茨城県の神社・仏閣 スポット 20選
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牛久大仏
茨城県 つくば・牛久
- 神社・仏閣
牛久大仏は、茨城県牛久市に位置する、全長120mの巨大な青銅製の大仏です。その壮大さは圧巻であり、何とも壮観な姿を窺うことができます。青銅製立像としては世界一の高さを誇り、ギネスブックにも認定されています。 牛久大仏は大仏の胎内に入ることができ、5層に分けられた内部は各階ごとに幻想的な世界が広がっています。地上85mに設けられた展望台からは、どこまでも広がる景色を楽しむことができます。 付近には美しい浄土庭園や、子供たちが動物と触れ合うことができる小動物公園も点在。美しい庭園に囲まれながら、心地よい風に吹かれて大仏を眺める時間は、訪れた人々に心の潤いを与えます。 大仏の周辺にはほかにも仲見世や食事処があり、一日中楽しむことができます。特に、ここでしか食べることができない地元の特産物を使った料理を堪能するのもおすすめです。 ただ見るだけではない体験型の観光スポットとして、家族連れやカップル、友人同士での訪問はもちろん、一人で訪れ、心の中に静寂を求めるのにも最適です。観光の一つとして牛久大仏を訪れてみてはいかがでしょうか。
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八角堂(佛性寺本堂)
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
天長年間(824〜834)慈覚大師の創建。貞和5年(1340)比叡山坂本から山王を勧請、本尊大日如来は文安5年(1448)鋳造されました。三十日仏坐像は、1日から30日にいたる小型の脇待仏で、もとは30体あったと思われますが、現在は20体だけが安置されており、本尊とともに茨城県指定の文化財となっています。三十日仏坐像は康正元年(1455)に造られました。また、境内のいちょうは水戸市指定の保存樹であり、平成9年には新たに鐘楼も建立されています。建築様式がめずらしい建物。全国でも珍しい室町時代の雰囲気をもつ建物。
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竈神社
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
水戸市本町にある神社。七軒町児童公園の南側、備前堀に沿って鎮座しており、コンパクトな境内の中央に立つ樹高10m・幹周り7.3m超の大ケヤキがひときわ目を引く。古くは水戸城内で三宝荒神として祀られたが、元禄3年に徳川光圀により現在の場所へ改められた。竈の神様、「おかまさま」として地元農民の信仰を集め、現在でも火難避けの御利益を求める人や水戸七社の一つとしての参拝がある。祭神は奥津彦命、奥津姫命、中御方命の三柱。
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大甕神社
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
日立市大みか町にある神社。神社名も町名と同じく「おおみか」と読む。社伝によれば創建は紀元前660年(皇紀元年)まで遡るとされ、当初は大甕山(現在の風神山付近)上に建てられたが元禄8年に水戸藩主・徳川光圀により遷座された。大甕神社の境内にある岩山全体を指して「宿魂石」という呼び名があり、宿魂石の頂上に主神・武葉槌命を祀る本殿が、宿魂石の北西側には地主神の甕星香香背男社がある。境内北側、裏参道の大鳥居も見もの。
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不動院
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 神社・仏閣
関東の天台宗の総本山だった。仁王門に面影をとどめる。
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長谷観音
茨城県 常総・結城・桜川
- 神社・仏閣
古河公方足利成氏により建立された。古河城の鬼門を守る仏で、歴代古河城主が祈願をこめたところとされている。安産、子育て、虫封じ、開運厄除け、出世観音様と言われて日本三大長谷として親しまれている。
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二本松寺
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 神社・仏閣
茨城県潮来市堀之内に位置し、平安時代初めに創建されたと伝えられているお寺。境内には、茨城県指定文化財に登録されている「木造薬師如来坐像」、潮来市指定文化財に登録され、美術工芸品としても価値ある「古什器」、 潮来市指定文化財に指定され、1691年に水戸光圀公がお手植えされたといわれている記念樹「二本松寺の槇」など貴重な見どころが点在。特に、敷地内に約100種10,000株が植栽されているあじさいの杜は圧巻。境内の見どころを含めた30~40分の散策コースも整備されている。
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千勝神社
茨城県 つくば・牛久
- 神社・仏閣
つくば市の最南端、牛久沼の近くに鎮座する神社。西暦502年頃、第25代武烈天皇の時代の創建とされ、当初は筑波山の西方・常陸と下総の国境に置かれたのち、幾度かの鎮座地の変遷を経て昭和39年より現在地に立つ。猿田彦大神(千勝大神)を主祭神とし、「諸願成就の神」として崇められる。拝殿の裏には右手に学問の神といわれる山根彦神を祀る摂社が、左手に八栄根彦神を祀る摂社(祖霊浄魂社)が置かれている。
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大念寺
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 神社・仏閣
茨城県稲敷市江戸崎にある浄土宗の寺院。天正18年、領主であった蘆名盛重が先祖を弔うために江戸の源誉慶巌を招いて創建した寺だ。境内の面積は約1満1000平方メートルもあり、そのなかには本堂・庫裏・開山堂・地蔵同・大黒堂などの堂宇が並んでいる。なかでも、本堂にある鎌倉時代前期に作られた「阿弥陀如来立像」は、市指定の文化財にも指定されており、鎌倉仏像彫刻の第一人者、快慶風の特徴が見られる貴重なものとなっている。
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泉神社
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 神社・仏閣
天速玉姫命を祭神に祀る日立市の神社。紀元前42年の創建とも言われる日立地方最古の神社で、社名のとおり境内に湧泉があり、『常陸国風土記』でも「密筑の里の大井」と記述がある。一帯は「泉が森」の名で県の史跡に指定。こんこんと湧く青緑色の澄んだ泉が見る人を楽しませるほか、常陸国風土記によればかつては「男女会集いて、休い遊び飲み楽し」む交歓の場であったことから、近年では恋愛のパワースポットとしても知られる。
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大生郷天満宮
茨城県 常総・結城・桜川
- 神社・仏閣
茨城県常総市にある神社。道真公が大宰府に没した後、この地に足をとどめ遺骨を祀ったと言われており、東日本最古の天満宮とされている。日本三大天神の一つでもあり、合格祈願の参拝客が多く訪れる。
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薬王院
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
桓武天皇勅願という古刹。水戸藩第2代藩主徳川光圀公の尽力により水戸藩の檀林寺(学問寺)に認定され隆盛しました。室町期の本堂は国指定重要文化財。
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ほしいも神社
茨城県 大洗・ひたちなか
- 神社・仏閣
「ほしいも神社」は、茨城県ひたちなか市に位置する、令和元年11月、新しく誕生した神社だ。 「堀出神社」の敷地内に建設されており、「御神体が掘って出た神社」と「ほしいも」の「イモは掘るもの」をかけて「ほしいも神社」と名付けた。 パンフレットに記載されているご利益は「ホシイモノ(欲しいもの)は総て手に入る」。黄金色の鳥居が特徴的で、隠れた人気スポットだ。「国営ひたち海浜公園」や「日立駅」に立ち寄りやすいアクセスの良さも魅力の一つ。
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大宝八幡宮
茨城県 常総・結城・桜川
- 神社・仏閣
【由緒と史跡】 -関東最古の八幡宮- 大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫の宇佐神宮に勧請創建したのがはじまりである。 天台宗の古い経文の奥書に「治承3年(1179)己亥7月22日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるから、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかる。 平将門公も戦勝祈願の為たびたび参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられる。 「吾妻鏡」に下妻宮としるされ、文治5年(1189)、奥州征伐平定の日源 頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建した。 寛政7年(1795)には光格天皇より額字及び御紋付幕を賜り、明治19年には北白川宮より幣帛料が進納せられ、徳川家からは社領115石が寄進され代々の朱印が付されて現存すると共に、代々の大宝城主、下妻城主の崇敬がことのほか篤かったのは言うをまたない。 千古の連錦とした歴史の中で当宮から勧請された八幡宮は数えきれないが、東京深川の富岡八幡宮が著名である。 -御本殿(国指定重要文化財)- 三間社流造。天正5年(1577)に下妻城主多賀谷尊経公が再建したことが、本殿回廊の高欄擬宝珠によって知られる。 建ち上がりも高く、柱も太くてどっしりとした重みを見せているが、これに比べて組物はは小柄で複雑に組合わされ、桃山時代の地方色が濃くあらわれて派手な装飾は見られず落ち着いたたたずまいを見せている。 -史跡 大宝城跡(国指定文化財)- 境内は平安時代から南北朝にかけてあった城跡でもあり、西、北および東方の一部をもとの鳥羽の淡海(大宝沼)に囲まれた東西288メートル、南北576メートルの台地であり、東方も古い時代には沼か湿地であったと思われるから三方断崖に面した要害の地であった。 ここに平 清朝公が築城し、北を本丸、南を追手、東を搦手とした。応徳3年(1086)下津間盛幹公が初代城主となり、約百年後四代下津間弘幹公にして下津間氏は終わりを告げた。源 頼朝公の命により大宝城のあとは小山頼政公が治め、小山氏は代々下妻氏を名乗った。 六代政泰公の代に至り南北朝時代となり、興国2、(暦応4)年(1341)11月、常陸国司春日中将顕時公が若き興良親王を奉じて小田城より入城し、東国における南朝方の拠点として、関城主宗祐、宗政父子と相呼応して義旗を翻したが兵糧不足と迫る寒気のため落城した。 御社殿裏に政泰公の碑が往時をしのんで建っている。 【祭り行事】 -奇祭(火まつり)タバンカ祭- 当宮の例大祭は「大宝まち」とも呼ばれて親しまれ、9月15・16日に斎行されるが、又の名を「七まつり」とも言い、七度にわたる祭事が執り行われる。 この中で最も特色のあるのが、9月12日と1日おいた14日の夜7時からはじまる松明祭(タバンカ祭)である。全国でもここでしか見られない珍しい火祭で、その起源は古く、応安3年(1370)に大宝寺別当坊の賢了院が出火した際に、畳と鍋ぶたを使って火を消し止めたという故事を戯曲化したのに始まる。 日も暮れ、七時の太鼓の音によって、祭りが幕を開ける。 この祭は別名「冬瓜まつり」とも呼ばれるように冬瓜を神前に献ずるが、祝詞奏上の後、御神前に巴型に並べられた畳、その中央の鍋ぶたの上の素焼きの盃に御飯と冬瓜を1つずつ盛りつけ、玉串拝礼の後、太鼓の音に乗って祭の所役である白装束の氏子青年7名が畳や鍋ぶたごとカワラケを拝殿前にほうり投げる。カワラケを拾った人は病気をしないといわれ参詣の人々が競って拾いあう。 次に拝殿前に備えられた二本の大松明(麦わら製)に点火し、勢いよく燃え上がる火を囲んで畳や鍋ぶたを力一杯石畳に叩きつける。この時に発するバタンバタンという音からタバンカの名が起こったという。 この御神火で火をつけた松明を一束ずつ両手に持った所役二名が振り回しながらかけまわる。それを4名の畳(一畳の4分の1)、1名の鍋ぶた所役が交互に火の粉を浴びながら追いかけたり、逆に追われたりします。時として参詣の人が追われもします。 これが終わり、畳、鍋ぶた所役は炎を上げて燃え盛る御神火を囲み、バタンバタンという音を響かせて叩きつけ消火に努める様を演ずる。松明が燃えつき祭りが終わるまでの約1時間は社伝の八幡太鼓の音が鳴り響き勇壮さをひき立てる。 この松明の灯りを以て12日には境内末社、14日には本社と若宮八幡宮の御幣が新しくされる。 【社宝】 -瑞花雙鳥八陵鏡(県指定文化財)- 白銅製、11.2センチメートル。文様表出のよい精良な一面である。鏡背文様は四分割して上下に瑞花を散らし、左右に鳳凰に対照的に配し、さらに周囲には羽をひろげた蝶を四方に対照的におき、そのあいだに唐草を散らしている。 鋳造年代は11世紀頃であろう。 -丸木舟(県指定文化財)- イトスギ材、長さ6.05メートル、幅58センチメートル。船首と船尾をとがらせている。江戸時代後期安政年間(1854〜1859)に大宝沼干拓の際発見されたといわれる。 浅瀬で運搬用に使われていたものと考えられる。舟底は平たんに近い造りで、舷の内外とも精巧に削られているのが特色になっている。大木の幹をくりぬいて造った丸木舟はくりぶねともいわれる。見事な造りのこの丸木舟は、古墳時代後期のものと考えられ、ほぼ完全な形で保存も極めて良好、貴重な考古資料として高く評価されている。 -(考古資料、土器群)- 縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器・埴輪 天皇御下賜品 天座之太刀(源 頼朝公寄進)唐鏡十葉(初代別当久仁法親王寄進)五人張弓(多賀谷政経公寄進)重籐弓 大太刀(鉄水子作、寄進)甲冑 -銅鐘(県指定文化財)- 青銅製、高さ108.1センチメートル、口径60.3センチメートル。 池の間(鐘の中間にあるほぼ方形の四区)の陰刻銘により、鐘は埼玉県岩槻市平林寺を開山した石室善玖が1387年(嘉慶1)年鋳造。大工沙弥道善作とわかる。その後1456(享徳5、康正2)年猿島郡星智寺のものとなったことが三区以下の追銘で知れる。 この鐘は1547(天正1)年9月、佐竹氏の先手となった多賀谷 重経が、猿島郡へ出陣の際に戦利品として持ち帰り、大宝八幡宮に奉納したものと伝えられる。 【だいほうはちまん昔ばなし】 -「一つもの」の伝説- むかしむかし大宝沼に大きな白蛇が住んでいました。 秋になると白蛇が大宝近郊の家の屋根に白羽の屋根を立てます。その家では娘を白蛇に差し上げなければなりません。差し出さなければ白蛇の怒りにふれ大嵐大洪水などにより農作物がとれなくなります。近郊の人々が集まって考えた末、「一つ目のワラ人形」を作って白蛇に差し出しました。白蛇はびっくりして大宝沼から姿を消してしまいました。その後は村々に豊かな稔が続いたとのことです。 -つばめと義家の伝説- 昔、日光の山々に大爆発があり中禅寺湖水が干上がってしまったので、湖の主である龍が住家を失って大宝沼に移り住み、沼縁りの人々や牛馬を手当り次第に食べてしまいました。村人たちは非常に困り、何か良い方法はないものかと悩んでいたところ、武術の達人である源義家が奥州征伐の途次に戦勝祈願の為八幡宮に詣でたので、村人たちは早速龍退治を願いでました。 こころよくこの願いを聞き入れた義家は沼縁に立って剛弓に雁又の矢をつがえ、沼面をはったとにらむと、その武人としての威厳に驚いた龍はあわてて逃げようと空に舞い上がりました。その時、つばめが多数群をなして現れ、龍を助けようと邪魔をしたので、義家の射た矢は龍の尾にあたってしまい、龍は、命からがら逃げ去ったという事です。 大宝の里には平和な日々がおとずれましたが、龍を助けたつばめに対して村人達はたいへん怒って、以後里内には絶対に巣をかけさせません。 尚、龍の尾が落ちた所には今でも「たつの尾」という地名が残っています。
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鷲神社
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
鴻巣鷲の宮にあり、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を祀っています。「昔この地に松の大木があり、その高さは90丈。毎年一羽の大鳥が巣をつくっていた。この鳥が坤(ひつじさる)(西南)の方から白いお札をくわえてきたので、村人が不思議に思って神官に祈祷してもらったところ、武州日鷲の神であった。」という伝説からこの地に鷲神社を創立し、そこから鴻巣(おほとりの巣)の地名が生まれたといわれています。
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雨引観音
茨城県 常総・結城・桜川
- 神社・仏閣
茨城県桜川市にある真言宗豊山派の寺院。雨引山楽法寺とも。坂東三十三観音霊場の第24番札所、ならびに東国花の寺百ヶ寺茨城6番札所として参拝客を集める。安産・子育てや厄除け延命にご利益があるとされ、お守りや腹帯(コルセット)などが販売されている。桜や牡丹、あじさい、紅葉などが楽しめる“花寺”としても有名。境内にはレストラン「薬膳中華茶坊 三笠」もあり、有名ホテルの元料理長が腕を振るう薬膳中国料理を味わえる。
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大杉神社
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 神社・仏閣
茨城県稲敷市阿波(あば)にある神社。関東はじめ東日本に広く分布する「大杉神社」の総本社である。豪奢な社殿群を備えることから「茨城の日光東照宮」とも称される。神社および境内の巨大な杉は「あんばさま」と呼ばれ、悪魔祓いや夢結びに多く祈祷される。境内には末社・勝馬神社(馬櫪社)もあり、神社から日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンターが近いことなどから競馬関係者や競馬ファンが多く参拝に訪れる。
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水戸東照宮
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
水戸東照宮は水戸藩初代藩主の徳川頼房が父である徳川家康を祀るため創建した神社。創建当初からの建物は戦災により焼失し、1962年に再建された。水戸藩の厚い尊崇を受けた東照宮には、頼房が家康から譲られた「太刀 則包作」や家康が所有していたとされる「総毛引紅糸李胴丸具足」、36人の優れた歌人を描いた「三十六歌仙扁額」、家康の三十三回忌に頼房が奉納した青銅灯篭などがある。例大祭は4月、夏まつりは7月に挙行され、行事の際には多くの参拝客が訪れる。
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水戸八幡宮
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
茨城県水戸市にある神社で、正式名所は「八幡宮」。本殿は安土桃山時代の荘厳華麗な姿で現存し、国の指定重要文化財に指定されている。古来より農・工・商の神、子育て・戌亥年生まれの守護神として信仰されている。ほかに学業成就、交通安全、厄除け、縁結びなどにご利益があるとされている。樹齢800年、葉の先に実を結ぶオハツキイチョウは国指定天然記念物。またアジサイの名所としても知られ、多くの人に親しまれている。
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常磐神社
茨城県 水戸・笠間
- 神社・仏閣
茨城県水戸市にある徳川光圀と徳川斉昭が祀られている神社。明治に建てられ歴史は新しい。商売繁盛、交通安全、学業成就などにご利益があるとされている。「義烈館」という徳川光圀と徳川斉昭にちなんだ資料館があり、斉昭が作ったとされる日本一の陣太鼓や太極砲(大砲)など貴重な展示物が多く所蔵されている。偕楽園に隣接しているため交通アクセスが良く、眺めが絶景で初詣には県内外から多くの人が訪れる。
茨城県の神社・仏閣探し
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