八代・水俣・湯の児の郷土芸能 スポット 20選
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早尾のスッキョン行事
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
成人式の奇習。大きな男性器の模型が使用される。
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つなぎ舞鶴太鼓
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
津奈木町を活性化させようと平成元年に発足。現在、30名ほどで町内外のイベント等で演奏している。
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平国六方踊り
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
5人の六方待が道中で会い、たくみに教訓を台詞、歌詞によって表現する
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棒おどり
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
宮浦…薩摩の武芸踊りの流れを汲むもので、文久3年、今の田崎、中村両家の祖が代表となり、時の手永横目及庄屋に願い出て許されたのが由来。踊りは6種類よりなり、その動きの激しさは他に類をみない。また、この踊りの伝承は明治年間までは、一子相伝に等しく、見張りを立てて伝えられてきたものである。 内野…明治12年秋、薩摩武士の流れを汲んだ庄次郎と称する者が湯浦内野地区上村家に養子として来往し、同人が習得した武芸踊りと、地区に昔から伝わっていた「奴っ子踊り」の手踊りの長所と加えて創作したのが由来。棒踊りは、どこでも男性ばかりであるが、ここでは女性が半数まじっている。男3、女3の6名が一組になり、前後左右各々踊りが違うようになっている群舞である。 市野瀬…約150年前、水俣市の久木野から伝えられたとされている。昭和41年まで踊られていたが、その後、後継者が途絶え、昭和62年、地区の有志の方々によって村づくりの一環として復活した。田浦…天保年間に伝わったとされ、鎌倉、都入りなど4種類の踊りがある。4列16人または3列12人を1組とし、6尺棒と3尺棒を用いて打ち合う。
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唐人おどり
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
この踊りの由来については判然としないが、古文書によると計石港は、慶長年間、海上交通の拠点として、外国との交流があったと記録されている。この様な時代背景のもと、いつしか唐人踊りが伝わり、享保9年の芦北地方の大旱ばつには、雨乞踊りとして、祈願奉納されている。計石唐人踊りは、その名が示すように唐人の服装で踊る踊りで、鉦やドラの音に合せての踊りの所作は至って単調で、歌詞も外来語のなまったもので何を歌ったものか判然としない。現在では、地区の伝承芸能として保存され、雨乞祈願、地区の行事、町の催しの祈り等に演技されている。
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獅子舞
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
花岡東区と北区はもと佐敷村という一区になっていて、古く旧藩時代から獅子舞が伝承されていた。後に花岡東北に分かれて二区となり、各別に獅子舞を行うようになった。この舞は人物の服装や獅子の姿から見て外国から渡来したものと推察される。舞は、王子が獅子狩を模したもので、獅子は金の玉を愛好するという伝説によって王子が金の玉を打ち振り、牡獅子が牝獅子を誘導乱舞させる様を表現したものである。現在は、町や地区の行事等に披露されている。
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才木雷狂言
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
発祥の年代は不明、大正14年に作製された雷狂言の解説書が保存されている。戦時中から戦後にかけ12年間中断、昭和28年夏復活した。その後は、毎年、または2、3年ごとに地区内の初盆の所で演じられてきた。
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俵踊り
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
1691年に、今の田浦町の有志が、伊勢参りの帰りみちに、筑前の同じ地名の田浦町というところで、この俵踊りを見物して感じ入り、伝授をうけ、帰郷して7歳〜12歳までの子供に教え込み、雨乞い、豊年祝、その他祝事の催しに余興として演ずるようになった。三味線、太鼓、つづみ、笛等の楽器を用い、はやし付きで、道拍子、前芸をそえた、優雅なもので、唄に合せて、年貢米の完納を祝福する踊りである。
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臼太鼓踊り
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
(鶴木山)起源は戦国時代ともいわれ、村祭りや盆、供養、雨乞い祈願等に奉納されていました。享保9年(1724)に芦北地方を襲った大旱魃でも雨乞い踊りとして奉納されています(田中家文書)。太鼓10、鉦6、棒4からなり棒を使うのが特徴です。(岩屋川内)江戸時代より受け継がれてきたといわれ、今から50年くらい前までは、旱魃の時には雨乞いの為に、旧田浦町との境にある牧山の山上で踊られたそうです。一時途絶えましたが、昭和63年に復活しました。(上原)上原臼太鼓踊りは上原臼太鼓御神楽ともいい、江戸時代以前から伝承されているともいう。上原地区に秘伝書として伝わってきた『上原臼太鼓絵巻』(芦北町指定文化財)及び『臼太鼓御神楽の謂』には1番「天の岩戸」から「よろこびのまい」までの48の踊りが記されています。踊り手は各家の長男のみに限定されていましたが、人手不足により現在は女性も踊ることができます。
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本屋敷神楽
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
本屋敷夜明けの神楽ともいわれ、8〜10才の男子2名で舞う。
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岩奥神楽
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
阿蘇地方発祥の肥後神楽の流れをくみ、明治後期より毎年旧暦の6月15日と11月15日に奉納される。笛や太鼓の音にのせた12種の舞が伝えられている。
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樅木神楽
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
高千穂神楽の流れをくむもので、1800年ごろに始まり、毎年10月25日に樅木神社に奉納される。お神酒を飲み交わしながらの舞い、鬼神の面を付けての舞いなど、数多くのものが伝えられている。
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葉木神楽
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
宮崎県の岩戸神楽をルーツとして1684年ごろに始まり、毎年10月17日に葉木神社に奉納される。太鼓や笛に合せて早いテンポで舞う「神楽の舞」は神聖なものとされ、昔は舞い手は神官に限られたという。
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久連子古代踊り
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
平家の落人たちが、都を偲んで舞ったと言い伝えられる久連子古代踊り。久連子鶏の尾羽で作ったシャグマとよばれる笠をかぶり、鐘や太鼓の響きに合せてゆったりと舞う姿は、時を超えて哀愁が感じられます。 昭和53年には国選択の無形民俗文化財に認定され、地元の久連子踊り保存会は第44回吉川英治文化賞を受賞されている。
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棒踊り
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
今から数百年前、源平合戦に敗れた平家の人が住みついて、農民の武術として教え、伝えられてきた。現在は後継者難で継承が難しい時期を迎えています。
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日奈久温泉六郎太鼓
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
日奈久温泉発見者の浜田六郎左衛門に奉納するために作られた太鼓を10名のたたき手が勇壮に演じる。
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奴
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
江戸時代から続く、雨乞い余興。秋の大祭の神事に奉納している。
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大鞘名所
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
文政4年の干拓工事の折、出稼ぎの人夫達により集団創作された労働歌で、後に舞踊化された。九州干拓民謡の発生地といわれる。
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女相撲
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
安政2年(1855年)に完成した二の丸新地・八代新地の築造の際、潮止め工事が難航したので、周辺の村々から屈強な宮相撲衆(力士)を集め、潮止め口を踏み固めさせ、無事完成させたことがはじまりと伝えられている。 以来、二の丸地区では、竜神社を祀り、毎年の例祭で相撲が奉納されている。これがいつから女性が主役の「女相撲」になったのかは、わかっていないが、現在、女相撲保存会によって伝承されている。 毎年10月5日、竜神社の神事のあと、相撲取りに扮した女相撲取りたちが境内の土俵に登場。行事が「りゅほうやま〜」「おざや〜がわ〜」といった地元の地名にちなんだ四股名(しこな)を読み上げるたびに、観客から拍手喝采がわきおこる。 土俵を踏み固める「地固め」の儀式のあと、行われる取組みは真剣そのもの。最後は、人気力士の「弓取式」で幕を閉じる。境内は、終始明るい笑いに包まれ、干拓地ならではの起源をもつ、たくましさが感じられる芸能。
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千丁町大鞘節
熊本県 八代・水俣・湯の児
- 郷土芸能
「大鞘節」は、文政2年(1819)に完成した四百町新地干拓工事の作業唄で、安政2年(1855年)の八代新地干拓工事の際にも唄われたといわれています。 八代新地地区に伝わる「大鞘節」は、唄い手、はやし、太鼓、三味線に合わせ、鍬やモッコを持った踊り手が踊るもので、唄には労働の辛さや現場監督「だいばどん」と人夫のお菊の恋物語などが唄い込まれています。
八代・水俣・湯の児の郷土芸能探し
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