島原・雲仙・小浜の観光施設 スポット 20選
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時鐘楼
長崎県 島原・雲仙・小浜
- 観光施設
島原城の北西、城と武家屋敷街の間の鐘楼通沿いにある鐘楼。1675年に時の島原藩主松平忠房が「人々に時刻を知らせ、守らせることは政治の中でも大切なことである」として建立したもので、269年もの間住民に時を知らせる鐘の音を響かせていたが、太平洋戦争の金属供出命令により1944年に時鐘が撤去。1973年に住民らの寄付により、老朽化の著しかった鐘楼とともに復元された。島原鉄道島原駅から徒歩10分。
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まだれいなの墓
長崎県 島原・雲仙・小浜
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長崎県島原市山寺町、竜源山西方寺の共同墓地内にあるキリシタン墓碑。県指定史跡。自然石の前面に浅い窪みをつけ、その中に台つきのカルワリオ十字紋(干十字と呼ばれる十字の上に横線を引いた紋)が平彫りされており、側には「まだれいな」と刻まれている。墓碑の銘の「まだれいな」とはクリスチャンネームで、女子信者につけられたもの。周囲に多数残るキリシタン墓碑の中でも、立碑は珍しいとされる。島原鉄道島原駅から車で15分。
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島原の乱供養碑(鈴木重成建立供養碑)
長崎県 島原・雲仙・小浜
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島原天草の乱後10年目、時の代官鈴木重成が珪文に請い禅僧100余人を集めて慰霊の読誦を行い土地を清め、碑文を建てた。
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がしんたれ詩碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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「君の名は」で有名な劇作家菊田一夫の詩碑。
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須崎キリシタン墓碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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浮き彫りカルワリオ・ラテン十字架紋やカルワリオ罪標十字架紋入り墓石や「る井寸」という銘が刻まれた墓石(ルイスの墓と呼ばれている)がある。
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座禅石
長崎県 島原・雲仙・小浜
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加津佐・円通寺を開創し、曹洞宗6代目の法灯を継いだ大智禅師が庵をむすび、この場所で座禅を組んだところから名づけられた。
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南蛮船来航の地
長崎県 島原・雲仙・小浜
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県指定史跡(昭和16年)永禄10年(1567年)トリスタン・バス・デ・ベイガ船長のポルトガル船3隻が入港し南蛮貿易港として栄えました。また天正7年(1579)リオネル・デ・ブリットの船でヴァリニャーノ神父が上陸しキリシタン布教の根拠地となり西洋文化の窓口として世界に知られるようになりました。口之津港が優れていたことを、当時の記録は次のように伝えています。「この地方において志岐、口之津を除けば、安全にして四方の風を避ける便利な港は他にない。口之津は大村の港(福田)よりも良港である。なぜなら、口之津では船は随意に碇泊する事が出来るからだ。」(リストホーテン”水路記集”)天正4年(1576)、7、8、10年にもポルトガル船2隻ずつが入港し、活気を呈しました。現在では石垣の周りが埋め立てられて、開田公園として市民の憩いの場になっています。
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山田右衛門作の住居跡
長崎県 島原・雲仙・小浜
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わが国の歴史上、最大規模の反乱事件であった島原の乱は、一揆勢およそ三万七千人が、幕府軍に全滅させられてしまいました。しかし、正確にいうとたった一人だけ生き残った者がいました。山田右衛門作という南蛮絵師です。山田右衛門作は、わが国最初の洋画家で、プロの絵師です。世界三大聖旗の一つといわれる天草四郎陣中旗は、彼の作といわれています。ただ一人生き延びた右衛門作は、松平綱信に連れられて江戸にのぼりました。江戸ではキリシタン探索を命じられるなど、徹底的に幕府に利用されましたが、ある日突然、右衛門作はキリシタンに立ち返りました。そして、公然とキリスト教を布教し始めます。最後は幕府に捕まり投獄されてしまいます。このあと右衛門作がどうなったのかは、誰も知りません。
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白浜キリシタン墓碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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県指定史跡(昭和2年)永禄6年アルメイダが口之津で二週間伝導して二百五十名に洗礼を授けたのに始まり永禄7年日本キリシタン協会の長老トルレスが口之津に居を定め以来二十年間口之津は長崎と並んでキリスト教の日本に於ける伝導の拠点でした。白浜海岸の砂丘から数基のキリシタン墓碑が発見されています。指定の墓碑は花十字紋入り樽型の一基。両方の軸部に浅いくぼみがあり、正面軸部の方に花十字紋の線彫りがあります。墓碑そのもは小型ですが、ユニークな形態に特徴があります。
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瀬詰崎灯台
長崎県 島原・雲仙・小浜
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島原半島南端に位置する灯台。幅約5kmの早崎瀬戸を挟んで天草下島と向き合っていて、有明海の入口を示す灯台として航海の安全を見守っています。早崎瀬戸は有明海の入口にあたり、日本三大潮流の一つに数えられています。3〜6月の大潮時には、潮流の早さが最大7ノットとなり直径20mの勇壮なうず潮が見られます。瀬詰崎灯台から眺める橘湾の夕景は、海面がきらめき、とても美しく、人々をやさしく包みこみます。また、灯台の元は、釣りポイントでもあり休日には、地元の釣り自慢が陸釣りを楽しんでいます。
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唐人常夜灯
長崎県 島原・雲仙・小浜
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口之津港頭の高台(口之津公園)にあり、高さ3.8m、2.1m四方形の石積みの灯明台で、寛永19年(1642年)に造営された琴平宮の献灯で、航行船舶の標識として利用された。明治13年口之津灯台建設後は、専ら琴平宮の献灯としていたのである。明治17年の夏の台風によって琴平宮が倒壊したため灯明台のみが残っている。
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与茂作川(井)
長崎県 島原・雲仙・小浜
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数奇な運命の山田右衛門作(与茂作)は、当時随一の南蛮絵師で彼の絵は「生き絵」と言われる程のものであった。絵を書くのに用いた水。彼の生活に用いた水は今も与茂作川(井)として残っている。彼が江戸に連行されて将軍家光の前で生き絵を書かせられた時この水を取り寄せて書いても生き絵ではなかったので、家光が怒ったと言う伝説も、この水に始まるのである。
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シーサイドパーク
長崎県 島原・雲仙・小浜
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なんばん大橋のふもと,口之津港に面した施設。展望休憩所やコンビネーション遊具などがあり,親子の散策に適している。
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シーサイドグラウンド
長崎県 島原・雲仙・小浜
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口之津公園の下にあるグラウンドで、アスレチック遊戯のほか、50mのローラーすべり台があり、家族連れの利用者が多い。また、4月中旬〜5月の端午の節句まで50匹の鯉のぼりが勇壮に泳ぎます。
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天草四郎像
長崎県 島原・雲仙・小浜
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益田時貞は小西行長の旧臣の子。通称天草四郎。洗礼名ジェロニモ。弱冠16歳で島原の乱の総大将におされ、原城に拠ったが、90日の篭城のすえ陥落、敗死した。本町出身の彫刻家で長崎平和祈念像で有名な北村西望氏の作品
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玉垣額之助碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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江戸時代に活躍した相撲取りの碑。本町出身。現在スポーツの神様として信仰され,毎年秋には少年相撲が奉納されている。
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吉川キリシタン墓碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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無紋無銘の樽型キリシタン墓碑で,ヨーロッパに現存する長手平石にブドウ酒樽を横たえた形の一本石からなる樽型墓石と形式を同じとする数少ない墓石である。
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板倉重昌の碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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島原の乱の征討使として着任。成果が上がらず、第2征討使、松平伊豆守が派遣されたのにあせり、寛永15年元旦総攻撃を敢行し戦死。この碑は、乱後43年目の1681年に重昌の孫である重道の依頼で建立計画され、碑文を彫り建立を申し出たが、許可されず放置されていた。その後1798年板倉八右衛門勝彪(島原松平氏主席家老)によって建てられた。撰文 林整宇(林羅山の孫)
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ホネカミ地蔵
長崎県 島原・雲仙・小浜
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原城一帯に散乱していた敵も味方もない骨を集め供養した。1766年有馬村願心寺注誉住職により建立「骨かみ地蔵に花あげろ三万人も死んだゲナ小さな子供もいたらうに骨かみ地蔵に花あげろ」八波則吉作。
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山本健吉原城句碑
長崎県 島原・雲仙・小浜
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原城文化センター脇に立つ句碑で,昭和35年原城跡を訪れたとき,宿泊された島原の旅館で詠まれた3つの俳句が刻まれている。
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