東北の史跡 ランキング
東北の史跡 スポット 20選
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伊勢堂岱遺跡
秋田県 十和田湖・大館・鹿角
- 史跡
伊勢堂岱遺跡は標高40〜45mの台地上に位置する、縄文時代後期後半(約4000年前)の大規模な祭祀場です。平成7年度に、大館能代空港のアクセス道路建設に先立つ発掘調査で発見され、環状列石や配石遺構、堀立柱建物跡、土壙墓、捨て場など、多くの祭り・祈りの施設が見つかっています。遺存状態がよく学術的価値が高いことから、平成13年に国の史跡に指定されました。
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七倉城址
秋田県 十和田湖・大館・鹿角
- 史跡
「秋田風土記」により、加成三七氏の居城があった場所とされ、行政上、軍事上の最良の地であったと思われる。小阿仁川流域を見通すことができる。現在の七倉神社が主郭と思われる。
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不動羅遺跡
秋田県 十和田湖・大館・鹿角
- 史跡
縄文時代中期の集落跡で、縦穴住居跡や炉跡、石器等が発見されている。 現在、復元した竪穴住居はありません。
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房住山三十三観音
秋田県 白神・男鹿
- 史跡
江戸時代末期地元の人々の勧進により房住山峰一円に三十三観音を建立。冬期積雪のため参拝不可。
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芦ノ牧温泉駅
福島県 会津
- 史跡
福島県会津若松市にある会津鉄道会津線の駅。駅舎の隣には、会津鉄道がトロッコ鉄砂に使用していた「AT301」が保存されており、週末を中心に無料休憩所として開放されている。会津線運転シミュレーターや会津鉄道神社もあり、鉄道の聖地とされている。猫が駅長を務める駅としても有名で、猫駅長をあしらったグッズも販売されている。
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赤沼
青森県 弘前
- 史跡
沼の水が赤く濁れば異変がおこるといわれ民間信仰の場とされた。
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長井駅
山形県 米沢・置賜
- 史跡
山形県長井市にある駅。改札口はなく、ホームに自由に出入りすることができる。側線には保線用モーターカーの車庫があり、隣接して旧貨物ホームが残っている。駅舎内部には旅行センターや待合室、ギャラリーが設けられており、旅行センターでは硬券乗車券や入場券、回数券や定期券などを取り扱っている。
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尻屋崎灯台
青森県 下北・三沢
- 史跡
青森県下北郡、尻屋崎の先端に位置する白亜の灯台。「日本の灯台の父」といわれるブラントンが建設したもので1846年に点灯開始。日本の灯台50選にも選出されている。登ることができるのが特徴で、レンガ造りのものの中では日本一の高さを誇る。津軽海峡・太平洋を一望でき、特に夕陽が沈む姿は美しいと人気。冬季は見学休止。
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アキウ舎
宮城県 仙台
- 史跡
秋保温泉で知られる太白区の秋保地区にある、古民家や開放的な庭園のガーデン席を自由に楽しむ体験型レストラン。里山に囲まれた温泉地に佇む築150年超の古民家をリノベーションしたカフェレストランで、秋保を中心に宮城の食材をふんだんに使用したフードメニューやスイーツメニューを提供する。地域事業者とコラボしたツアーやイベントなどの企画を各種開催するなど、ツーリズムの拠点施設としての性格も併せ持つ。
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五百羅漢
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
五百羅漢は1731年から4年をかけて彫られ、報恩寺に安置されている。像の中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハンの姿とされるものがある。現存しているものは400体で、すべて木彫りということもあり全国的にも珍しいスポットになっている。厳粛に見学することがルールになっており、写真撮影は可能だが三脚を使っての撮影は禁止されている。大慈寺の義山和尚が大飢饉による犠牲者を供養するために彫ったのが最初とされる。
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毛越寺
岩手県 奥州・平泉・一関
- 史跡
奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営した。当時の堂宇は全て消失してしまったが、堂宇や庭園の移籍が良好な状態で残された。境内に広がる大泉ヶ池は、修復整備され平安時代の浄土庭園の素晴らしさを今に伝えている。境内が特別史跡と特別名称の二重指定を受けている。 平成23(2011)年6月、世界文化遺産登録。
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飯盛山
福島県 会津
- 史跡
福島県会津若松市街から東に2kmに位置する山。標高314mの頂上には、約1650年から1700年前につくられた前方後円墳や、隠れキリシタンの祠、幕末の時代に生きた会津藩の青年部隊・白虎隊十九士、各地で戦死した三十一士の霊が眠る。会津さざえ堂・宇賀神堂・厳島神社といった史跡名所が多数点在。山頂まではスロープコンベアが整備され、183段の石段を登らなくても楽にアクセスできる。山麓にはNHK大河ドラマ「八重の桜」でお馴染みの石部桜がある。
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久保田城跡
秋田県 秋田
- 史跡
久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。 築城は慶長八年(1603)五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破却されました。 しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永八年(1631)頃といわれています。 久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。 天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられています 現在、久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場として、また、桜の名所としても親しまれています。
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史跡根城の広場
青森県 八戸
- 史跡
根城は建武元年(1334年)に南部師行により築城されたと伝えられる城跡で、発掘調査をもとに安土桃山時代の建物が復元されている。建物内は南部家文書や出土遺物を手がかりに、当時の生活の一場面を再現している。
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是川遺跡
青森県 八戸
- 史跡
出土品は繩文後期の土器、特殊泥炭層により腐朽をまぬがれた木器で約5,000に及び、現在は「縄文の里」として、遺跡内に是川遺跡文化学習ゾーンを設け、その活用を図っている。重要文化財も多い。
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雪中行軍記念碑
青森県 十和田湖
- 史跡
八甲田雪中行軍の道案内をした、若者7人を称えて、建立された顕彰碑。
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法心塚
青森県 十和田湖
- 史跡
法蓮寺の西方約 500mに位置し、ほんのりと木漏れ日の射す高い丘 の石段を登ると、法身塚がある。 塚には、「法身性西大和尚禅師」と刻まれた卵塔と、「二代道無老和 尚」と刻まれた卵塔がある。その他、近くに多数の塚があり、法身の 弟子と歴代住職の墓所と伝えられている。
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一里塚(一対二基)
青森県 十和田湖
- 史跡
国道4号に沿う伝法寺集落の西 500m地点の奥州街道沿いに位置 しており、現状は雑木林であり、西側の一部が破壊されているものの 保存状態は良好である。 徳川幕府の交通政策の一環でつくられた一里塚がほぼ完全な形で 保存されており、加えて奥州街道の跡も良く保存されており貴重であ る。
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一里塚(一対二基)
青森県 十和田湖
- 史跡
一里塚とは江戸時代、全国の主要街道沿いの一里(約四km)ごとに 築かれた塚である。道をはさんで2基の塚が築かれていることが一般 的で、距離の表示や各種駄賃(運賃や報酬)の目安の役割を果たした ほか、旅人達の休息の場ともなったとされている。 池ノ平の一里塚は、東側の塚が直径 11.5m、高さ 3.6m、西側の塚 が直接が直径 13.2m、高さ 3.4mあり、一部が破壊をうけているもの の、一里塚本来の姿が良く保存されていることから、1961(昭和 36) 年に県の史跡に指定された。 築造年代については諸説あるが、工藤正六家文書に「承応元年 7 月 26 日より 8 月 10 日、七戸川去・豊間内間一里塚築造、奉行工藤重助 祐道」(七戸町史2所収)とあり、1652(承応元)年とする考え方が 示されている。 十和田市内の旧奥州街道沿いには、当一里塚のほかに真登地、一本 木(相坂)、伝法寺にも一里塚が現存しており、往時の奥州街道の様 子を偲ぶことができる。
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一里塚
青森県 十和田湖
- 史跡
一本木の一里塚は奥州街道に伴うもので、南部藩の手により築かれ たとされ、1665(寛文 5)年の三本木村絵図(市指定文化財)には「古 もり」と記載されている。 現在残っているのは1基のみで、旧国道四号を建設する際に破壊さ れたといわれている。 この周辺地域は、一里塚の上に植えられたケヤキの大木に由来して 一本木(いっぽんき)と呼ばれ、現在はこの大木は失われたが、この ケヤキの後継木を育成している。
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