防府市の趣味・習い事 スポット 20選
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数井製菓 生外郎
山口県 山口・秋芳
- 特産物・特産品
「生外郎」は、ぷるんとした口当たりと、もっちりとした食感が特徴で、後味もさらりとし、優しい甘美(かんび)な「和」のスイーツです。 ●取扱商品 山口乃外郎、史跡の里(最中)
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種田山頭火の銅像
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
雨ふるふるさとははだしであるく」で有名な漂泊の俳人種田山頭火の像です。彼は、昭和の芭蕉とも呼ばれており、その自由な生き方と自然な表現の句が現代人の共感を呼んでいます。また、市内には80基以上の句碑が建てられています。
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防府市中浦の緑色片岩
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
防府市中浦湾の東と西の海岸、長さ400〜500mにわたって緑色の岩石(緑色片岩)が見られます。 特に西海岸は、岩盤が露出し、岩塊も転がっていて、岩石の特徴がよく観察できます。 緑黒色・淡緑色・褐色と色の異なる部分が数cm〜10数cmの幅で縞模様をしていて、縞が幾重にも曲っているものは極めて美しい。
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宮市
山口県 山口・秋芳
- 町並み
防府天満宮の社前に発達した町並み。
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三田尻御茶屋(英雲荘)
山口県 山口・秋芳
- 歴史的建造物
御茶屋とは、参勤交替や領内巡視の時の旅館として、また他藩の特使等をもてなす時などに使用していた藩の公館です。 萩藩7代藩主で、防府の発展に尽力した毛利重就が隠居後にここに住みました。 昭和14年(1939)防府市に寄贈され、重就の法名にちなんで「英雲荘」と命名されました。現在、保存修理工事が進められています。
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宮市本陣兄部家
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
鎌倉時代から周防国合物商の長職だった宮市の商人兄部家。 1642年(寛永19)に宮市本陣に定められ、西国の大名や幕府の上級役人が宿泊するようになりました。
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枡築らんかん橋
山口県 山口・秋芳
- 歴史的建造物
江戸時代中期に、塩田の間を通る入川に架けられた橋で、かつては9梁あったが現在往時の地に残るのはこの1梁のみです。橋の中程が高く作られており、塩や石炭などを運ぶ上荷船が満潮時でも通行できるよう工夫されています。
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英雲荘(三田尻御茶屋)
山口県 山口・秋芳
- 歴史的建造物
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山頭火の小径
山口県 山口・秋芳
- 町並み
防府の生んだ漂白の自由律俳人・種田山頭火が、生家から小学校まで通った路地裏の1キロ足らずの道。 小径沿いの民家の塀や壁には、故郷を詠んだ山頭火の句が多数掛けられています。 市内には、70数基の句碑と、山頭火顕彰の墓が本橋町の護国寺にあります。 また、防府駅前には銅像が立っています。
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右田毛利氏墓
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
右田毛利氏は、毛利元就の七男元政「もとまさ」を祖とします。毛利一門として歴代の当主は萩藩の要職につき活躍しました。
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大村能章碑
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
防府市出身の作曲家である大村能章の顕彰碑があります。 昭和を代表する作曲家として、「同期の桜」「旅笠道中」「野崎小唄」など多数のヒット曲を生み出しました。
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野村望東尼終焉の宅及び宅跡並びに墓
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
幕末の混乱した時代に、勤王歌人として、また志士の母として慕われた望東尼が、歌友荒瀬ゆり子宅で他界しました。 現在、宅は岡村町に移築されており、墓は桑山にあります。
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大村能章の胸像
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
防府市出身の作曲家である大村能章の胸像があります。 昭和を代表する作曲家として、「同期の桜」「旅笠道中」「野崎小唄」など多数のヒット曲を生み出しました。
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種田山頭火生家跡
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
防府市出身の放浪の俳人・種田山頭火の生家跡です。ここから小学校へ通った道は「山頭火の小径」と名付けられ、民家の塀などに山頭火の句を見ることができます。また、生家跡やJR防府駅前をはじめ市内各所に山頭火の句碑が80基以上建てられており、句碑めぐりを楽しむことができます。
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三田尻塩田旧越中屋釜屋煙突
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
煙突と煙道からなり、煙突は総高13.18m、底部の外径2.46m、頂上部の外径1.58mで、煙道は全長2.5m、幅1.48m、高さ0.7mである。 この煙突は、三田尻塩田のうち鶴浜の北西部にあった越中屋の釜屋煙突で、釜屋内において塩田で作られたかん水(濃度の高い塩水)を煮る際に発生する煙を排出する。煙突外壁のレンガは、釜屋内で使用された石釜の石を再利用したものである。 建築時期は具体的には特定できないが、明治末期から大正初期と推定される。 防府市南部では江戸時代中期から大規模な入浜式塩田が築かれ
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春風楼
山口県 山口・秋芳
- 歴史的建造物
木造二階建で入母屋造、桟瓦葺。桁行3間(14.54m、)梁間3間(14.54m)。床下に組み込まれている斗?は尾垂木をともなった三手先で内陣柱を支える位置に組み込まれ御影石の基壇の上の土台に据えられている。 春風楼の名称は古くは「通夜堂」といい、以前は天満宮の神事の際に大勢の参拝客が籠るため使用し、「参籠所」「お籠堂」とも呼ばれた。「春風楼」の名称がいつ頃からかは不明である。 文政5年(1822)、防府天満宮の萩藩10代藩主毛利斉熙(なりひろ)の発願で五輪塔として建設が開始された。しかし天保2年(
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麻布着色地蔵十王図
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
国分寺に伝わる本図は、李氏朝鮮(りしちょうせん)時代の宣祖(せんそ)20年(1586)に制作された朝鮮仏画の紀年銘(きねんめい)作品として注目すべき存在である。 図像の上からは、地蔵菩薩が半跏坐し、頭を布で包む被帽地蔵形式を持ち、台座に獅子を描き加えるなど高麗時代以来の地蔵十王図の伝統的要素を描いており、判官(はんがん)や獄卒(ごくそつ)の体の動きと各々の表情に独自のユーモアがあり、地蔵十王図の持つ説話性を示している。
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木造十一面観世音菩薩立像(阿弥陀寺)
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
本像は、もと周防国衙(こくが)域内にあった国庁寺(こくちょうじ)に安置されていたもので、明治4年(1871)の国庁寺廃止にともない、本尊釈迦如来坐像とともに、阿弥陀寺に移されたものである。 像高106.4cm、ヒノキ材の一木(いちぼく)造りで彫眼(ちょうがん)である。宝髻(ほうけい)・頂上の仏面・頭上の十面・阿弥陀如来の化仏(けぶつ)はそれぞれ別の材から彫出してほぞ差しとしている。 下半身の衣文(えもん)線、裳裾(もすそ)が蓮台(れんだい)に付く形、像底中央の丸ほぞなどに平安時代末期(藤原時代末期)の特色も見られるが、卵形のやや面長な顔立ち、ふくらみの多い髪型、なで肩で細身の体つきなどから、鎌倉時代初期から中期にかけての制作をみられる。
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木造子安観世音大士半跏像・木造子安観世音菩薩半跏像
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
極楽寺には、『阿難(あなん)・迦葉尊者立像(かしょうそんじゃりゅうぞう)』(市指定文化財)とこの子安観世音菩薩2体の計4体の木喰上人彫像の仏像が安置されている。総高は、大士像が81.1cm、菩薩像が59.3cmで、眉・瞳に墨彩するほかは全くの素木(しらき)である。 大士像は寛政(かんせい)11年(1799)2月22日完成しており、当寺の迦葉尊者(2月18日完成)に引き続いての彫像で、材質もイチョウであることから、ともに当時(当時雲岩寺(うんがんじ)と号していた)で彫像されたものと思われる。 菩薩像は2月28日の完成で、続いて29日に堀家の『人丸大明神坐像(ひとまるだいみょうじんざぞう)』(旧現観寺(げんかんじ)鎮守 市指定文化財)が完成しており、材質はともにクスである。したがって、この像は現観寺での彫像と考えられる。現観寺の廃寺にともなって極楽寺に移されたものと思われる。
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木造阿弥陀如来坐像
山口県 山口・秋芳
- 観光施設
徳性寺(とくしょうじ)は、天文(てんもん)年間(1532〜1555)浄土宗西雲寺(さいうんじ)といっていたが、寛永(かんえい)年間(1624〜1644)に右田領主毛利元倶(もととも)が再興し、牌所(はいじょ)とし寺号を徳性寺と改めた。 本像は、台座裏の修理銘によると、もと美祢郡綾木村(美東町)の宗源院(そうげんいん)の本尊であったが、寺が荒廃したので宝永(ほうえい)4年(1707)に右田領主毛利広政(ひろまさ)に願い出て徳性寺の本尊に迎えたことがわかる。 像高88.5cm、ヒノキ材の寄木(よせぎ)造りで彫眼(ちょうがん)である。高く盛り上がる頭頂、丁寧に刻まれた切子型の螺髪(らほつ)、一直線の髪のはえ際、下ぶくれの整った面相、古様な木寄せ、内刳の内部に見られる粗く太い丸刀(まるとう)の彫りあとなど、平安時代末期(藤原時代末期)の特徴をよく示している。
防府市の趣味・習い事探し
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