奥州市の史跡 スポット 12選
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胆沢城跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
胆沢城は、坂上田村麻呂がアテルイ軍を押さえ込み、この地を平定するために約1200年前に造営した古代城です。現在、城跡には田畑が広がっています。
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豊田館跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
奥州藤原文化を築いた清衡の居舘があった場所。もともとは父・清衡がら築いたもので30年間住んだと言われている。
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人首城跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
明治維新まで伊達藩北辺の要害、河東碧悟桐の句碑がある
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藤原氏御館跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
平安時代末期、藤原清衡の居住した砦館の跡と伝えられる。その後,鎌倉時代に、葛西氏の一族千葉胤道が築いたという山城で、南北朝以後は葛西氏支族の江刺氏が本拠とした。近世には仙台藩領となり、伊達氏の家臣岩城氏が南部藩の境界を守った。八幡神社が鎮座する山頂部の本丸跡や堀、空堀、土塁などが残る。
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五位塚墳丘群
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
「前九年の役」で敗れた藤原経清の墓と伝えられている。
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益沢院跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
豊田館時代清衡祈祷寺、金銀字写経の中心工房ともいわれています。前九年・後三年のにがい経験から豊田館から平泉に移った清衡が理想の楽土を願い、中尊寺の造営にかかりました。その一大事業のひとつに、金泥行・銀泥行が交互に来る金銀字交書一切経(高野山所蔵・国宝・現存4,300巻)の写経事業がありました。五千巻を越えるこの写経の中で、その写経の場所を明示しているのは、この益沢院一つだけで、この寺が特別な意味を持っていたことを示すものです。
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明後沢古瓦出土地
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
平安時代初期の瓦が多数出土している。また岩手県の史跡に指定されている。
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白鳥舘遺跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
世界遺産候補地「白鳥舘遺跡」は前九年合戦で源義家と戦った安倍頼時の八男・白鳥八郎則任の居城と伝えられています。平安時代から中世末期までおよそ600年にわたり北上川の要衝地として利用された遺跡です。
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角塚古墳
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
本州最北端の前方後円墳として、1985年に国指定史跡になった古墳が、角塚古墳です。
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安倍館跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
安倍頼良(頼時)の祖父忠頼、父忠良、そして頼良の三代の居館であったが、頼良の代に衣川の東端部の通称川西、川東地区に移ったと伝えられる。またこの安倍館は東郭と西郭があり現在は西郭のみを安倍館と呼んでいるが、居住地区は東郭であり昭和初期まではその面影を留めていた。西郭の形状から舞鶴館とも呼ばれ、また両郭が北股川と南股川の合流点にあったことから落合館とも称された。
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長者ヶ原廃寺跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
昭和32年岩手県指定の史跡となってから長者ヶ原廃寺跡と称されているが、通称金売吉次、三条吉次季春の屋敷跡と伝えられてきた。南を正面とするほぼ方形の土塁で区画されており、昭和33年と47年の2回にわたる発掘調査によって、南門跡、本堂跡、西方塔跡が確認され、安倍氏時代の重要な寺院跡と考えられている。
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接待館跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
接待館遺跡(せったいだていせき)は中尊寺から衣川をへだてた北側に位置します。堀跡や溝跡からは、かわらけが一括して捨てられたような状況で大量に出土していることから、平泉と同様の宴会儀礼あるいは宗教的な儀式が行われていたと考えられます。
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