有田市の神社・仏閣 スポット 4選
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浄妙寺
和歌山県 有田・御坊・日高
- 神社・仏閣
浄妙寺は、大同元(806)年に桓武天皇の皇后、藤原乙牟漏の勅願によって唐の僧如寳が創建したとも、また阿波の尼僧西阿弥の創建とも伝えられています。 もとは七堂伽藍の名刹であったといわれていますが、天正13(1585)年の兵乱によって多くの堂舎および縁起等は焼けましたが、薬師堂と多宝塔は密林の中にあったため兵火を免れたのが、今の堂塔といわれています。はじめ立宗であったそうですが、寛文2(1662)年に多宝塔を修理したとき臨済宗に改められました。 本堂(薬師堂)は寄棟造り本瓦葺で貞享3(1686)年と享保3(1718)年、それに大正7(1918)年に大修理を行った際それまでの檜皮葺を瓦葺に改めました。その屋根の勾配のなだらかなところなど、鎌倉時代の建築様式を備えているといわれています。 多宝塔の屋根は宝形造り本瓦葺の三間多宝塔で姿よく整った形のもので、空輪頂上迄の高さ12.95mで鎌倉時代の中期の健造といわれています。 寛文2年と寛延2(1749)年に、また昭和9(1934)年に室戸台風により被害を受けたので昭和12(1937)年に修理されました。 本堂・多宝塔と、いずれも鎌倉時代の作といわれています木造薬師如来坐像および両脇持立像と十二神将立像、それに仏像が安置されている蓮華唐草文の螺鈿をちりばめ鎌倉時代の特長がよく表れている本堂内の蓮華唐草文螺鈿弥壇は国の重要文化財に指定されています。 また多宝塔には八相成道図・真言八祖図の壁画が描かれ、木造五智如来座像が祀られています。 なお螺鈿前卓部・燭台の台・薬師如来光背飛天・仏頭片・帝釈天胴部なども保管保存されています。
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須佐神社
和歌山県 有田・御坊・日高
- 神社・仏閣
須佐神社の祭神は素戔嗚尊です。須佐神社の起源は和銅6(713)年10月初亥の日に大和国吉野郡西川峰よりここに移したといわれています。また神武天皇55年乙卯正月初卯日に大和国吉野郡西上之峰からこの地に移るという説や、その他の説もあって鎮座の年月は証らかではありませんが、10世紀に定められた延喜式の神名帳に載せられている有田地方唯一の式内社で、古からの存在がわかります。 社殿は初め西向きに建てられていましたが、海上を往来する船が遙拝を怠ると転覆や難船に遭うことが多かったので、元明天皇の勅命によって南向きに建てられるようになったといわれています。 素戔嗚尊の子神の五十猛命を祀る伊太祁曽神社と関係が深く、伊太祁曽神社の近くには口須佐・奥須佐の地名も現存していて、お互いの社領が双方にあったといわれ、天正のころ(1573〜91年)までは秋祭りに神馬12騎が伊太祁曽より来て、千田の神事を勤めたと伝えられています。 天正7(1579)年3月に織田信長の武将、羽柴秀吉がこの地に侵攻したときに、湯浅の地頭白樫氏が内応して社殿等を壊したので、神器、霊宝や縁起・記帳等を唐櫃2つに納めて、神光谷という谷の林の中に隠しましたが、それも捜し出されて焼かれたり海に投げ込まれたりして、今は何も残っていないといわれています。 社殿の修復は江戸時代の寛永・正保のころ(1624〜47年)に藩主徳川頼宣が当社を尊信して、復興を図り元の姿に戻して現在に至っています。 10月14日の秋祭りには神社より高田の浜に神輿が渡御の後、献鯛が投げられ以前はこの鯛の奪い合いが有名で、一名「かけ鯛」とも「喧嘩祭り」ともいわれています。 また享保年中(1716〜35年)に徳川吉宗が太刀一振と神馬1頭を寄進しています。この太刀は現在国の重要文化財に指定されています。
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得生寺
和歌山県 有田・御坊・日高
- 神社・仏閣
得生寺は中将姫伝説の寺として知られています。奈良時代の天平宝字3(759)年に、時の右大臣藤原豊成卿の娘、中将姫が3年間隠れ住んだ所に、姫に仕えた伊藤春時が草庵を結び安養庵と称したのが最初といわれます。春時は西の真砂寺で剃髪して得生、妻は妙生と名乗りました。 平安時代の承平のころ(931〜937年)空也上人がこの地に行脚し、庵の所に一寺を建てて春時の法名に因んで得生寺と名付けました。その後、室町時代の文明年間(1469〜86)に梶取総持寺を創建した明秀光雲上人により、西山浄土宗に改宗され文亀年間(1501〜1503)に別所の谷は山奥で不便だからと、西里高井の後の的場に移転しました。この高井の後の的場は水難の恐れがあるため、永禄10(1567)年に宮代に移転しましたが、江戸時代に入り寛永5(1633)年に新田の西蓮坪に移し現在に至っています。 本尊の阿弥陀如来立像や当麻寺の玉誉上人より贈られたといわれている中将姫座像と伊藤春時夫妻像、それに天平宝字7(763)年歳次癸卯季夏6月23日の銘がある浄土曼荼羅図(当麻曼荼羅図の転写本か)、室町時代作の連刺繍三尊像(刺繍阿弥陀三尊来迎図)が祀られています。 毎年5月14日の中将姫の命日に行われる来迎会式の二十五菩薩練り供養は、和歌山県の無形文化財に指定されています。
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本朝最初稲荷大神社
和歌山県 有田・御坊・日高
- 神社・仏閣
糸我稲荷神社の創建は白雉3(652)年の春と伝えられ、京都伏見大社の創建(711)年よりも約60年ほど古く、日本最初の稲荷神社といわれていて正面の鳥居に「本朝最初・稲荷大神社」の額が掲げられています。 糸我稲荷神社の境内に樹齢500〜600年と推定される楠の木があります。明治の中頃まで4本ありましたが西北の1本が枯れ、今は3本ですが、3本揃っているのは稀で、有田市の天然記念物に指定されています。他にも境内には3本のイチイガシ(樹齢200年内外)やイチョウの木(樹齢300年内外)等の古木も見られます。
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