飯能の史跡 スポット 17選
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杉山城跡
埼玉県 飯能
- 史跡
戦国時代の山城で、約14万平方メートルという狭い範囲の中で、高低差を利用しながらおよそ10の郭を配置した縄張りです。本郭を中心に3方向へ郭を広げていきますが、塁線には折歪(おりひずみ)とよばれる敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口(郭の出入口)にはほぼ例外なく進入方向の側面から矢を射掛ける横矢が仕掛けられる等の防御施設が各所に見られます。 高度な築城技術が高く評価され、「築城の教科書」、「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と評されており、平成29年4月6日に「続日本百名城」に選定されました。
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吉見百穴
埼玉県 飯能
- 史跡
古墳時代後期〜終末期に造られた横穴墓群で、大正12年3月7日に国の史跡に指定されています。現在は219基の穴が確認されています。吉見町を代表する史跡であり、各横穴は、玄室・羨道の2部分からなり玄室は広さが4〜6平方m内外、8つの形式がとられ棺座をもつものが多い。その一部にヒカリゴケが自生している。 ◎ヒカリゴケ・・・穴の一部に自生(天然記念物) ◎地下軍需工場跡地・・・埼玉県クールスポット100選にも選ばれ、夏でもヒンヤリ15℃。多くのドラマ、ミュージックビデオなどの撮影にも使われ、知らずのうちに目にしていることもあるかもしれません。
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笛吹峠
埼玉県 飯能
- 史跡
町指定史跡。嵐山町と鳩山町の間にある峠で、1352(観応3)年後醍醐天皇に味方していた新田氏と足利尊氏の争いである「武蔵野合戦」において、「笛吹峠の戦い」があった場所。桜の時期には峠の頂上までの間が桜のトンネルになる。
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割岩橋(ライトアップ)
埼玉県 飯能
- 史跡
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赤沼古代瓦窯跡
埼玉県 飯能
- 史跡
武蔵国分寺建立に献納した瓦を焼いた跡。煙出し口とタキ口が残存。
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松山城跡
埼玉県 飯能
- 史跡
本格的な築城は応永6年(1399)と見られる。築城者は大河原安戸城主の上田友直。「松山城風流歌合戦」ののち,武蔵における後北条氏の拠点となり,永禄年間に上杉謙信に攻略され,これを氏康が奪還,さらに小田原合戦で落城,慶長6年(1601)に廃城となった。中世以来の古城にしては城址はよく保存されている。現在丘の頂上に城跡の碑が立ち,土塁・空堀などが残る。平成20年3月に比企城館跡群の一つとして国指定史跡となった。
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黒岩横穴墓群
埼玉県 飯能
- 史跡
古墳時代後期〜終末期に造られたと考えられていますが詳細は不明です。現在では、30数基の横穴の存在が確認されていますが、この一帯の斜面には多数の横穴墓が埋蔵されており、その総数は吉見百穴を超える500基以上と推定されています。 【俗称“十六穴”。吉見百穴調査の端緒となった横穴墓】
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仙覚律師遺跡(万葉の碑)
埼玉県 飯能
- 史跡
仙覚は建仁3年(1203年)常陸国(茨城県)に生まれ、天台宗の僧侶で万葉集研究の先駆けとして知られています。寛元4年(1246)、仙覚は源親行の書写本を底本に万葉集の読み方のわからなくなっていた152首を読めるようにしました。建長5年(1253年)後嵯峨上皇に奉献したところ、上皇は喜んで仙覚の歌1首を続古今和歌集に載せたといいます。文永6年(1269)に本格的な万葉集の註釈本として学問的価値の高い「萬葉集註釈」全10巻を完成させました。 そして、この画期的な大業績を成し遂げた場所が小川町であると言われています。 なお、この石碑は昭和3年4月、仙覚律師保存会によって建てられました。撰文は国文学者で、万葉集研究者の第一人者である佐々木信綱、書は岡山高蔭です。また、この旧跡のある地は、中世の城跡「中城跡」でもあります。周囲に土塁が残され、かすかに当時の様子を偲ばせます。
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穴八幡古墳
埼玉県 飯能
- 史跡
石室は,横穴式石室で中を観察できる。石室の構造,石組み技術等を知るうえで価値の高い古墳。周囲に方形に廻る二重の堀を構え、一辺は28.2m、高さ5.6mを測る大型の方墳です。横穴式石室は全長8.2mで、保存状態も良く小川に産する緑泥石片岩を使用しています。古墳時代末期、7世紀後半頃に造られたと考えられています。
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稲荷塚古墳
埼玉県 飯能
- 史跡
町指定史跡。かつて古墳の上に稲荷社があったことから稲荷塚の名称がついた。
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大谷瓦窯跡
埼玉県 飯能
- 史跡
奈良時代末から平安初期の瓦焼窯の跡。
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大蔵館跡
埼玉県 飯能
- 史跡
向徳寺の南西約400m。源頼朝の叔父の源義賢はこの大蔵館で甥の悪源太義平のために襲撃され戦死したが、現在もりっぱな土塁、空濠をめぐらした大蔵館が史跡として残っている。県の史跡に指定されている。
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菅谷館跡
埼玉県 飯能
- 史跡
国指定の遺跡で,平成29年4月6日に「続日本百名城」に選定されました。武蔵嵐山駅の南西約1km、槻川と都幾川の合流点北側の河岸段丘上にあり、鎌倉時代の初期、この地を本拠とした畠山重忠の築城といわれています。地形的には,東西を深い谷によってさえぎられ、北側だけが台地に連なっていて武将の館として恵まれた条件を備えています。面積は約122,000平方m。現存する土塁や空堀などが、戦国時代をしのばせてくれます。 ◎畠山重忠(1164-1205)父が平氏に従っていたため、1180(治承4)石橋山の戦には平氏方についたが、のち源頼朝に従う。奥州征伐に先陣として活躍するなど軍功多く、鎌倉武士の模範とされたが、嫡子重保と平賀朝雅との争いが原因で、北条義時の軍と相模国二俣川で戦い、戦死した。(国指定史跡)
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山吹の里歴史公園
埼玉県 飯能
- 史跡
若き日の太田道灌が鷹狩りの途中でにわか雨に遭い、蓑を借りようとして立ち寄った地として伝えられています。
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女影ケ原古戦場
埼玉県 飯能
- 史跡
交通の要路にあたり,建武二年の北条時行軍と足利直義軍との合戦場。
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高麗村石器時代住居跡
埼玉県 飯能
- 史跡
縄文時代中期の遺跡・竪穴住居跡。
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雷電塚古墳
埼玉県 飯能
- 史跡
全長約50mを測る市内最大の前方後円墳。周辺に陪塚が確認されている。
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