和歌山県の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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長田観音(如意山厄除観音寺)
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
和歌山県紀の川市にある仏教寺院。真言宗に属する如意山厄除観音寺。初午や二ノ午には多くの参拝者で賑わい、宗旨宗派にとらわれずどなたでもご参詣できる。厄除けの霊験高い仏様として知られており、「厄除けまいり」では数多くの露店が出店される。
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和歌山城
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 城郭
和歌山県和歌山市一番丁に位置する「日本100名城」の一つ。城跡が国の史跡に指定されている。徳川御三家の一つ、紀州藩紀州徳川家の居城として築かれた。白亜の天守閣は第二次大戦で焼失した後に再建されたもので、市民や同市出身の松下幸之助による寄付金で総工費の半額近くが賄われたという。現在は内部に資料が展示されており見学が可能なほか、眼下には和歌山市街の眺望を360度見渡すことができる。全国でも珍しい、城の敷地内の動物園も。
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岩橋千塚古墳群
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
岩橋千塚古墳群は、特別史跡に指定されている古墳数700基を超える古墳群で、和歌山市東部の丘陵位置する。古墳の保存・活用のための博物館施設、紀伊風土記の丘があり、園内には、約430基の古墳がある。一部の古墳の石室は公開され、資料館などもある。
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光恩寺庫裡
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
紀伊吐前(はんざき)城主・津田監物が建て、監物の法号である光恩居士から光恩の部分を取って寺名としたといわれています。初代住職の信誉上人は松平家の出身であり、紀州藩祖徳川頼宣に学問を教えた学識高い人です。 入ってすぐ右にあるのが庫裡で、和歌山城の現存遺構として昭和46年(1971年)1月9日に和歌山市指定文化財(建造物)に指定されました。 和歌山城の建造物で戦争で焼かれずに残っているのは和歌山城内の岡口門とこの庫裏だけで、築後400年を経ても今なお頑強そのものです。
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鳴神貝塚
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
鳴神貝塚は紀ノ川左岸、和歌山平野の中央部にある花山西麓に位置します。明治28(1895)年に近畿地方で初めて発見された貝塚として、昭和6(1931)年に国の史跡に指定されました。貝層の範囲は東西130m、南北100m(平成24(2012)12月現在)におよび、県内最大級の規模を誇ります。その後の調査(昭和27(1952)年、昭和40(1965)〜41(1966)年度、45(1970)年度、平成16(2004)年度)の結果、人骨の埋葬された土杭や、縄文時代早期の貝層、縄文時代早期〜晩期の土器を含む包含層を確認したことから、鳴神貝塚は縄文時代早期〜晩期にかけて断続的に存続した縄文時代の集落遺跡の一部であると考えられます。
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四箇郷一里塚
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
紀州藩祖徳川頼宣が築かせた里程標で、和歌山城京橋を起点として丁度一里の距離に設けられています。 元和5(1619)年和歌山の城主として徳川頼宣が入国すると,城廓の規模を拡張し,城下町の整備にとりかかったが、その時当時上方街道であったこの道路を整備し、嘉家作りの町から八軒家にいたる道の両側に松並木をつくり、一里塚を築いた。 藩主が参勤交代で江戸に赴く時、藩士たちはここまで来て一行を見送り、また帰国の時もここで出迎えた。一里塚が設けられた地点については知ることができても、塚の状態で保存されているものはきわめて少なく、近世交通遺跡として貴重な存在である。
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藤白王子跡
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
熊野九十九王子社中の五躰王子の一つ
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松代王子
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
日方川にかかる春日橋の手前に松代王子の説明板があり、左手の春日神社への参道を登ると青石に刻まれた「松代王子碑」があります。 明治35年にこの地へ移されたもので、元の王子跡は春日山の西の麓にあったと言われています。
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松坂王子
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
薬勝寺から南下した熊野古道が、且来の集落を過ぎて、小野坂にさしかかる所、神子谷と呼ばれる丘陵の山すそに庚申塚をまつっています。 東に少し歩くと、県の指定文化財となっている且来八幡神社の本殿があります。
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菩提房王子
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
国道370号を横断し蓮花寺の前から山田川を渡ってしばらくのところに「菩提房王子跡」があります。 小さな石仏が祀られています。
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祓戸皇子
和歌山県 和歌山市・加太・和歌浦
- 史跡
日限地蔵の右隣に「祓戸神社之跡」の石碑があります。 かつてはここから藤白神社の大楠、藤白坂の筆捨松、藤白峠が一望できました。 真下の三叉路は次の藤白王子へと続く熊野一の鳥居跡になります。
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伊勢(大和)街道
和歌山県 高野山
- 旧街道
和歌山城北東の京橋北詰に「札の辻」があります。ここを起点として紀ノ川沿いを遡り橋本市の真土山を越え、大和の国を経て伊勢に通じる道を伊勢街道と呼んできました。この街道は伊勢参宮の主要な道路であり、参勤交代の経路でもありました。街道は整備され、1里ごとに道しるべとなる塚や松が植えられました。橋本市内には10里松、11里松が植えられていましたが、10里松・11里松ともに切り株のみが残っています。
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陵山古墳
和歌山県 高野山
- 史跡
JR橋本駅北側、丸山公園内にある直径約45mにも及ぶ県下最大の円墳です。内部は顔料により赤く仕上げられ、周囲には濠がめぐらされています。
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岩室城趾
和歌山県 有田・御坊・日高
- 史跡
岩室山(海抜260m)峨々たる岩山で、自然の要塞をなしている。徳本上人練行の遺跡もある。
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塩屋王子神社(美人王子)
和歌山県 有田・御坊・日高
- 史跡
熊野古道に点在する熊野九十九王子社のひとつが、塩屋王子神社です。社歴は古く、境内には後鳥羽上皇の行在所跡の碑も残っています。天照大神の御神像が祀られているので別名は「美人王子」。祈願すれば美人の子が授かるというので、子安神社としてお詣りする人があとをたちません。
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岩内一号墳
和歌山県 有田・御坊・日高
- 史跡
岩内1号墳は、7世紀中頃に築造された横穴式石室墳です。石室からは中央の皇族や有力豪族の古墳に匹敵する副葬品がみつかり、ここに葬られた人物は中大兄皇子によって謀反の罪を問われ、658年に海南藤白坂で処刑された悲劇の皇子・有間皇子ではないかといわれています。
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亀山城址
和歌山県 有田・御坊・日高
- 史跡
室町時代初期、初代光春により築かれ、以後12代直春まで湯川氏本城となる。天正13年(1585)豊臣秀吉の南征軍に攻められて落城。本丸跡に土塁が残る。頂上の眺望は良く、市街地を一望でき、春には桜の花見を楽しむことが出来る。
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熊野古道
和歌山県 白浜・龍神
- 旧街道
平安時代中期から鎌倉時代後半にかけて、既成宗教にあきたらなくなった都の貴族たちが求めた山岳信仰への道を熊野参拝道といい、現在、熊野古道と名づけられて、歴史の道に指定されている。熊野三山(本宮・新宮・那智の熊野大社)への信仰は大自然への信仰だった。山精や水伯や飛滝や巨石に宿る霊魂に抱く畏怖と祈りに仏教や修験道の思想も加わり、現世極楽を熊野の地に求めたのである。熊野は隈野、那智は難地、すなわち、地の涯への難行苦行で、一切の罪業が消滅するという考えであった。ルートは何本かあったが中辺路ルートが主要道で、一時は“蟻の熊野詣”といわれるほど盛んで、後白河法皇など実に33回の熊野御幸をしている。中辺路(なかへち)は紀州の海側から山深く分け入った所にある町の名だ。この町の名は熊野三山詣のルート、中辺路から命名された。そのいわれの通りに、町には熊野詣のための休憩所でもあり、また、道中の安全を祈ったりもした小祠の王子の跡が点々と残っている。
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錦水城水門
和歌山県 白浜・龍神
- 史跡
水城で現在は水門からしのぶのみ。
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高山寺貝塚
和歌山県 白浜・龍神
- 史跡
高山寺式土器と名付けられた厚手押型文の土器が出土した。
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