
- 史跡
大津宮址とも推定される薬師寺伽藍の寺院跡。
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茶臼山古墳
滋賀県 大津
- 史跡
大規模な前方後円墳で、付近の豪族の墓と推定される。被葬者については明らかではない。
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