飯能の城郭 スポット 4選
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腰越城跡
埼玉県 飯能
- 城郭
埼玉県指定史跡腰越城跡は、槻川に三方を囲まれた天然の要害に築かれた戦国時代の典型的な山城で、松山城主上田氏の家老山田伊賀守直定の居城として伝えられています。標高216mを測る本郭からは、東に小川盆地や比企丘陵の山々、西に堂平山・笠山や安戸方面を見渡すことができ、すばらしい眺望が開けています。 城郭は、山頂の本郭を中心に二の郭・西の郭・帯郭など大小様々な17の郭と、竪堀・堀切などから構成されており、巧みに組み合わされた小口のつくりなどが特徴的で、戦国時代の典型的な山城です。
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四ッ山城跡
埼玉県 飯能
- 城郭
「鎌倉街道上道」を望む要所にそびえる四津山に築かれた中世の山城で、増田四郎重富の居城とも伝えられています。 長享2年(1488年)と明応3年(1494年)の二度にわたり、山内・扇谷上杉氏により山麓の高見原合戦が行われました。
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青山城跡
埼玉県 飯能
- 城郭
別名「割谷城」とも呼ばれる中世の山城跡です。戦国期には松山城の支城として、腰越城とともに上田氏の要害として機能していたものと思われます。
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国指定史跡「比企城館跡群 松山城跡」
埼玉県 飯能
- 城郭
松山城跡は、比企丘陵の先端に築かれた北武蔵地方屈指の平山城。平成20年に、国指定であった菅谷館跡(嵐山町)に、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに加わり、比企城館跡群として国指定史跡となる。城の周囲は市野川が形成した低湿地帯が広がり天然の要害を形成している。現状の城の縄張りは、後北条氏による大改修によって形成されたものと思われ、本曲輪を初め多くの平場や空掘などが大変良好な状態で残っている。「鎌倉大草紙」には、応永23年の鎌倉六本松の合戦において「松山城主上田上野介討死」とあることから、応永年間(1394〜1428)には松山城は存在していたと推定される。しかしながら、この頃の文献資料は極めて乏しく詳細なことは不明である。歴史的には、室町幕府の要職にあった公方足利氏、扇谷・山内両上杉氏が衰退し、戦国大名の代表とされる後北条氏が興隆する時期からその名を中世史に登場させたと言える。 天文年間(1532〜1555)以降の文献資料は豊富で、その中には、扇谷・山内両上杉氏、後北条氏、甲斐の武田氏、越後上杉氏の名も見られる。特に、天文6年(1537年)に小田原の北条氏綱が江戸城・川越城を落とし松山城を攻めたことは有名である。その後も後北条・越後上杉などによる度重なる合戦によって支配者が頻繁に変わったが、後北条勢力下の上田氏の支配下にあることが多かった。松山城をめぐる攻防は大変激しく、ここが北武蔵地域の要所であったことが伺える。天正18年(1590)、豊臣秀吉による関東攻略の際、前田利家・上杉景勝などの軍勢が攻め落とし、小田原に本拠を構えた後北条氏は滅亡した。その後、徳川家康が関東に入り松平家広を松山城主としたが、弟の松平忠頼のときに浜松に移封され慶長6年(1601)に廃城となった。
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