山陰・山陽の旧街道 スポット 20選
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出雲街道
岡山県 津山・美作三湯・蒜山
- 旧街道
出雲街道は、出雲と美作、美作と京阪神を結ぶ地域の主要街道として発展してきました。江戸時代には美作国主・森忠政によって整備が図られ、出雲松江藩主・松平氏の参勤交代の道として、また人や物の物流の道として重要な役割を果たしました。 その道筋は、時代とともに返還したり、今も国道181号線として機能したり、あるいは消失した部分もありますが、各地で大切に守られています。最近は、こうした街道でウォーキングする動きも活発になっています。
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萩往還(萩)
山口県 萩・長門
- 旧街道
萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道。 近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしました。 元々は、室町時代に山口を中心として放射状につくられていた道を、江戸時代になって整備したもの。 関連の遺跡として、涙松跡、悴坂一里塚、御駕籠建場、上長瀬一里塚、逆修石、国境の碑があります。 当時のまま残る宿場町、石畳、峠道など自然の静けさと調和した街道の風情を楽しむことができます
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六軒茶屋跡(萩往還)
山口県 山口・秋芳
- 旧街道
萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道です。 萩往還には旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられていました。その茶屋の中で、萩往還最大の難所、一の坂にあったとされる茶屋が六軒茶屋です。 ここは昔六軒の農家があり、佐々並から山口に家があったのはここだけで、往来の旅人の良い休み場で、軒先を茶店にして旅人をもてなしていたことから六軒茶屋と呼ばれるようになりました。
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萩往還(山口)
山口県 山口・秋芳
- 旧街道
萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道。 近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしました。 元々は、室町時代に山口を中心として放射状につくられていた道を、江戸時代になって整備したもの。 関連の遺跡として、国境の碑、一の坂一里塚、六軒茶屋があります。
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出雲街道
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
町を南北に走る街道は、瀬戸内と出雲を結ぶ要路として発達した。広島藩は寛永10年(1633年)石見・出雲両街道の広さを7尺(約2.121m)と定め、1里(約3.9km)ごとに土石を積み、目印の松の木を植えた一里塚を設置した。町内には、2カ所の一里塚があった。吉舎よいとこ発見隊によるボランティアガイドあり。(要予約)
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白壁の道(上下町商店街)
広島県 福山・尾道
- 旧街道
福山・三次の中間点に当たる上下は分水嶺である。上下の名は峠の意から出たものとも言われる。江戸時代には、広島藩の浅野氏と福山藩水野氏との所領に分割されていた。府中市上下支所は、代官所跡に建てられており、庭先に「天領陣屋跡」の碑が建っている。大森銀山の銀を大阪に運ぶ中継地としての上下は、陰陽を結ぶ宿場町として発展。宿屋や商店が軒を並べた。町並みを見ると、古風な白壁の土蔵や格子戸造りの家が今も遺存し、往時の盛況を物語っている。古い街道筋には道標も多く残っている。
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光友の石畳
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
赤松の疎林を縫って,1本の石畳道が続く。これは大永2年(1522)津田明神山の城主,金築少輔七郎の家臣,中村宗太郎光重が構築したものとされている。町史跡に指定されされ注目されてきている。
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津和野街道
広島県 広島・宮島
- 旧街道
廿日市市宮内と島根県津和野町を結ぶ約77kmの津和野街道は、参勤交代や公益に利用されていました。所々に、道が削られて痛むのを防ぐために敷いた石畳が今も残っています。
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西国街道・海田市
広島県 広島・宮島
- 旧街道
近世、西国街道の宿場町として栄えたまち、海田。旧千葉家住宅などの文化財や寺社、町家の面影を残した家々もあちこちに。路地に腰をおろし、耳をすませば、遠い日のざわめきが・・・。 江戸時代の町並みを現在にも残し、人気のまち歩きスポットです。 【地域ガイドの案内】 団体名:西国街道・海田市ボランティアガイドの会 毎月第3・第4土曜日に定期ツアーを実施しています。 予約は海田町魅力づくり推進課(電話082-823-9234)まで。
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西国街道
広島県 広島・宮島
- 旧街道
西国街道は江戸時代における山陽道の呼び名で、街通松や一里塚跡、本陣跡などの史跡が今も残っている。
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赤名峠
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
古来から、山陽と山陰を結ぶ交通の難所とされてきた峠。石見大森銀山から銀を運ぶ道としても重要な役割を担った。江戸時代以前の旧出雲街道、明治20年開通の旧国道、昭和39年開通の国道54号と各時代の道路が交差する。 日本百名峠に指定。
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黒瀬街道の常夜燈
広島県 三原・竹原・東広島・呉
- 旧街道
この街道は、賀茂郡府西条(東広島市)と広(呉市)を結ぶ役割を担っていた。その最大の難所が大根坂峠(呉市郷原町)であったが、現在は国道375号線が開設され、峠の下を貫く黒瀬隧道によって瞬く間に通り過ぎることができる。道端には往時の人々の苦労を偲ばせる遺物や地名が残っている。
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志戸坂峠道
岡山県 津山・美作三湯・蒜山
- 旧街道
智頭往来(因幡街道)の始まりは飛鳥時代にさかのぼり、平安時代以降には因幡と畿内を結ぶ主要道として知られ、江戸時代には鳥取池田藩の参勤交代の道として整備されました。その岡山と鳥取の県境の峠として多くの人々が歩いた歴史のある峠がこの志戸坂峠道です。 桜の名所の1つとなっており、4月の中旬頃からが見頃となっています。さらに桜の開花期間中は桜並木の提灯にあかりが灯り、夜の桜も見応え十分となっています。
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旧大山みち
岡山県 津山・美作三湯・蒜山
- 旧街道
昔大山に牛を売買する人々が行きかった道です。かつては沿線に宿場が栄え、今でも町並みや牛をつないでいた石が残っているところもあります。 最近では、地元のガイド組織によるウォークツアーなども開催されています。
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八橋往来
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 旧街道
伯耆国の中心であった倉吉と八橋を結ぶ奈良時代からの街道。かの伊能忠敬もこの街道を実測しており、当時の道筋が200年たった今もなお残っている。国の夢街道モデル地区にも認定された風情ある街道として残っている。
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旧山陽道
岡山県 岡山・玉野・牛窓
- 旧街道
兵庫県との県境船坂峠から吉井川沿いの坂根に至る、約25kmの旧街道で、別名西国街道ともいわれる。江戸と長崎を結ぶ幹線街道の一部分であり、西国大名の参勤交代の際の街道としても重要であった。街道には三石宿・片上宿の2宿が宿場が指定され、本陣・脇本陣が整備されていた。現在は並行して走る国道2号線がその役割を引き継いでいる。
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旧出雲街道
岡山県 津山・美作三湯・蒜山
- 旧街道
江戸時代の出雲街道沿いに栄えた町。随所に当時の面影を残している。 戦前の豪商の邸宅や、藩医の家などが無料で内部を公開している。
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山陰道
島根県 益田・浜田・津和野
- 旧街道
中世の旧街道が県道整備で発掘されました。 津和野町中座地区で現在行っている県道整備に関連し、町教育委員会の調査で発掘した旧街道「山陰道」の石畳がいま注目を集めています。発掘した石畳は、延長150メートルで幅3メートル。石が積み重なり、隙間は土で固められています。 これは中世にできた旧街道の一部で、江戸時代には下関と京都を結び、商工業者の流通道として活用されていました。ここは幕末期には石畳を通って長州藩と津和野藩が交渉し、戦火回避につながった道で、技術面など津和野藩の歴史を検証する重要な資料であることは
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石見銀山街道やなしお道
島根県 出雲・大田・石見銀山
- 旧街道
銀山街道は小松地、別府を通り、旧小松地小学校の東側に向かってなだらかな尾根道にさしかかります。標高およそ280mを約6.5km、当時の面影を最もよく残していると思われるこの道は、地元では「やなしおの道」と呼ばれています。 平成8年に文化庁の「歴史の道百選」に指定され、一部は中国自然歩道としても整備されています。
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石見銀山街道
島根県 出雲・大田・石見銀山
- 旧街道
石見銀山開発初期は、銀山から積出港鞆ケ浦(現在の仁摩町)までを結んだ街道であり、毛利氏が石見国を平定した後は、沖泊(現在の温泉津町)に積出港を移した。銀鉱石や製錬銀のみならず様々な物資を運搬するのに活躍した街道である。後には尾道(広島県)まで続く尾道道が主流となった。
山陰・山陽の旧街道探し
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