香川県の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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沙弥島
香川県 琴平・丸亀・坂出
- 史跡
香川県坂出市にある町。かつては瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の島だったが、埋め立て造成により地続きとなった。史跡の宝庫として知られており、縄文式土器やサヌカイト製石器など、当時の土器が数多く発見されているスポット。瀬戸大橋記念公園が整備されているほか、快水浴場百選にも選定されている沙弥島海水浴場は、多くの海水浴客で賑わう。
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こんぴら街道
香川県 琴平・丸亀・坂出
- 旧街道
香川県琴平町にある金刀比羅宮(「こんぴらさん」)へ繋がる街道の呼び名。地域によっては「金毘羅往来」とも。特に利用者が多かった高松、丸亀、多度津、阿波、伊予・土佐の各街道は金毘羅五街道と呼ばれる。その中でも最も栄えたのが丸亀街道は、出発点の太助灯籠から琴平の高灯籠までの約12kmの街道沿いのあちこちに丁石や道標が立つ。昔の風情を残しているが、現在では周辺には店舗も立ち並び食べ歩きを楽しむこともできる。
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丸亀城
香川県 琴平・丸亀・坂出
- 城郭
白鳥が遊ぶ内堀から積み重ねられた石垣は、高さ60mを超えて日本一といわれる。扇の勾配と呼ばれ、ゆるい曲線を描いて美しい。その上に木造の天守がそびえる。1660年(万治3年)に建てられた3階3層で、千鳥破風、唐破風もちょっぴり。瀬戸大橋一帯を見渡せる。日本城郭協会より日本百名城に選定される。◎生駒親正(1526-1603)美濃生れ。武将。織田・豊臣に仕え、賎ヶ岳・小牧山の戦などで軍功を挙げ、近江高島田、伊勢神戸、三田城主、赤穂城主を経て讃岐高松城を築城、城主となる。◎山崎家治(1594-1648)対馬生れ。武将。江戸幕府の命により、西讃岐統治のため丸亀城に移封される。築城の名手で、三原・松山・大坂城など修築。◎京極高和(1619-1662)播州竜野から西讃岐に移封され、丸亀藩京極家初代藩主となる。京極家は近江源氏佐々木信綱の子氏信より続く。
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十河城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
十川東町の「城」といわれる地名の台地上にあり、称念寺を中心とする一帯が城跡である。四方の眺望にすぐれ、城として恵まれた立地にある。同寺の境内に本丸があったと考えられており、将兵の菩提を弔うため称念寺が建立された。北側の空堀は、歴然と名残をとどめ、西側の鷺(さぎ)の他、東側の急傾斜など天然の地形を利用した中世の典型的な城跡として貴重な史跡である。
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藤尾城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
佐料城に代わる香西氏最後の居城。中世の平山城として、標高20メートルの磯崎山頂上に本丸を設け、山麓の周囲に空堀をめぐらせていたと考えられている。藤尾城がある香西の町は、中世の港町でもあり、香西氏の経済的基盤を強固にするために城を移したと推測されている。現在、本丸跡には宇佐八幡神社が祀られている。
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前田城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
前田城は、文明年間(1469〜1487)、十河城主 十河景滋の弟である頼母頭宗存(たのものかみむねまさ)が分家し、前田に本拠を構えたことに始まる。2代前田宗春、3代前田宗清と続いたが、天正12年(1584)に土佐の長宗我部元親軍に敗れ、廃城となったと言われている。 城跡は、自然の立地条件を合理的に利用した典型的な中世の城塞として、その遺構をよく残している。本丸の周囲には空堀跡と考えられる畑地が巡っており、北側では切岸、南西側では土塁が残存している。堀の南側には二の丸があり、現在は薬師庵(宝寿寺)となっている。
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勝賀城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
鎌倉時代から戦国時代の約360年間、笠居郷(鬼無、香西、下笠居地区)を本拠に活躍した香西氏歴代の牙城である。 この城跡は、山頂の平坦地に土塁、食い違い虎口、郭、堀切などの様子をよく残し、その保存状態も良好である。香西氏の城郭遺構の中でも代表的なもので、京都にまで聞こえた香西氏の実力がしのばれる城構えである。
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佐料城跡
香川県 高松・東讃
- 城郭
佐料城跡は勝賀城跡と同じく、香西氏の初代資村が築城したとされている。「詰の城」である勝賀城に対して、平時に居住していた「里の城」であり、香西佳清が藤尾城に移り住むまで、香西氏代々の居館であった。 城跡は付近の東西方向の条里地割に合致するが、南北の堀は地割溝に重ならないことから、築城が条里地割施行に前後する時期であり、古い時期にさかのぼることを示唆している。城の南西部にはL字状の堀が現存しており、周囲には「城の本家」「城の新屋」「御屋敷」等の地名が残っている。
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源平古戦場檀ノ浦
香川県 高松・東讃
- 史跡
五剣山と屋島の熔岩台地にはさまれた入江で一ノ谷合戦後の平家の本拠地。1185年の源平合戦の舞台。
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石清尾山古墳群
香川県 高松・東讃
- 史跡
石清尾山古墳群は3世紀末〜5世紀末頃の石で積んだ積石塚古墳で知られる。双方中円墳の猫塚、鏡塚、前方後円墳の石船塚、姫塚、鶴尾神社4号墳等で構成される。6世紀後半〜7世紀初頭頃の盛土円墳もみられる。
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史跡高松城跡(玉藻公園)
香川県 高松・東讃
- 史跡
天正16年(1588)、豊臣秀吉の家臣生駒親正によって築城された水城である。生駒氏は親正以降4代54年居城したが、高俊のとき御家騒動が起こり、出羽矢島に転封された。その後、讃岐は高松と丸亀の2藩に分割され、高松城には水戸徳川頼房の子松平頼重が入城、修復増築を施し、12代つづいて明治に至った。3重の月見櫓や、艮櫓、天守跡などに往時の面影が偲ばれ、城跡一帯は玉藻公園として開かれている。園内には3つの築山を中心とする枯山水庭園、披雲閣、松平家家宝の一部を展示した玉藻公園陳列館がある。◎生駒親正(1526-1603)美濃生まれ。武将。織田・豊臣に仕え、賎ヶ獄・小牧山の戦などで軍功を挙げ、近江高島、伊勢神戸、赤穂城主。◎松平頼重(1622-95)水戸生まれ。水戸光圀の同母兄。徳川家康に謁見し常陸下館より高松藩に転封、初代藩主となり民政に力を入れる。西国大の命を受け幕閣からも一目おかれた。◎松平頼寿(1874-1944)高松藩松平家12代当主。井伊直弼の孫。貴族院議長となる。その間、県教育会会長、日銀監事、大日本図書館総裁、日本競馬会会頭を務める。
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古代山城 屋嶋城
香川県 高松・東讃
- 史跡
663年の白村江の敗戦後、唐・新羅軍の侵攻を恐れた大和朝廷は、各地に防御用の山城を築かせた。屋嶋城はそのうちの一つで、『日本書紀』の667年の条に「倭国の高安城・讃吉國山田郡の屋嶋城・対馬國の金田城を築く」との記載がある。 屋嶋城の城壁は山上を全長7kmに渡ってめぐらしていたと考えられているが、そのほとんどは断崖絶壁で、人工的に城壁が築かれていたのはそのうちの約1割程度。そのため、自然地形を最大限に活用した古代山城と言える。
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松平家墓所
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松藩主の松平家代々の墓所。代々藩主とその夫人をはじめ類縁の人々の墓塔が200基あまりあり、これほどの数の墓塔がある大名家墓所は全国でも珍しい。零代藩主の命日に墓参できる。
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生駒親正夫妻墓所
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松城を築城した生駒親正とその妻の墓。墓塔は、角礫凝灰岩で作られた五輪塔である。昭和30年4月2日香川県史跡に指定された。
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讃岐遍路道根香寺道
香川県 高松・東讃
- 史跡
四国八十八ヶ所霊場を巡る遍路道は、四国4県にまたがる空海(弘法大師)ゆかりの寺院を巡る1400kmにおよぶ壮大な巡礼道で、古来より人々の往来や文化交流の舞台となり、数多くの石造物等の文化財が残されている。第81番札所白峯寺から第82番札所根香寺間の遍路道である「根香寺道」は、高松市と坂出市にまたがる五色台にあり、道沿いには道標・丁石等の石造物が残っている。承応2年(1653)の澄禅による『四国遍路日記』には「白峰ヨリ五拾町往テ根香寺ニ至ル」、貞享4年(1687)の真念による『四国遍路道指南』には「これより根香寺まで五十町。」とあり、現在の丁数と合致しており、少なくとも江戸時代前期には現在の遍路道が使われていたことがうかがえる。
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府中山内瓦窯跡
香川県 高松・東讃
- 史跡
讃岐国分寺から南西約1キロ離れた高松市国分寺町新名から坂出市府中町前谷にかけて所在する窯跡群。窯周辺では讃岐国分寺や国分尼寺で出土する軒瓦と同一の文様をもつ瓦が採集されていることから、両寺の建立にあたって、その瓦を製造した瓦窯と推定されている。
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今岡古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
古墳時代中期前半(5世紀前半頃)に築造された前方後円墳で、勝賀山から派生した丘陵の先端に立地する。古墳には河原石が散乱しており、築造当時は墳丘表面に葺石が葺かれていたと考えられ、円筒埴輪のほか、後円部を中心に家形や蓋形等の形象埴輪も採取されている。東の方に立地する石清尾山古墳群と比べ、葺石で墳丘を飾り、多量の埴輪が立てられた今岡古墳は、当時の中心地であった近畿地方の強い影響を受けていると考えられている。
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高松市茶臼山古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松平野の東部、茶臼山の山頂部を利用して築かれた全長75mの前方後円墳。発掘調査により、後円部中央に2つの竪穴式石室が発見された。大きな方の石室からは、鍬形石と呼ばれる腕輪の一種や鏡(画文帯重列式神獣鏡)等の副葬品が発見された。鍬形石は県内唯一の事例で、四国でも他に徳島市の巽山古墳の例があるのみである。大和の勢力者から分配を受けたものと考えられ、茶臼山古墳の被葬者が近畿地方と密接な関係にあった証拠とされている。石室も近畿地方にみられる構造をしていることが知られている。
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古宮古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
高松西高校南の谷間にある、古墳時代後期の横穴式石室墳。石室は遺体を葬る玄室と玄室に至る羨道に分けられる。古宮古墳の羨道は破壊されているが、玄門から奥の玄室は非常に良好に残っており、ダイナミックな石組みは技術の高さを物語っている。古墳はすでに盗掘を受けているが、土器とともに鉄地金銅張鞍金具の破片が出土しており、石室の規模や出土遺物から、被葬者は相当の権力を持っていたとみられる。
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三谷石舟古墳
香川県 高松・東讃
- 史跡
三谷石舟古墳は高松平野最大の前方後円墳である。埋葬主体は不明であるが、後円部のほぼ中央において国分寺町鷲ノ山の石材を用いた刳抜式石棺の棺身が露出しており、頭部には石枕、足側には縄掛突起が認められる。詳細な時期は不明であるが、石棺の型式などから古墳時代中期初頭頃の古墳と想定される。
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