岩槻区(さいたま市)の趣味・習い事 スポット 6選
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時の鐘
埼玉県 川越・さいたま
- 歴史的建造物
岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671)当時の岩槻城主阿部正春が渋江口に設置しました。 以来、享保5年(1720)の改鋳を経て、現在に至るまで、毎日、朝夕6時と正午の3回、美しい音色を響かせています。
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遷喬館
埼玉県 川越・さいたま
- 歴史的建造物
寛政11年(1799)に、岩槻藩士の儒学者児玉南柯(こだまなんか)が創設した私塾であり、文化年間に藩校となりました。 儒学を中心に講義が行われ、藩士の子弟たちがここで学びました。建物は武家屋敷を利用したものであり、木造平屋建て、茅葺屋根の構造です。 現在では江戸時代に児玉南柯が創設した当時の姿に復元され、吹きさらしの玄関や漆喰の壁、生徒の入口を設けています。埼玉県内に現存する唯一の藩校でもあります。 「遷喬館」の名称について 詩経(中国最古の詩集)の「出自幽谷 遷干喬木」に由来しています。 学問を欲し友を求めることを鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移ることにたとえた内容で、ここで学ぶ物に高い志を持つことを促したものです。
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慈恩寺玄奘塔
埼玉県 川越・さいたま
- 観光施設
西遊記(孫悟空物語)で名高い玄奘三蔵法師の霊骨石塔です。13重で高さは約15mあり、慈恩寺が管理しています。 三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。 日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。 第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、昭和25年に13重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が築かれました。
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岩槻の古式土俵入り(釣上地区)
埼玉県 川越・さいたま
- 郷土芸能
子どもたちの健やかな成長と五穀豊穣を願って、秋祭りに奉納される古式土俵入りです。 幼稚園児から小学校6年生までの男子が、相撲をとることなく様式化された土俵入りを披露します。
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岩槻の古式土俵入り(笹久保地区)
埼玉県 川越・さいたま
- 郷土芸能
子どもたちの健やかな成長と五穀豊穣を願って、秋祭りに奉納される古式土俵入りです。 幼稚園児から小学校6年生までの男子が、相撲をとることなく様式化された土俵入りを披露します。
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リボン刺繍
埼玉県 川越・さいたま
- 刺繍教室
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