岩手県の史跡 ランキング
岩手県の史跡 スポット 20選
-
五百羅漢
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
五百羅漢は1731年から4年をかけて彫られ、報恩寺に安置されている。像の中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハンの姿とされるものがある。現存しているものは400体で、すべて木彫りということもあり全国的にも珍しいスポットになっている。厳粛に見学することがルールになっており、写真撮影は可能だが三脚を使っての撮影は禁止されている。大慈寺の義山和尚が大飢饉による犠牲者を供養するために彫ったのが最初とされる。
-
毛越寺
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営した。当時の堂宇は全て消失してしまったが、堂宇や庭園の移籍が良好な状態で残された。境内に広がる大泉ヶ池は、修復整備され平安時代の浄土庭園の素晴らしさを今に伝えている。境内が特別史跡と特別名称の二重指定を受けている。 平成23(2011)年6月、世界文化遺産登録。
-
長者ヶ原廃寺跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
昭和32年岩手県指定の史跡となってから長者ヶ原廃寺跡と称されているが、通称金売吉次、三条吉次季春の屋敷跡と伝えられてきた。南を正面とするほぼ方形の土塁で区画されており、昭和33年と47年の2回にわたる発掘調査によって、南門跡、本堂跡、西方塔跡が確認され、安倍氏時代の重要な寺院跡と考えられている。
-
金鶏山
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する円すい状の山。頂上には経塚があり「平泉を守るため黄金の鶏を埋めた」「北上川まで人夫を並べ、一晩で築いた山」などの伝説が残っています。松尾芭蕉が『奥の細道』の中で「秀衡が跡は田野となりて、金鶏山のみ形をのこす」と記した、数々の伝説に彩られた山です。 平成23(2011)年6月、世界文化遺産登録。
-
柳之御所遺跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
遺跡は、奥州藤原氏時代の政庁「平泉館」の跡と想定されている。たくさんの建物跡とともに、当時の生活遺物が種類・量とも豊富に出土している。遺跡の修復整備が進められており、史跡公園として開放されている。
-
高館(義経堂)
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
高館は中尊寺の東方にある丘陵で、判官館とも呼ばれています。源義経公最期の地と言われる高館には義経堂が達ち、弁慶が立ち往生した衣川が望まれ、眼下には北上川が静かに流れています。
-
無量光院跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
三代秀衡公が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡。調査の結果、阿弥陀堂の柱間や翼廊の左右が鳳凰堂より大きく、平等院を超えようとした意欲が感じられます。建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その陵線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした、浄土庭園の最高傑作といわれています。 平成23(2011)年6月、世界文化遺産登録。
-
観自在王院跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
二代基衡公の妻が建立したと伝えられる寺院跡。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構で建物は失われてしまったが、浄土庭園の「舞鶴が池」を中心に遺跡が修復整備されており、境内全体が史跡公園として開放されている。 平成23(2011)年6月、世界文化遺産登録。
-
接待館跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
接待館遺跡(せったいだていせき)は中尊寺から衣川をへだてた北側に位置します。堀跡や溝跡からは、かわらけが一括して捨てられたような状況で大量に出土していることから、平泉と同様の宴会儀礼あるいは宗教的な儀式が行われていたと考えられます。
-
好地旧一里塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
「奥州街道」改修前の一里塚。
-
安倍館跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
安倍頼良(頼時)の祖父忠頼、父忠良、そして頼良の三代の居館であったが、頼良の代に衣川の東端部の通称川西、川東地区に移ったと伝えられる。またこの安倍館は東郭と西郭があり現在は西郭のみを安倍館と呼んでいるが、居住地区は東郭であり昭和初期まではその面影を留めていた。西郭の形状から舞鶴館とも呼ばれ、また両郭が北股川と南股川の合流点にあったことから落合館とも称された。
-
角塚古墳
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
本州最北端の前方後円墳として、1985年に国指定史跡になった古墳が、角塚古墳です。
-
白鳥舘遺跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
世界遺産候補地「白鳥舘遺跡」は前九年合戦で源義家と戦った安倍頼時の八男・白鳥八郎則任の居城と伝えられています。平安時代から中世末期までおよそ600年にわたり北上川の要衝地として利用された遺跡です。
-
明後沢古瓦出土地
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
平安時代初期の瓦が多数出土している。また岩手県の史跡に指定されている。
-
国指定史跡南部領伊達領境塚
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
伊達領,南部領の藩境をめぐる論争が50年続いた後、寛永18年駒ケ岳から現在の釜石市唐丹まで,約130kmが領境に決まり、翌年駒ヶ岳の駒堂を起点に塚が築かれました。
-
国指定史跡鳥海柵跡
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
奥六郡を支配した豪族・安倍氏の柵(拠点)の一つ。安倍氏と鎮守府将軍源頼義が争った『前九年合戦』について記録した『陸奥話記』に登場する。鎌倉幕府の記録書『吾妻鏡』では鳥海三郎宗任(安倍氏当主・頼良の三男)の柵とされる。 軍事・居住・工房・政治等の機能を持ち、胆沢城と隣接する地にあることから安倍氏12柵の中でも最重要拠点であると考えられる。 安倍宗任は奥州藤原氏初代清衡の叔父で、娘は二代基衡の妻で、三代秀衡の母親である。平泉文化の礎となる史跡である。
-
丹内山神社経塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
北宋の花びんや,中国古銭など貴重な出土品が発見された。
-
新堀城跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
新仙寺の上方。稗貫氏の一族であった新堀氏の居城であった。奥州仕置き(1590年)の後、江刺市の居城となる。階段状の構築の後、空堀等、山城としての当時の形態が残っている。
-
徳丹城跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
徳丹城は、西暦812年(弘仁3年)頃、時の征夷将軍文室綿麻呂によって造られた律令制最後の城柵で、長年、徳丹城は志波城が水害に遭ったため廃止を余儀なくされ移した城柵と捉えられてきた。しかし、徳丹城は志波城の水害により場当たり的に造られたのではなく、一連の計画の下で造られた城柵であると近年考えられている。また、その規模・構造から志波城とは性格の異なった融和政策の下での行政的な様相を有する。38年間にも及ぶ蝦夷との戦いが終わり、征夷から鎮守へと政策が切り替わる転換点ともいえる城柵である。
-
戊辰の役石浜古戦場
岩手県 三陸海岸
- 史跡
岩手県の史跡探し
岩手県で体験できる史跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、岩手県にて史跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの岩手県で史跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。