山口県の史跡 スポット 20選
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御山神社経塚
山口県 萩・長門
- 史跡
御山神社経塚は阿武町惣郷にある経塚。 築造は12世紀ごろと推定されています。 経塚は、永く後世に伝えるため経典を経筒などに入れて地中に納め、塚を築いたもので、この経塚は、御山神社社務所横の土中より発見されました。
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白鳥古墳 付陪塚及び周濠
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
熊毛郡平生町にある白鳥古墳は、古墳時代中期の前方後円墳。 規模は、全長120m、後円部の 径64m、高さ 11m、前方部の径60m、高さ8.5mで、山口・広島地域で最大といわれています。 塚の上を覆った葺石が全面に見られ、円筒埴輪が立ち、陪塚(大きな古墳に近接した近親者や従者を葬ったといわれている小さな古墳)があります。 この古墳がある丘の東側の部分には、幅20.8m、深さ2.1mの周濠(周りのからぼり)があり、この周壕を含む約8,000?の地域が県の史跡に指定されています。 なお、この古墳からは
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恵美須ケ鼻造船所跡
山口県 萩・長門
- 史跡
1853(嘉永6)年、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請しました。 1856(安政3)年、萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、幕府が西洋式帆船の君沢型(スクーナー船)を製造した伊豆戸田村に船大工棟梁の尾崎小右衛門を派遣します。尾崎は戸田村でスクーナー船建造にあたった高崎伝蔵らとともに萩に帰り、近海を視察、小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定しました。 同年12月には萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」が、また1860(万延元)年には2
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関見台公園(串崎城跡)
山口県 下関・宇部
- 史跡
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綾羅木郷遺跡
山口県 下関・宇部
- 史跡
綾羅木郷遺跡は、本州西端の響灘に面する地域にあり、北九州とともに弥生時代の中心地域でした。 発掘調査により、竪穴住居跡や袋状竪穴群が発見されています。 また、遺物として、弥生時代前期前半の土器や多くの石器などが発見されています。
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長門鋳銭所跡
山口県 下関・宇部
- 史跡
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。 長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708〜715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口などが出土しており、これも長門国鋳銭遺物として国の重要文化財に指定されています。 天長2年(825)に廃止となりました。
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壇ノ浦古戦場跡
山口県 下関・宇部
- 史跡
源平の合戦場跡で、寿永4年(1185)源氏と平家の最後の戦いとなった壇ノ浦合戦の跡。 二位尼に抱かれた安徳天皇はわずか8歳にして壇ノ浦の海へ入水し、平家は滅亡しました。この後、源氏は鎌倉幕府を開き、江戸時代まで続く武家社会を始めます。 古戦場を眼前に臨む、みもすそ川公園内には源義経・平知盛両雄の像とともに、像の除幕式に参加された滝沢秀明さん(NHK大河ドラマ義経役)中越典子さん(同 建礼門院役)の手形などが設置されています。
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七盛塚
山口県 下関・宇部
- 史跡
言い伝えでは源平壇之浦の合戦で平家が滅亡して以来、関門海峡で海難事故が頻発し、平家の怨霊が騒ぎ出したためと恐れられていました。 下関近辺に散在していた平家の墓標をこの地に集約して1600年ごろに建てられた、平家一門の供養碑で、赤間神宮境内にあります。
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宮山古墳
山口県 下関・宇部
- 史跡
●管理・申込 生野神社
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有富古墳
山口県 下関・宇部
- 史跡
綾羅木川を中心として広がる沖積層平野の北側丘陵には多くの遺跡が残っています。有富古墳は、この丘陵地の北東に接する山のすそに位置し、明治32年(1899)の調査の際、有富古墳群として5基の円形墳が発見されましたが、現在では2基を残して他は消滅しています。 直径12mの円墳で横穴石室をもち、玄室は胴張りがほとんどなく、石材は小さいものを使用しています。下関市内でも、最も形の整った円墳です。
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秋根一号古墳
山口県 下関・宇部
- 史跡
秋根神社の境内にある6世紀中頃の円形墳で、墳丘が削られ、石室の一部が露出しています。石室は横穴式石室で、奥室と前室が あり、室壁はほとんどが礫岩で一部に花崗岩が使われています。さらに石室全体は、天井部に近いほど小石を積み上げドーム状になっています。奥壁と側壁奥より部分には、ベンガラと思われる赤色の顔料が塗られており、特に奥壁の下半分の色はよく残っています。天井石は、奥壁と玄門側の両方から順に置き、奥から2枚目の石を最後にのせています。
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和久1号古墳
山口県 下関・宇部
- 史跡
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梶栗浜遺跡
山口県 下関・宇部
- 史跡
梶栗浜遺跡は、下関市安岡梶栗浜にある弥生時代の墓地遺跡。 発掘調査により、ここから鏡、銅剣、土器などの遺物が出土したが、そのうちの青銅器は、我が国の遺跡から発見された例が少ない朝鮮古代のものであることがわかっています。 出土品は、下関市立考古博物館に保管されています。
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仁馬山古墳
山口県 下関・宇部
- 史跡
仁馬山古墳は、全長74mの前方後円墳です。後円部は直径46m、3段築成で、ほぼ原形を保っています。 下関市街の北方、響灘に注ぐ綾羅木川右岸の台地上にあり、台地の南縁に沿って前方部を西に向けた長門地方最大の前方後円墳です。
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高杉晋作終焉の地
山口県 下関・宇部
- 史跡
病をおして小倉口の戦いを指揮した高杉晋作が、慶応3年(1867)4月、27歳8カ月の短くも激しい生涯を閉じた場所です。辞世の「おもしろきこともなき世をおもしろく…」は、晋作の人生観とその凝縮された生涯が見事に表された句としてよく知られています。
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七卿潜居の間
山口県 下関・宇部
- 史跡
幕末の政変で都落ちした三条実美卿等5人の公卿が潜居したところで、仏殿が国宝に指定されている功山寺の境内にあります。
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平家の一杯水
山口県 下関・宇部
- 史跡
「壇ノ浦の戦いで深手を負い、命からがら岸に泳ぎ着いた平家の武将が水溜りを見つけ、飲んでみると真水だった。が、もう一口飲もうとしたら塩水になっており、その場で力尽きた」という伝説が残っているところです。 碑の近くの渚に湧き出る清水には祠が建てられ、今も元旦の若水として赤間神宮の神前に供えられます。
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霜降城跡
山口県 下関・宇部
- 史跡
宇部市街の北約8km、厚東川左岸にある霜降ケ岳にあり、治承3年(1179)頃、厚東氏7代武光が築城したといわれています。 県内最大の規模をもつ山城です。
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陶陶窯跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。 この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。 現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られるところがあります。 平成5年度に窯跡の南側を発掘調査した結果、全長約6mの窯であることがわかりました。
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周防鋳銭司跡
山口県 山口・秋芳
- 史跡
最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。 9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。
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