松山・道後の史跡 ランキング
松山・道後の史跡 スポット 12選
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梅津寺駅
愛媛県 松山・道後
- 史跡
愛媛県松山市にある駅。1991年に大ヒットしたテレビドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地になった駅で、聖地巡礼で訪れる人も多い。ホームの柵を挟んですぐ真下に砂浜があり、改札を出てすぐ砂浜に降りることができる。
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坊っちゃんスタジアム
愛媛県 松山・道後
- 史跡
愛媛県松山市の松山中央公園内にある野球場の愛称。正式には「松山中央公園野球場」といい、同じ公園内には「松山中央公園サブ野球場」として「マドンナスタジアム」も存在する。いずれも松山出身の夏目漱石『坊っちゃん』にちなむ。球場内には同じく松山出身の正岡子規の雅号にちなむ野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」も併設。
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上黒岩岩陰遺跡
愛媛県 松山・道後
- 史跡
約1万4千年前の、縄文草創期から後期にかけての人類遺跡。隣接する考古館では、日本で初めて出土した大変貴重な信仰の対象であるといわれる女神石や装身具、人骨などが展示されている。
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大下田古墳群
愛媛県 松山・道後
- 史跡
両そで式横穴古墳で,出土品の「子持台付壷」は国立歴史民俗博物館に収蔵されている。
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湯築城跡
愛媛県 松山・道後
- 史跡
伊予の名族河野氏が十三代、二百五十余年栄えた湯築城の古城址の築城は建武年間(1334-35)香川対馬守通治によるとされる。天正13年(1585)秀吉の四国平定の命をうけた小早川隆景三万余騎の前に落城、隆景の築前(福岡県)名島転封後、福島正則が入城した。しかし正則もまた転封となり、廃城となった。慶長7年(1602)加藤嘉明の松山城築城に際し、礎石などが運び去られ、荒城と化した。現在は動物園や花の公園として散策に最適。◎河野通盛(?-1363)南北朝時代の河野家当主。伊予の宮方を制圧、足利尊氏より守護に任ぜら
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泰の山城跡
愛媛県 松山・道後
- 史跡
忽那水軍の居城跡。
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難波奥の谷古墳
愛媛県 松山・道後
- 史跡
古墳時代後期,横穴式としては県下で最大。
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横山城跡
愛媛県 松山・道後
- 史跡
河野通武の築城。戦国時代の城郭建築研究上貴重。
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庄の薬師堂
愛媛県 松山・道後
- 史跡
この堂安置の仏像中,国指定の重要文化財で,愛媛県最古の菩薩立像2体が発見された。
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市場かわらがはな古代窯跡群
愛媛県 松山・道後
- 史跡
自然の傾斜地を利用した全長7メートルの登り窯(かま)で3基ある。それぞれに燃焼部・焼成部・煙道部があり、燃焼部は150センチメートル、幅130センチメートル、天井までの高さ150センチメートルである。 焼成部は42〜48度の傾斜に8〜13段の階段がつけられ、段の長さは1号窯では1段目が150センチメートル、8段目が80センチメートルの隧道(ずいどう)型をしており、窯の内部高は80センチメートル、窯尻は50センチメートルとなっている。 8世紀中頃のものと推定される重孤文の軒先瓦が出土した。
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伊予岡古墳
愛媛県 松山・道後
- 史跡
伊豫岡八幡神社境内に分布する10基からなる古墳群である。 うち南西部の1基は「月陵(つきのみささぎ)」と呼ばれている。「月陵」とその南西部に接して分布している古墳は、ともに古くから前方後円墳と言われているが、正式な調査が行われていないため断言できない。2基とも主体部は盗掘されている。 このほか、墳丘の一部がかろうじて残るもの3基、半壊のもの3基、ほぼ原形に近いものが3基ある。前方後円墳といわれる古墳の内部主体は不明であるが、他は横穴式石室を内部主体とする円墳である。時期は古墳時代後期であるが、中期古墳も含まれている可能性がある。 古墳が1か所にこれだけまとまっているのは県下でも類例が少なく貴重である。
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古照遺跡(松山市考古館内)
愛媛県 松山・道後
- 史跡
河川敷の近くにある。1800年前の(しらがみ)遺溝。現在は松山市考古館へ遺溝を展示。
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