盛岡市・つなぎの趣味・カルチャー ランキング
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みちのく工房
岩手県 盛岡
- 伝統工芸・和雑貨 その他
- 楽器作り
- 木工教室
木の良さを身近に感じる!岩手県盛岡市の工房で、木工体験 岩手県にある盛岡手づくり村内のみちのく工房では、岩手の民芸品を中心とした木工作品を制作しています。金のベココや郷土玩具のチャグチャグ馬コなど、岩手の歴史が育てた民芸品に親しむことができますよ。当店では数々の木工体験をご用意して、皆様をお待ちしています。小さなお子さまでも、民芸品の素材である木の良さを気軽に体感することが可能です。
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木彫工房ウッドペッカー
岩手県 盛岡
- 木工教室
自然の素材の魅力を感じる体験。岩手県盛岡市で木彫りにチャレンジ! 木彫り工房ウッドペッカーは、岩手県盛岡市で木彫りの楽しさを皆様にお伝えしています。木と向き合い、癒しの時間を過ごせますよ。木彫り歴30年以上のベテラン講師が、お客様1人ひとりに合わせて丁寧に指導しています。ご自分の頭の中で思い描いたものをご自分の手で作りだす喜びを味わってくださいね。木を彫る時の音も楽しめますよ。
盛岡市・つなぎの趣味・カルチャー スポット 20選
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寺町通り
岩手県 盛岡
- 町並み
市中心部から北寄りの名須川町界隈は、お寺や神社が十社余り続く寺の町。この周辺にお寺が集中したのは南部盛岡藩時代のことである。藩ではその権威と城下の繁栄を願って、領内の由緒ある寺を二つの地区に移した。それが寺町通りのある、北山寺院群と南の寺の下寺院群(盛岡市大慈寺町)で、現在でも北山と名須川町周辺には20軒あまりのお寺がある。 かつて沿岸と内陸を結ぶ重要な街道だった寺町通りは、あたらしい道に生まれ変わったが道路の両側には白壁、南部鉄器の街路灯、ケヤキの大木、歩道は石畳風で、寺院の木造建築美とともに風情ある景観を創出し、「日本の道百選」にも選ばれている。
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いーはとーぶアベニュー材木町
岩手県 盛岡
- 町並み
宮沢賢治ゆかりの民芸品店(「注文の多い料理店」の出版元)をはじめ、陶器、木綿、漆器、木工家具などていねいな仕事を重んじる店が軒を並べ、最近は骨董店やミニギャラリーも通りに趣を添える。 宮沢賢治ゆかりの6つのモニュメントが通りに並び、4月〜11月下旬までの毎週土曜日の夕刻には「よ市」が開催される。通りの商店街だけではなく近郊の農家も店を並べ、イベントも開催され、市民や観光客など多くの人で賑わう。
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大慈寺・鉈屋町界隈
岩手県 盛岡
- 町並み
盛岡八幡宮を中心に、石仏が並ぶ十六羅漢、酒蔵や由緒あるお寺が立ち並びます。寺の下通りには、清水が湧き、多くの町家が残されています。また旧岩手川酒蔵鉈屋町工場跡には、地域文化等の情報発信の場としてもりおか町家物語館が開館しました。
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岩手銀行赤レンガ館
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
赤煉瓦造りに緑のドームとルネッサンス風の輪郭の厳格さを現わしており,当時の洋風建築の特徴をほぼ完全な姿で伝えている。内部には付け柱を用い、天井に石膏モチーフを施す等豪かな内装が明治期の銀行建築の姿を良く示している。 設計は東京駅でも知られる、辰野・葛西建築設計事務所による。辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品でもあり、昭和52年1月20日に盛岡市保存建造物に指定された。平成24年8月3日銀行としての営業を終了し、約3年半に及ぶ保存修理工事を経て、公開施設として生まれ変わりました。創建当時の様子を伺える館内を、お楽しみください。
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商家「茣蓙九」
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
江戸末期から明治にかけての燈明用の「燈心売」や藁工品を取り扱った豪商の面影を今に伝える貴重な商家。母屋と裏側の土蔵7棟、川べりの土蔵は盛岡を代表する景観となっている。現在も竹製品などの日用雑貨の老舗として親しまれており、昭和54年4月5日に盛岡市保存建造物に指定された。
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木津屋本店
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
この建物は,棟札より1834年(天保5年)に建築されたことがわかり,松材を主に用いた土蔵造りの商家店舗兼住宅です。この付近は惣門といわれ,江戸時代は城下町の南の玄関口として,奥州道中,街道沿いに盛岡の代表的な商人が店を構え,蔵が建ち並び,活気のある様相を呈していました。この建物は,その当時の商家の面影を残す数少ない町家の一つであり,現在も会社の事務所として使用されています。住居出入り口から入ると通り土間があり,床上2列の部屋形式の町屋となっています。店舗には独立した土間(客溜り)があり,店側と住居側と区別があるのが特徴です。西側の通り土間と1列の部屋は吹抜けとなり,天井高く小屋顕しで,2列目の部屋は2階建であるので,2階の部屋より吹抜けの通り土間が見えるように空間構成されています。 木造2階建で,外壁は木造軸組の外部仕上を上塀式に塗り上げられ,軒天井の垂木,野地板等の木部は全て漆喰押えで防火造りとなっています。
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商家「糸治」(旧中村家住宅)
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
中村家は、「糸屋」または「糸治」と呼ばれた城下町盛岡でも屈指の豪商家で、呉服・古着を中心に商っていた。建物はたびたび改築や修理がおこなわれたが、現在の主屋は文久元年(1861)に造られたものである。 また土蔵は明治期の建築だが、主屋と機能的にも景観のうえからも切り離せないものとして同時に国の重要文化財に指定された。130年余の歴史をもつ町家で白壁の土蔵は明治時代のものだが2階の木格子窓と1階庇廊下の格子戸の調和、それに右手端にある防火用「うだつ」がアクセントとなり美しい姿を見せている。 中村家は屋号「糸洽」と称し、呉服・古着を商い、明治になって紫紺染本舗として繁盛した。
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岩手県公会堂
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
岩手県公会堂は、皇太子であった昭和天皇の御成婚を記念して建設が計画され、1925年(大正14年)9月の着工から1927年(昭和2年)6月の竣工まで、約2年の工期と総額43万8000円の建設費を投じて建設された。設計は、東京の日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計で知られる佐藤功一博士で、近代コンクリート建築の先駆け。創建当時の公会堂は、県会議事堂、大ホール、西洋料理店、皇族方の宿泊所と、4つの用途を備えていた。間口44メートル、奥行48メートルの規模で、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建、陸屋根となっている。玄関奥を階段室、その奥を中庭とし、後部にホールを置く。中央に高さ約24メートル・6 層の塔屋を設け、外壁をスクラッチタイル貼とし、外部に柱形を現して垂直性を強調しているのが特徴です。幾度かの改修が行われましたが、内部には漆喰の美しいレリーフや、優雅な曲線のバルコニーなど、創建当時の面影を伝えるアール・デコ様式の意匠が残されており、現在も会議室を主体とした施設として市民・県民に利用されています。
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旧宣教師館
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
宣教師シングレーの在任中,米国フィラデルフィア市に当時本部のあったジャーマン・リフォームド・チャーチ教団の資金で大正9年に建設された。 設計者・施工者は不明であるが,キリスト教団関係の建物の通例や現存する建物の間取り,構造等の構成から,教団本部の計画指示による設計ではないかと推測されている。建物の主体構造は,煉瓦1.5枚積組積造と床,小屋組,窓廻りは木構造を併用している。現存する建物は,2階建に屋根裏部屋を有する典型的な当時の米国の生活様式を伝える住宅建築である。ドイツ系米人の生活をうかがわせる簡素な仕上げで,飾的要素はほとんど施していない。 一方,設備的には,薪・石炭焚きのボイラー,レンジオーブンが設けてあり,暖炉と共に集合煙突二本により当初から使用されていたようである。 当初の間取りは,1階が書斎(現在は一部を玄関に改造),居間,食堂,台所,ボイラー室(現在撤去),便所,パントリー,玄関(現在撤去)。2階は,主寝室,寝室三室,浴室,リネン室・屋根裏は物入れ等に使用されていた。 後年,外装にモルタル吹付が施され,昭和36年に窓,屋根,暖房(ボイラーとスチームの取り替え)等改装され現在に至っている。
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旧石井県令邸
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
施工共に不明である。明治19年盛岡監獄移転建築用の煉瓦及び囚人使役によって新築落成したと言い伝えられているが,裏付け資料は不詳である。半地下階,1階,2階の煉瓦組積造3階建てで,屋根裏部屋を有する。 各室に暖炉を配して一部には当時の輸入品と思われる外国産化粧タイルが用いられている。概して装飾は少なく専門の建築家の設計にしては様式の統一性はない。半地下階は現在使用されていないが,厨房その他使用人の用に供していたと考えられ,1階の洋風の浴室と共に日本人の生活習慣からは恐らく生まれてこない設計なので,外国人の設計といわれる一つの根拠と考えられる。なお,外壁煉瓦積に胴蛇腹と軒蛇腹に煉瓦の積出しのバンドが廻っているが,この積出しのあるフランス積といった手法は旧盛岡監獄の外周壁の煉瓦積と同じであり,建設に伴う事情を解く手掛かりとなり得よう。いずれにしても,国鉄盛岡工場,旧盛岡刑務所少年刑務所跡の外周壁と共に明治初期の盛岡近代化を実証している煉瓦造建築である。
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もりおか町家物語館
岩手県 盛岡
- 歴史的建造物
もりおか町家物語館は旧岩手川酒蔵鉈屋町工場跡をリニューアルし平成26年7月28日オープンしました。「懐かしの賑わいに出会う」をコンセプトに、賑やかでどこか懐かしさを覚える、誰もが利用しやすい憩いの場として、未来へ「ひと」「もの」を育む施設です。母屋は、地域散策の拠点として地域情報を提供や地域年中行事の紹介、文庫蔵では、鉈屋町を中心とした盛岡ゆかりの人物にスポットをあて、関連地を地図上にプロットして示すほか、2階は絵本などを設置しており、親と子の読書コーナーになっております。大正蔵には、懐かしい商店街の活気を、2階は、昭和を彩ったレコードやおもちゃが展示されています。また、浜藤ホールでは、舞台機能を持ったホールとして、コミュニティーの場として利用できます。
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材木町よ市
岩手県 盛岡
- 地域風俗
材木町で開かれる「よ市」は、毎週土曜日の夕方から始まり、 全長430メートルの通りが歩行者天国になります。40年前から続いている市で、 いーはとーぶアベニューは一層にぎやかさを増します。 野菜や果物、生花に山菜など旬のものがずらりと並び、出会いとふれあいを発見できます。
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栗山大膳の墓
岩手県 盛岡
- 観光名所
筑前福岡藩主筆頭家老。黒田騒動の後、1663年南部藩にお預けとなった。この恩流寺は、大膳については黒田騒動の史実では有名ではあるが、京極丹波守、下田将監などの墓碑もあるが、なぜそれらが南部藩内にあるかは全く知られていない。また大膳の碑文は、南部藩お預けの身となっていた無方規伯が記したもので、栗山大膳の忠節を讃えたものである。
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南部利直の墓
岩手県 盛岡
- 観光名所
信直の嫡子。豊臣氏滅亡後の混乱のなかで南部氏所領を守り,城下町盛岡の街作りを推進。南部家と東禅寺との関係は十三代守行公より始まり、二十七代利直公の焼香師と勤めた。利直公のほか、三十一代信恩公、三十五代利正公、三十七代利用公、三十九代利義公ほか一族の墓が多数ある。
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新渡戸稲造記念碑
岩手県 盛岡
- 観光名所
新渡戸稲造(にとべいなぞう)は、1862(文久2)年、盛岡市に生まれました。札幌農学校に進学し、そこで生涯を通じた合理主義・自由主義・国際人としての基礎を培いました。卒業後はアメリカ、ドイツへ留学して農学・経済学などを学んだあと、国際的な教育者として多くの人材を育てました。また、「武士道」に代表されるような著作活動によって日本文化の海外紹介につとめました。当時立ち遅れていた女子教育にも取り組み、東京女子大学初代学長となり設立に尽力しました。国際連盟事務次長をはじめとする要職につき、国際平和に貢献、カナダのビクトリア市で亡くなりました。現在、盛岡市とビクトリア市は新渡戸を縁として姉妹都市となっています。ビクトリア市の太平洋を望む丘には、盛岡の盛岡城跡公園にある記念碑と同じものがたてられています。岩手公園にあるこの碑に刻まれる、西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へとの彼の願いを象徴した、「われ太平洋の架け橋とならん」という言葉は、あまりにも有名です。新渡戸こそ、日本を代表する初の国際人といってもよいでしょう。
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米内光政の墓
岩手県 盛岡
- 観光名所
米内光政(よないみつまさ)は盛岡出身の海軍大臣・首相です。盛岡中学卒業後、海軍兵学校、海軍大学校へと進みました。連合艦隊指令長官などを経て、太平洋戦争を前にした昭和12年から海軍大臣、同15年から半年間総理大臣を歴任し、この間日独伊三国同盟締結に一貫して反対し続けます。同19年に海軍大臣に復帰して太平洋戦争を終結に導きました。沈着にして的確な判断力と一方に偏らないその姿勢は、閣内で重きをなし、「良識の提督」として多くの信望を集めました。光政の生涯は一貫して天皇の海軍を預かる天皇の軍人といってもいいほどでした。相沢中佐事件、2・26事件などで、若手将校を微動だにさせなかったのは、彼の人徳と実力を現しています。彼は日本海軍を侵攻用と考えず、防衛用と考えました。戦前・戦後を通じ政治に関与しながらも、軍人としての名声を保持している数少ない人物であり、能筆でも知られています。
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愛染明王像
岩手県 盛岡
- 観光名所
寄木造りの木彫りの像。彩色されていたが、脱色し全体に黒っぽくなり歴史の年輪を感じる。昭和41年に盛岡市指定文化財になっており、現在はもりおか歴史文化館に収蔵されている。
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楢山佐渡の墓
岩手県 盛岡
- 観光名所
楢山佐渡(ならやまさど)(本名隆至(たかし)、もしくは隆吉)は楢山帯刀(たてわき)(隆冀(たかくに))の長男として生まれた。楢山家は南部一門として代々家老を勤めた家柄で、佐渡も弱冠23歳にして家老職に就き、後には主席家老として藩政の改革に奔走した。佐渡は疲弊した藩財政と相次ぐ一揆をおさめるために働き、そんな佐渡を藩主利剛(としひさ)も厚く信頼した。 1868(慶応4)年2月、旧幕府側と薩長側に揺れる藩の行く末を決めるべく、佐渡は主席家老として京都へ赴く。しかしそこで佐渡が見たものは、権勢を得て横暴な態度をとる薩長の武士の姿だった。そのため佐渡は、薩長の標的とされた会津藩と庄内藩への穏便な処置を望んだ奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)への参加を決意する。 奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)に従った盛岡藩は、同盟を脱退した秋田藩を攻めるも官軍の援助を得た秋田勢に敗れ、同年9月に降伏謝罪の手続をする。主席家老として佐渡はその戦争の責任を一身に受ける形となり、翌年の1869(明治2)年6月23日、故郷盛岡にて切腹の形をもって処刑された。
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ムカデ姫の墓
岩手県 盛岡
- 観光名所
高さ3mほどの石の塔。昔、於武(おたけ)の方は、先祖がむかで退治に使った矢の根を持って、 南部家27代利直公に嫁いできました。 於武の方が亡くなったとき、遺体の下の変色した形が、むかでのはいまわる姿に似ていたことから、 「於武の方が持ってきた、むかでを退治した矢の根石の怨念にちがいない」と人々は驚き恐れました。この奇怪な出来事に利直公は、むかでは水を嫌うことから、堀をめぐらした土手の上に、 石垣でかこまれた墓の建立を命じました。ところが、堀にかこまれた墓地に見事な橋が架けられ、 殿様の渡り初めを待つ夜に、不思議なことに一夜のうちにその橋が壊され、大騒ぎとなりました。 その後、何度橋を架けても、むかでが出て壊してしまいました。 於武の方の墓には、大小のむかでが無数に出て、於武の方の髪の毛が片目の蛇となって石垣の間からはいまわり、 墓守は石の間に鉛を流し込んで防いだともいわれています。人々は、これらの出来事は矢の根石にまつわるむかでの怨霊のせいだと噂し、いつしか於武の方をむかで姫、 墓地を「むかで姫の墓」と呼ぶようになりました。
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石造地蔵菩薩坐像
岩手県 盛岡
- 観光名所
愛称四ツ谷地蔵。盛岡藩南部家当主第三十代行信公が300年余前(1694)に建立した。安産、家内繁栄のお地蔵さんとして参詣者が絶えない。
盛岡市・つなぎの趣味・カルチャー探し
盛岡市・つなぎで体験できる趣味・カルチャーの店舗一覧です。
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